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【完結】ドアマット令嬢は時をかけ、愛が重い殿下に溺愛される  作者: 円夢


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3.汚辱

「テオフィル卿。今しがた聞いたところによると、あなたは婚約者のデビュタントで、記念すべき最初のワルツを別の女性と踊るそうですね」


 フィリクス殿下に訊ねられたテオフィルは、目に見えて動揺した。


「あ。いや、それは……」

「では、僕が代わりにこちらのレディに最初のワルツを申し込んでも構いませんね?」

「……っ!」


 質問形ではあるものの、侯爵令息とはいえ三男にすぎないテオフィルが、王子に「否」と言えるはずがない。


「よ……よろしく、お願いいたします……」


 けれど。


「まあ! テオ義兄様ったら、そんなのダメよ。婚約者であるお義姉様を放り出すなんて! 今日はお義姉様の大切なデビュタントですもの。最初のワルツは、是非お義姉様と踊ってあげて?」


 ミリエルだった。

 この日のために仕立てられた純白のドレスに身を包んだ義妹は、リュシーを押しのけるように前に出ると、王子に愛らしく微笑みかけた。


「初めてお目にかかります、フィリクス様! 私、デズリン伯爵家のミリエルと申しますわ」


 その言葉を聞いた途端、リュシーはさっと蒼褪めた。

 こんな短い挨拶の中で、義妹は致命的な間違いを三つも犯している。

 まず挨拶は言葉だけで宮廷礼をしていない。王族の許可もなく発言した上、第二王子に向かって「殿下」の敬称をつけていない。


 そんな彼女に、フィリクス殿下はすっと目を細めたきり、テオフィルに向かって軽く頷いてみせた。


「では、そういうことだから」


 言いながら、リュシーの手をふわりと掬い上げ、その甲に唇を近づける。


「ワルツの時間にお迎えに上がります。また後ほど」


 そうして、呆然とするリュシー、テオフィル、ミリエルの三人を残し、人々の間に姿を消した。


「えっ? え、どういうこと? テオ義兄様はお義姉様と踊るのよね? そしたら王子様は余るから、私と踊ることになるんじゃないの?」

「…………」


 義妹のあまりの無知さ加減に、リュシーが内心で頭を抱えていると。

 はあ、と長いため息を落とし、婚約者が「いいや」と口を開いた。


「……そういうことにはならないんだよ、ミリー」

「何でよ!」

「君はあの場では何も言っていないからだ」

「嘘! ちゃんと言ったじゃない! テオがリュシーと踊ればいいって!」


 いらいらした時の義妹の癖で、よそ行きだった言葉遣いが普段の調子に戻っている。


「リュシー」


 婚約者は、今度はリュシーに向き直った。


「君は自分の妹に、そんなことも教えていないのか?」

「……以前、テオフィル様とお茶をご一緒した時、彼女に注意しましたら、『今後一切彼女に近づくな。口もきくな』と言われましたので」


 婚約者同士が親交を深めるために設けられた茶会の席。そこに、ミリエルが断りもなく割り込んできた日のことだ。


「……っ。もういい! 行こう、ミリー」


 そう言うと、婚約者は義妹をエスコートしてどこかに行ってしまった。

 リュシーは、ほっと息を吐く。


(フィリクス殿下がすべて「聞かなかったこと」にしてくださったからいいようなものの……)


 下手をすれば、王族に不敬を働いたかどで、あの場で処罰されてもおかしくなかったのだ。


(……帰りたい)


 今帰れば、少なくとも両親たちが帰宅する深夜までは、一人静かに過ごせるだろう。


(でも、駄目ね。フィリクス殿下とのお約束があるもの)


