7.断罪
「い、いえ殿下。問題などと滅相もない! これは単なる家庭内のことでして……」
父が慌てて口を開いた。
「ほう。家庭内」
殿下は面白そうに繰り返す。
「では訊ねるが、デズリン殿。あなたは自分が伯爵ではないことを長年妻子に伏せていたばかりか、平民の娘をデビュタントと称して王宮に連れ込んだ。これが家庭内のことだろうか?」
「は……」
さっきまで真っ赤だった義母の顔から、すうっと血の気が引いていった。
「は、伯爵じゃ、ない……?」
「その通り。……レディ・リュシエンヌ・デズリン」
ふいに王太子殿下に名前を呼ばれ、リュシーはさっと姿勢を正した。
「は、はい!」
「君はこのことを知っていたか? それとも、君の父親は、君のことも騙していたのだろうか」
「……いいえ。というか……」
父は伯爵ではない?
そんなことがあるのだろうか。
「では訊き方を変えようか。デズリン伯爵位は、現在、誰のものだと聞かされてきた?」
「父の……ぁ」
ふいに、ずっと昔に聞いた母の声がよみがえる。
『いいこと、リュシー。このお家はね、いつか全部あなたのものになるのよ』
『ぜんぶ?』
『そう、全部。だって、リュシーはデズリン家のお姫様だもの』
『おひめさま! リュシー、おひめさまなのね!』
『そう。本当は女伯爵というのだけど、リュシーにはまだ難しいかしら』
「……母は、デズリン伯爵家の一人娘でした」
気がつけば、リュシーはぽつぽつと話し出していた。
「母が亡くなった後、父は『デズリン伯爵』を、義母は『伯爵夫人』を名乗るようになりました。私は一度だけ、それはおかしいのではと言ったことがありました。ですが」
「ですが?」
「『うるさい、子どもは大人しく親の言うことを聞いていればいい』と」
しん、と大広間が静まり返った。
「嘘だ! この娘は――」
「黙りたまえ、デズリン。いや、この際ダグラス・モートンと呼ぼうか」
「っ!」
ダグラス・モートン。
それが父の本名だと、リュシーはこの夜初めて知った。
「そうそう。確かモートン子爵家の次男でしたわね」
「当時から女遊びが激しくて」
「初心な女伯爵に取り入った挙句、まんまと婿入りしたと、当時はずいぶん話題になったものだ」
扇やグラスの陰の囁きが、リュシーの空白を埋めていく。
「つまり、あたしは伯爵令嬢じゃなく、子爵令嬢だったってこと?」
ふいに聞こえてきた声は、力の抜けた父の手から脱け出したミリエルのものだった。
「ねえ、テオ義兄様。そういうことよね?」
「いや、違うね。君は平民だ」
テオフィルは今や、手を触れるのも汚らわしいとばかりにミリエルから距離を取っていた。
「この国で親の爵位を継げるのは、基本的に第一子――最初に生まれた子供だけだ。子爵家の次男である君のお父さんは、だから、子爵と血の繋がりがあっても平民だし、その娘である君も平民さ」
「まあ、それは侯爵家の三男である君の立場もご同様だが」
すかさず王太子殿下が口を挟む。
「ええ。ですが、僕にはリュシーという婚約者がおりますからね」
テオフィルは誇らしげにそう言うと、つかつかとリュシーに近づいて手を差し出した。
「こうしてデビュタントを迎えた以上、僕たちは遠からず結婚します」
リュシーは、反射的に一歩後退した。
(気持ち悪い……)
こんな男と、自分は結婚しなければならないのか。
「嘘よっ!」
叫んだのはまたしても義妹だった。
「テオはあたしと結婚するって言ったじゃないっ! 書類上の妻はリュシーだけど、愛しているのは君だけだって! テオと結婚するのも、子どもを産むのもリュシーじゃなくてあたしだって!」
婚約者の顔からさあっと血の気が引いた。
王太子殿下が、面白そうに眉を上げる。
「おやおや。それは立派なお家乗っ取りだねえ」
「なな、何をそんな……でたらめだっ!」
テオフィルは必死にそう叫ぶが、その程度で義妹は止まらない。
