それぞれの不思議
私が子供の頃の話だ。仲の良い友人の家に遊びに行った。友人の部屋はその座敷を通り越した次の間にあった。いつものように、座敷の前の廊下を通っていると「ザッツ、ザッツ」とほうきをはいている音が聞こえてきた。すぐに誰かが掃除していると思ったが、締め切った座敷は暗く、こんな暗い部屋で締め切って誰が掃除をしているのだろうと思った。その不思議さのあまり、友人に誰か隣の座敷で掃除をしているのかと聞くと
「誰も掃除なんかしていないよ。変なことを言わないで」
と言われ、ああ、じゃ聞き間違いかなとごまかしたのだが、ずっと心にひっかかっていた不思議だった。
その後大人になり何かの雑誌を読んでいるとき
「霊が現れる時は、ほうきを掃いているような、ザッツザッツという、音がする」
とういう文面にであった。私が子供の頃にきいた音は、これだったのだと、思った。その友人の家の座敷は仏壇が置かれていたから、仏様が仏壇からでてきていたのかもしれない。しかも、この話と似たような話を、私は亡くなった伯母自身から聞いたことがあった。
伯母は仏壇のある部屋で寝起きしていて、私は実家に行くたび、その伯母の部屋で布団をならべて
眠っていた。そして朝起きると伯母が妙なことを話し始めたのだ。
「昨日は一晩中ずっと、警察がザッツザアッツと歩いて家の周りを警備していてくれて、心強かったわ。ときどき、仏壇から、死んだ人がいっぱいでてきて、私の周りをぐるぐる回って、とても怖いのだけれど、昨日は心強かった」
私と子供は顔を見合わせた。
「警察が家の周りをずっと回りながら警備をするなんて、あるはずがないでしょう」
その時は年寄りのたわ言と思い一笑にふしたのだが、今から考えれば、仏壇から次々人がでてきて怖いと言っていた伯母は霊がでてくる時の音をきいていたのかもしれないと思う。しかし、そこで同じように眠っていた私と子供達はそんな音も聞かなければ、仏壇から出てくるという人達も目にしなかった。
見えない世界は本当にあやふやな世界なのだ。
そして、ささやかな不思議は日常にもある。私の子供がまだ幼稚園の頃、友人からウルトラマン家族と歴代仮面ライダーが左右に集合した大きなポスターをいただいた。子供が喜ぶようにとそのポスターをトイレに子供目線で貼り付けていた。トイレに張り付けているので当然大人も見ることになる。そのポスターを毎日毎日見るともなく漫然と見ながら用を足すうち、1年もして私はハッと気がついた。右側の仮面ライダー集合の中のライダー2号か3号かは知らないが、かなりぶあつめの立て襟の部分に人の顔が見えた。嫌だ。心霊写真なのかしら。何故、こんなプリント物に心霊写真が写るのかしら。出版社は確認しなかったのかしら。そう思いながらしばらく見ていた。けれどずっと見ているとさらにもう一つ気がついた。
この顔は、何だか青年がさわやかに笑っているように見える。怖くない心霊写真だわと。こんなことってあるのかしら。不思議に思いながらいただいた友人に連絡をとってみた。彼女も同じものをもっているから確認してもらおうと思ったのだ。
「言われて気付いたわ。確かに見える。気味が悪いから、もうすてるわ」
と、後日連絡があった。
私は物持ちがいいほうなので、その後、そのポスターをパネルにして、子供部屋の壁に飾っておいた。
あれから、15年がたったが、彼はあいかわらず、ライダーの襟の中でさわやかに笑っている。
私の知人が体験した話も不思議だ。彼女の話は8月15日のお盆の時の話だ。その年は都合が重なって、お盆だと言うのに、最終日のその日までお墓参りができていなかったのだという。お盆のお墓参りもしていないというのは、さすがに後味が悪く、何と仕事が終わった夜の7時半もまわってお墓参りにでかけたという。お墓は小高い山の上手にあるが、通いなれた道だし、お墓からは賑やかに行われている夏祭りの様子が一望にできるし、夕涼みがてらお墓まいりをする人もいるという墓地なので、なんの怖さもさみしさも感じていなかったらしい。ましてや、母親と二人で参っていたからなおさら怖い気持ちも無く、山なりに石段を登っていったそうだ。すると、中腹にさしかかった頃、目の前が急に真っ黒の緞帳が落ちてきたように真っ黒になったのだという。先程まで見えていた、霊園の明かりや、星あかり、祭りの音まで消えてしまったそうだ。ただ、真っ暗。恐ろしいほど静かな、真っ暗。しかも、次の歩を踏み出せないのだという。そこにまるで、真っ暗な壁ができたように、踏み出そうとしても踏み出そうとしても、足がすすまない。思わず、知人は傍らのお母さんに声をかけたが、お母さんも全く同じ様子。
