第8話 査定官の帳簿は、支援職を消す
翌日、第7日の朝。
初期街の商業区は、迷宮へ向かう冒険者たちや商人たちの熱気で溢れていた。
俺とエリシアは、目抜き通りから一本外れた裏路地に潜み、大手薬材商会の搬入口を監視していた。
「……ユウ。マルドの残した帳簿の写しで、彼が支援職の功績を消していることは分かりました。すぐに彼を拘束し、不正を糾弾すべきではないのですか」
みすぼらしい外套を被ったエリシアが、待ちきれない様子で急かしてくる。
「ダメだ。帳簿一冊だけじゃ『事務的な記載ミスだ』と言い逃れられる。それに、システム自体が腐ってるなら、誰がどうやって利益を得ているのか、金の流れの物証を押さえないと制度は直せない」
俺は商会の裏口に横付けされた荷馬車を見つめながら、眼球に意識を集中させた。
『表層読み』。本日一回目。
視界が暗転し、空間のバグを示す赤い亀裂が浮かび上がる。
亀裂は、商会の従業員が積み込んでいる『高級ポーションの木箱』と、彼らが持つ『治癒院行きの伝票』の間で激しく明滅し、矛盾する残像を描いていた。
本来、ギルドの補助金で治癒院に納品されるはずの薬材だ。だが、現物の木箱は治癒院の方向ではなく、有力冒険者たちが拠点とする高級宿の方向へと運ばれていく。
「なるほどな。治癒院へ行くはずの物資を途中でせき止めて、商会に還流させてるんだ」
「ギルドの資産を、ですか?」
「ああ。そして商会はそれを、金を持ってる有力冒険者に高値で直接売りさばく。帳簿上は治癒院に支援したことになっているから、誰も気づかない」
俺たちはさらに街を歩き、今度は職人街と、迷宮の素材が集められる結晶鉱区の集積所へと足を運んだ。
そこで、武具の修繕を請け負う老職人バルクの『修理記録』や、迷宮の案内役たちが残した『警告と避難誘導の記録』の束を現物で集めた。彼らもまた、ミレナと同じように「冒険者を直接殺していないから」という理由で、ギルドからまともな報酬を払われていない者たちだった。
集めた記録の束を抱え、人気のない路地裏でマルドの査定帳簿の写しと重ね合わせる。
『表層読み』。本日二回目。
頭痛が脳を揺らす。視界の中で、別々に集めた物理的な記録の束が、一本の明確な因果の線で結びついた。
老職人バルクの修理記録。案内役の誘導記録。ミレナの治癒記録。
それらの『支援の功績』から伸びた無数の赤い亀裂が、空中でねじれ、マルドの帳簿に記された数名の『有力冒険者』の名前へと一斉に吸い込まれていく。
「……完璧な錬金術だ」
俺は表層読みを解除し、こめかみを押さえながら吐き捨てた。
「マルドは、支援職が稼いだ見えない功績を、全部特定の上級攻撃職の『手柄』として付け替えてるんだ。上級者は不当に水増しされた討伐点で、ギルドから莫大な報酬を得る。その金で、さっきの商会から高値でポーションを買う」
「まさか。それでは、マルド査定官自身には何の利益もないのでは?」
「商会から『手数料』をもらってるのさ。有力な顧客へ横流しした見返りにな」
支援職を切り捨てて街を貧しくしているのは、魔獣でもなければ、仕様でもない。マルドという一人の査定官の私腹を肥やすための、悪意あるエコシステムだ。
その全貌を理解した瞬間、エリシアの周囲の空気が凍りついた。
「……人間の、貪欲。命を救うための仕組みを、己の利益のために歪めたというのですね」
彼女の外套の隙間から、黄金の光が漏れ出す。
「許せません。今すぐ私の権能で、あの愚かな査定官の身体をこの世界から――」
「やめろ、エリシア!」
俺は咄嗟に彼女の肩を掴み、その神威を封じ込めた。
「神罰でそいつを消しても意味がない! 『悪い奴が女神に殺されました』で終わっちまう。マルドが死んでも、支援職は無報酬のままだ。別の査定官がまた同じ抜け道を使うだけだぞ」
エリシアはハッと息を呑み、漏れ出していた光を収めた。
「……では、どうすれば」
「大勢の前で証明するんだ。マルドの言う『攻撃職に資源を集中させるのが一番効率がいい』っていう根前提が、完全に間違っていることをな」
俺は集めた記録の束を強く握りしめた。
「制度の再現性を叩き壊す。そのための見せ方を、あんたと俺で設計するんだ」
その日の午後、俺はギルドの窓口を通じ、マルドに対して正式な『公開検証』を叩きつけた。
条件は簡単だ。
明日、初心者迷宮の同じ階層へ、同じ時間帯に二つのパーティを潜らせる。
一方は、マルドの理論に基づく「支援職を完全に抜いた攻撃特化の隊」。
もう一方は、俺が編成する「治癒師、修理職、案内役などの支援職を組み込んだ隊」だ。
どちらが真に損耗率が低く、安全に資源を持ち帰れるかを、街の冒険者とギルド役員全員の前で競う。
マルドはこの提案を、せせら笑いながら受諾した。
『死人の数を数えるしか能のない帳簿屋が、現場の効率を語るとはな。いいだろう、特別にギルドの標準装備も貸与してやる。公開の場で、支援職という無駄な存在が前線の足手まといにしかならないことを証明してやろう』
奴は自分の理論に絶対の自信を持っている。俺たちを衆人環視の中で論破し、今後一切の反論を封じる腹積もりなのだ。
そして、夜。
俺は治癒院の裏庭で、ギルドから貸与されたという木箱を開けていた。
明日、俺の編成した隊に参加してくれるミレナや、老職人バルクたちが身につけるための標準装備だ。一見すると、何の変哲もない革鎧と、ごく一般的な治癒用の杖に見える。
「……ユウ。検証の準備はこれでいいのですか?」
背後からエリシアが不安そうに声をかけてくる。彼女は明日、俺の要求通り、観測幕の内側から術式を維持するだけで、一切姿を見せない手はずになっている。
「ああ。……いや、待てよ」
俺は革鎧の胸当てを持ち上げ、指先で留め具の金具をなぞった。
ざらりとした、不自然な感触。
ランタンの光を近づけてよく見ると、金具の爪の部分が、やすりのようなもので極限まで薄く削られていた。迷宮内で魔獣の攻撃を受ければ、いや、ただ激しく動いただけでも留め具が弾け飛び、鎧が外れるようになっている。
さらに、治癒用の杖の魔力回路が通る木目にも、髪の毛ほどの細い亀裂が意図的に刻まれていた。これでは、いざという時に魔力が暴発して使用者の手を焼く。
「……なんて野郎だ」
俺は削られた金具を握りしめ、低く唸った。
マルドは、己の『攻撃特化こそが効率的である』という理論の正しさを心底信じているような口ぶりだった。だが裏では、俺たちの検証チームが迷宮で確実に死ぬように、あらかじめ装備に細工を施していたのだ。
正当な検証などする気は毛頭ない。敵は最初から、ルールの外側で俺たちを殺しに来ている。
「ユウ、これは……!」
「ああ。敵さんが、ご丁寧に検証条件を壊してくれたってわけだ」
俺は細工された杖を木箱に戻し、暗い夜空を見上げた。
ふざけた仕様を押し付ける悪党を、明日の公開の場でどうやって引きずり下ろすか。俺の頭の中では、すでに冷酷なまでの反撃の設計図が組み上がりつつあった。