「でたらめじゃないっ! 父様も母様もそれがいいって! 本当はデビュタントだってあたしだけ連れていくはずだったのに、直前で予定が狂ったって父様が……」
「なるほど?」
王太子殿下の瞳が、すっと細められた。
「つまり今夜、リュシエンヌ嬢を連れず、自分たちの娘だけを社交界に出せば、以後は娘のほうこそ『リュシエンヌ』だと言い張れる。君たちはそう考えたわけだ。――衛兵!」
ざっ、と音を立てて、会場に控えていた警備兵がやってくる。
「爵位詐称、財産横領の疑いがある。ダグラス・モートンとその妻バーバラ、およびクレマン侯爵令息テオフィルを連行せよ。詳しい事情を聞き出した上、後日処分を決定する!」
「ま、待ってくれ! こ、これは何かの間違いだ! 我々は決してそのような……っ」
「痛い! ちょっと、何するのよ。離してよっ!」
てんでに叫ぶ父と母が、警備兵に捕われ、連行されていく。
その手がテオフィルにも伸びた時。
「お待ちください!」
テオフィルが叫んだ。
「殿下。私は、彼らの爵位詐称にも横領にも誓って関与しておりません! そのような疑いをかけられるのであれば、証拠をお示しいただきたい!」
「ほう? その娘の証言だけでは足りないと?」
「たかが平民の娘一人が口走ったでたらめを、殿下は侯爵家の子息たる私の言葉よりもお信じになるのですか」
「信じてはいないよ。現時点ではあくまで『疑い』だ。だが、そうだな……」
殿下はちらりとリュシーに目をやった。
「君は先ほど、自分はリュシエンヌ嬢の婚約者だと言ったね。ということは当然、これまで彼女には様々な贈り物をしているはずだ」
一瞬、テオフィルの目が泳ぐ。
「……っ! は、はい。それはもちろん……」
(そうね。確かに嘘ではないわ)
テオフィルとの婚約は、母の生前、リュシーが十三歳の時に結ばれた。
当時のテオフィルは、毎週のようにデズリン家の屋敷にリュシーを訪ねてきたし、散歩やカフェに誘ったり、芝居に連れていってくれたりと、婚約者として申し分なくふるまっていたのだ。
その頃には、確かにテオフィルから花やお菓子、誕生日にはアクセサリーなども贈られていた。
(そのアクセサリーも、ミリエルが家に来たときに全部取られてしまったけれど)
王太子殿下は話し続けている。
「今宵は彼女のデビュタント。ご令嬢にとっては一世一代の晴れ舞台だ。当然、君は婚約者の彼女に素敵なドレスを贈っただろうね?」
この国では、社交界デビューする令嬢に恋人や婚約者がいる場合、デビュタントの衣装やアクセサリーは全て男性側が用意することになっている。
もっとも、今回、テオフィルがドレスやアクセサリーを贈った相手は、リュシーではなくミリエルだったが――。
「どうだろう、クレマン侯爵令息? 今、リュシエンヌ嬢が着ている見事なドレスは、君が贈ったものだろうか?」
テオフィルの頬を、一粒の汗がつうっと伝うのが見えた。
正直に「いいえ」と答えれば、彼がミリエルに肩入れしていたことがバレてしまう。
(でも、もし「はい」なんて答えたら、私だって黙って見ているつもりはないわ)
リュシーはひそかな決意と共に、テオフィルをきっと睨みつける。
けれど、そんなリュシーに向かい、王太子殿下はかすかに首を横に振ってみせた。同時に、立てた人差し指を唇の前にもってくる。
(……私は黙ってろ、ってこと?)
なぜ、と眉を顰めてから、リュシーはようやく気がついた。
仮にテオフィルが「はい」と答えたとして、自分に何が言えるだろう。
このドレスは彼から贈られたものではない。それだけは断言できる。
けれど、では誰から贈られたのかと問われたら――。
金髪の青年。王太子殿下ではなかった、あの人。
(……私、何も答えられないわ)
「クレマン侯爵令息? ずいぶん返事に時間がかかるね」
「……っ。はい、そうです! 私が彼女に贈りました!」
破れかぶれになったのだろう。テオフィルは遂にそう答えた。