 あのように言われた以上、最初のワルツは殿下と踊らなければならない。


 けれどもし、あの少年にその姿を見られたら。


 なぜか奇妙なうしろめたさをおぼえながら、リュシーはゆっくりと壁際に歩いていった。


◆◆◆


 この国では、その日デビュタントを迎える少女たちが初めてのダンスを踊るのは、舞踏会の半ば、ワルツが始まってからと決まっている。


 壁際にはビュッフェ形式で色とりどりの料理やお菓子が並び、招待客の間を縫うように歩く給仕たちが、銀盆に載せた赤葡萄酒のカクテル(ネガス)や、冷たくて甘いシロップ水(オルジェ)を配っていた。


(……どうしましょう)


 フィリクス殿下との約束を控えたリュシーは、時間と共にだんだん緊張してきていた。


(王子様とワルツだなんて)


 こんなみすぼらしい、流行遅れのドレスを着た年増の令嬢が。


(それに、さっきの――)


 中庭で会ったあの少年。

 さっきから招待客の顔ぶれを注意して見ているのだが、あの少年は見つからなかった。

 たまに良く似た背格好の後ろ姿にどきりとしても、それはいつもフィリクス殿下だ。

 そんなリュシーの耳に、近くの貴婦人たちが交わす会話が聞こえてきた。


「……まあ、残念。王弟殿下は、今夜はお見えになりませんの?」

「隣国からの帰り道、馬車が野盗に襲われたそうで。幸い、お怪我は軽く済んだものの……。例の王女殿下とは、よくよく巡り合わせがお悪かったようですわね」

「となると、今夜中のご帰還は難しいかしら。毎年、初舞台の舞踏会(デビュタント・ボール)にだけは必ずお出ましになりますのにねえ……」


「お義姉様」


 ふいに義妹の声がした。

 見れば、両手にグラスを持ったミリエルが、珍しく一人で立っている。


「どうしたの? テオフィル様は?」

「あちらで知り合いの方とお話ししているわ。それよりお義姉様、喉が渇いているんじゃない? 飲み物を持ってきてあげたわよ」


 義妹の手にしたグラスには、どちらも果実を浮かべた真っ赤な液体がなみなみと入っていた。おそらくネガス、赤葡萄酒を果実と香料で甘く味付けした混合酒だ。


「ありがとう。でも今はやめておくわ」


 普段、酒など滅多に口にしないリュシーである。万が一にも、酔って気持ちが悪くなったり、ワルツで足がもつれたりしては大変だ。


「まあ。せっかく持ってきてあげたのだもの。一口くらいいいじゃない?」


 言いながら、ミリエルは乱暴にグラスを押しつけてくる。


「ミリエル、やめて。そんなにグラスを揺らしたら……っ!」


 ぱしゃり。

 揺れるグラスの中身がはねて、赤い飛沫がリュシーのドレスに飛んだ。

 次の瞬間。


「きゃあ!」


 派手な声を上げながら、ミリエルがグラスをどちらも取り落とす。

 真っ赤な酒とともに、くし型に切られた柑橘や、茶色い粒状の香料が、リュシーのドレスの前面を盛大に流れ落ちた。


「いやだ、大変! 早くドレスを着替えなきゃ!」


 言いながら、義妹はぐいぐいとリュシーを出口の方へ引っ張っていく。


(……やっぱり)


 羞恥のあまり俯いて、されるがままになりながら、リュシーの一部は妙に冷静に考えていた。


(私が王子様とワルツを踊るだなんて、そんなこと起きっこないのだわ……)


「リュシー!」


 途中、婚約者の驚いたような声がした。


「ミリー。一体これは」

「お義姉様が、ドレスにお酒を零してしまったの。どこか、着替えられる場所にお連れするわね」


(……着替えられる場所も何も)


 ドレスの替えなど持っていない。

 案の定、大広間を出た途端、ミリエルは態度を一変させた。


「こんな姿じゃ、王子様とワルツどころか、もうここにはいられないわよね? おとなしく外で待ってれば、帰りの馬車には乗せてあげるわよ?」


 いい気味、と呟いて、ミリエルはどんとリュシーを突き飛ばした。

 その拍子に足をもつれさせたリュシーは、床に倒れそうになり――……。

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