「これは、いけない。ひきかえそう」
お母さんの言葉に二人はほうほうのていで階段をおりていった。それから、霊園上がり口にある、閉まっていた花屋さんの戸をドンドンと叩き事情を話し、一緒に行ってもらうことにした。すると、長年、霊園下で暮らしている花屋さんのこと。
「そんな、不思議もあるだろう」と
線香をくゆらせながら、あがってゆくと、今度はなんともなく、墓地についたという。
「不思議。不思議。本当に不思議」
親子はそういいながら、門前の小僧よろしくさすがに、長年死者への手向けの花を用意しながら、商売してきた人のことであると、感心したそうだ。しかし、この話は昔話によくある狸にばかされたという話を何とはなく彷彿させる不思議だ。
不思議話というものは意外と身近な人間から聞いたほうが、「本当かしら」といぶかしさも同時に感じるような気がする。これは息子が経験した話だ。ある日、息子は2階の娘の部屋の隣の部屋で寝転がって
マンガを読んでいた。すると、トントントンと階段を登ってくる音を聞き、目の端に娘がよく履いていた水色のズボンと白いソックスが目に入った。その気配からして妹のものなので、思うともなく「今、帰ったんだな」と思い、そのときの妹の部屋のドアを開け閉めする音が「バタン」と、怒り任せのような激しい閉め方に聞こえ、又、母親と言い争いをしたのだなと思ったそうだ。それで、様子をきいてやろうと妹の名前を呼んで、部屋の中に入っていったと言う。ところが、入っていったはずの妹がいない。
8畳の洋間で、様子など一瞬で見てとれる。あれ、と不思議に思い息子は何度か妹の名前を呼んだそうだ。しかし、部屋には誰もいない。恐怖感も混じり少し大きな声で妹を呼ぶ。
「はぁぁあい」
返事は、階下からかえってきた。
「お前、今2階の自分の部屋へ行かなかったか」
「ううん、帰って、下のソフアで寝転がっていたよ」
「ウソだろう。お前、ドッペルゲンガーしていたぞ」
その話をきき、息子が見たことが事実ならそれは娘ではなく、別の何者かであったのではないかと尋ねたが、息子は妹そのものの気配だったと言った。娘のドッペルゲンガーか、はたまた何者か得体のしれないものだったのか。これも、解決のつかないままの不思議な話だ。
息子から聞いた不思議な話はもう一つある。ある晩、家族4人で出かけていた。家に帰りつき、それぞれ、車から降り家に入ろうとしていた。すると「わっつ」と息子がすっとんきょうな声をあげた。「何」当然家族が口々に聞いたが
「何でもない。何でもない。」というばかり。しかし、どうにも息子の態度が不自然で
「何かみたのでしょう」
と私は何度か問い詰めたのだが、結局彼は何も言わず、それっきりになっていた。そして10年がたち、彼も大人になった。そして、ようやくあのときのこと話してやろうかといいだした。
「小さいおっさんが走っていった。」
「何」
「50センチぐらいの白い何かが暗闇を走っていった」
白っぽい塊なのだけれど、息子にはおっさんに見えたという。
「え。そんな。まさか」と、思ってもう一度見たらもう何も見えなかったのだという。
「ゴミ袋か犬・猫じゃないの」
「ちがう、俺ほんまに小さいおっさんが走っていったと、思ったもの」
とりとめもなく、確証もない、いいかげんな話だけれど大人になった息子が、わざわざ母親にこんなウソをつく必要もない。そういえば、以前、ホームズ女史がある人物をみたとき
「よくないものが、憑いている」
といったことがある。
「よくないもの」って何なのときくと、白いぼわぼわの塊で、部屋の中をあんまり掃除しないのでほこりが人型をとって、住人に憑いているのだという。そんなものが、人に憑くことがあるのかと驚いたものだ。私達がいつも見ている世界。その世界のほんの少しのほころびに偶然目があってしまった時に
