8.継承
「……っ。はい、そうです! 私が彼女に贈りました!」
破れかぶれになったのだろう。テオフィルは遂にそう答えた。
その目は縋るようにリュシーを見ている。
「ふうん。なるほど、素晴らしいドレスだね。ちなみに仕立てはどこで?」
「は………」
「どの店で、誰に注文したんだい? これほどのドレスだ。さぞや名のある職人の手になるものだろう」
テオフィルははくはくと口を動かすものの、そこから声は出てこない。
「答えられないか。まあいい」
殿下は軽く肩をすくめた。
「私はそのドレスがどこで仕立てられたか知っている。少なくとも、君が用意できる品ではないということもね」
リュシーは思わず殿下の顔を見直した。
(このドレスを知っている? 王太子殿下が?)
「クレマン侯爵令息。先ほど君は、自分の言葉よりあの娘の証言を信じるかと訊いたね」
「っ……」
「その問いには、たった今、君自身が答えを出したよ。――連れていけ」
「お、お待ちを! 殿下、お待ちください! リュシー! 君からも何か言ってくれ! 婚約者だろう!」
リュシーは温度のない目でテオフィルを見返した。
かつて、この人は確かに婚約者らしいことをしてくれた。
だがそれも、義母と義妹が屋敷に来るまでのこと。
家族の関心がミリエルに移り、リュシーの立場が悪くなるにつれ、彼もまたミリエルに心を移していったのだ。
「今夜ミリエルが着ていたドレスは、テオフィル様が贈ったものです」
リュシーの言葉に、テオフィルはただでさえ青かった顔色をさらに悪くした。
「……っ。そ、それは」
「王都の一流の仕立て屋に、わざわざ注文されたと彼女に聞きました」
「き、君にもドレスを贈ったはずだっ!」
「――ええ、いただきました。十年以上も前に流行した、誰のものとも知れない古着のドレスを」
「テオフィル! 貴様という奴は!」
ふいに響いた雷のような声に、皆の視線が集まった。
「クレマン侯爵」
テオフィルの父にして、軍務大臣を務める男は、人々の前に大股で進み出るや、青筋を立てて息子を睨みつけた。
「貴様、あれほどリュシエンヌ嬢を尊重せよと言ったのに、儂の言いつけに背いたばかりか、そのように恥知らずな真似を!」
「ち、違うのです、父上。これには訳が……」
「違うものか。儂が気づかなんだら、リュシエンヌ嬢にはドレスすら贈らぬつもりでおったくせに!」
そういえば、とリュシーは思い出した。
テオフィルからリュシー宛のドレスが届いたのは、ミリエルのドレスが届いた翌日だったことを。
一緒に届いた手紙を見て、父が苦虫を噛み潰したような顔をしていたことを。
『予定が狂った。舞踏会にはリュシーも連れていく』
(つまり……)
父もテオフィルも、リュシーを舞踏会に連れていくつもりはなかったのだ。
クレマン侯爵は王太子殿下に向き直った。
「殿下。儂はこの恥知らずな息子をこの場で除籍いたします。以降、この者は我が侯爵家とは関わりのない平民とお考えいただきたく」
「心得た」
王太子殿下が頷く。
侯爵は、今度はリュシーに深々と頭を下げた。
「リュシエンヌ嬢。これまで愚息であった者がかけた迷惑の数々、幾重にもお詫び申し上げる。貴家との婚約は、我が家が全ての責を負う形で破棄させていただきたい」
一瞬、リュシーは迷った。家同士で結ばれた婚約について、果たして自分に決定権があるのかどうか。
けれど、今や父は捕縛され、デズリン伯爵家の血を引く者はリュシーだけだ。
「承知、いたしました」
王太子殿下の合図で、警備兵たちが改めてテオフィルを取り囲む。
「そんなっ! 父上、どうか、どうかお考え直しを! リュシー!」
引きずられていきながらも、なおも叫び続けるテオフィルに、リュシーは最後に一度だけ目を向けた。
「さようなら、テオフィル様」
遠ざかる声が扉の向こうに消えたところで、王太子殿下がゆっくりとリュシーに向き直った。
「さて、リュシエンヌ嬢。――いや、デズリン女伯爵」
(デズリン女伯爵……)
リュシーは目を瞬いた。
(私が?)
「そう、君のことだ。成人していること。初舞台の舞踏会で社交界に認められること。――その二つの条件を、君は今夜満たしたからね」
ぱち、ぱち、ぱち。
どこからか、ゆっくりとした拍手が聞こえてきた。
「おめでとう、白薔薇姫」
深みのある声に目を上げれば、そこにはくたびれた旅装姿の男が、革の旅行鞄を提げて立っていた。
その顔を一目見た途端、リュシーはこぼれんばかりに目を見開く。
(この方は……!)
うなじで束ねた金髪に、ロイヤルブルーの瞳。
同じ顔だった。
ただし、あの青年ではない。
声にも、立ち姿にも、あの時にはなかった重みがある。
それでもリュシーには、一目でわかってしまった。
衣裳部屋でドレスを貸してくれた、あの人だ。
――ほんの一時間ほど前に、別れたばかりの。
「叔父上!」
「王弟殿下」
王太子殿下が嬉しそうに駆け寄り、居並ぶ人々が一斉に膝を折る。
「ご無事とは伺っておりましたが、まさかおいでになれるとは」
「馬車を馬に換えて飛ばしてきたからな。なにしろ」
声と気配が、頭を下げたまま大混乱しているリュシーの元に近づいてくる。
「顔を上げてくれ、白薔薇姫。私とのワルツの約束は、覚えてくれているだろうか?」
恐る恐る顔を上げたリュシーの瞳が、けぶるようなロイヤルブルーの瞳に出会う。
殿下は旅行鞄を床に置くと、壊れ物を扱うようにリュシーの手を掬い上げ、その指先に唇を寄せた。
「ようやく会えた。私の――」
ドスッ。
鈍い音と同時に、殿下の手から衝撃が伝わってくる。
え、と視線を動かしたリュシーの目に、ナイフを握った義妹の姿が飛び込んできた。
そのナイフは、王弟殿下の脇腹に深々と突き刺さり。
「何でよ……」
地を這うような声でミリエルが言う。
「何であんたばっかり幸せになるのよっ! 綺麗なドレスも! 王子様も! みんなみんなあたしのものになるはずだったのに――!」
義妹がナイフを引き抜くと、王弟殿下の脇腹から大量の血が流れだした。
「きゃあっ!」
「殿下っ!」
「叔父上! 誰か医師を! その娘を捕らえよ!」
悲鳴と怒号が交錯する中、血塗れのナイフを握りしめたミリエルがリュシーに突っ込んでくる。
「あんたなんか……あんたなんか、リュシーのくせに――!」
掬い上げられたままの指先に、殿下の手の熱がある。
腹部に重い衝撃が来た次の瞬間――。