不思議に遭遇することがあるのかもしれないと、思った。
しかし、ささやかなもの、不思議なもの以外に何とも怖い不思議もある。やはり、友人から聞いた話。
彼女は幼い頃、父親と飼い犬と家の裏手の山を散歩するのが朝の日課だったそうだ。ある朝、いつものように散策して小さな橋のある、村近くまで降りてきた。すると、犬がワンワンと吠え立て、橋のたもとに男の人がいるのが見えた。父親は犬と彼女をせき立てるように、男の人の脇をすりぬけていったのだが、父親は家へとすぐかえらず、近所の家に入って行った。
「○○の家の○○がおる」
「そうじゃ、朝からそこにおって、もう何人も言いにきた」
当時はよくわからなかったことだが、大人になり、あの日橋のたもとで見た男の人は亡くなった人であったということを知った。得体のしれないものを錯覚のように一瞬垣間見るのではなく、何人かが同時に見てしまう。何を思い残してのことなのか。その話を聞き、あまりに日常的なその出現にかえって哀れと静かな怖さを感じると私は思った。その反対に恐怖に近い怖さも彼女は経験している。彼女には長距離トラックの運転をしている叔父さんがいた。ところが不幸なことに彼は事故でダムに落ち、亡くなってしまう。事故なので、ダムからトラックを引き上げる現場写真もたくさん撮られた。そのうちの何枚かは彼女の父親の手元にきたそうだ。そうして、悲しみの気持ちでその写真を見ていて家族は悲鳴をあげたのだ。ダムからクレーンでトラックを引き上げているその写真。誰もいない運転席のハンドル。
しかし、足元からハンドルをロックするように堅く握り締めてつきでている腕。見た瞬間、老人としか思えない手。まさしくこの手がハンドルの自由を奪ったのだという手が写っていたのだそうだ。「悪意」そんなものも残るのだとしたら、怖いことだと思う話だった。
不思議は続く。私が子供の頃住んでいた町は寺町で、それぞれの寺は子供達のかっこうの遊び場になっていた。ある日、いつものように遊んでいるといつもは、灯りのともっていないお堂に灯りがともり、人の気配がしていることに気がついた。子供達はさっそく様子を窺いにいっせいに走り出した。だが、
近づくにつれ、そのお堂の中の気配が尋常でないことに気がつき、子供達は無口になり、足音をしのばせて近寄った。お堂をめぐる木の柵に体をあずけ、木枠戸のわずかな隙間をみつけて、そっと中を覗き込んだ。締め切った空間にはお灯明がいくつも灯され、ほの暗い中に、山伏装束の人達が4,5人いた。
彼らは、円陣を組み、その中央に女性が一人うなだれて座っていた。そして、山伏達は、何かお経を唱えながらその女性を中にぐるぐると回り始めた。何がおこっているのだろう。私達がくいいるように、覗き見ていると女性が突然、音を立てて伏し倒れ、「アアッツ」と叫び声をあげて、身をくねらせはじめたのだ。そこからは、もうパニックで、私達は一目散に家に逃げかえった。今思うとあれは、「蛇憑き」の加持祈祷だったのだろうなと思う。見えない世界に具体的にかかわる大人を見た、最初だった。
又、別の寺に学校の授業の一環で住職様にインタビューしに行ったことがある。そのお寺は無縁仏が、ピラミッド状に奉られた集合墓があった。
「夜、寝ようとする時、または、ふと夜中目が覚めて境内を見る。すると、無縁さんの前で誰かがお参りをしている。見ると、ああ、どこそこの誰それさんだと分かる。そういう事があった翌日は、たいていそのお参りをしていた人が亡くなったと連絡が入る。みんな、実際にお参りにきているわけじゃない。
けれど、気持ちだけでも、挨拶に来てくれるのやな」
そういう檀家さんを見かけたときは、そっと手をあわせ頭をさげるのだと、住職さんが言ったのを覚えている。そういえば、ホームズ女史が言っていたのだが町で、ふと亡くなった自分の身内によくにた人を見かけ、亡くなった人をふいと心に偲ばせるときなどは実際亡くなった人がそこに来ているのだそうだ。
「あ、お母さんに似た人がいる。そう思ったのなら、お母さんが何かあなたのことを心配しているということかもしれないね」
不思議の世界にも人の気持ちが優先することもあるのだろうか。




