第7話 死亡率三割を、腕不足で済ませる男
初期街の北端に口を開ける『初心者迷宮』は、その穏やかな名前に反して、むせ返るような鉄と血の匂いが漂う鉄火場だった。
第6日の昼前。俺とエリシアは、迷宮の入り口から少し離れた岩場から、出入りする冒険者たちを観察していた。
「……ひどい有様ですね。あれのどこが初心者用だと言うのですか」
目深にフードを被ったエリシアが、嫌悪感を隠さずに呟いた。
迷宮から出てくる者たちは、大きく二つの層に分かれている。一方は、立派な鎧を着込み、魔獣の素材が詰まった袋を抱えて談笑する上級者たち。もう一方は、傷だらけの粗悪な装備を引きずり、青ざめた顔で上級者の後ろをついて歩く新人たちだ。昨日、治癒院に運び込まれてきた剣士と同じ顔をしている。
マルドの査定帳簿では、新人の死亡率が三割を超えている理由は「彼らの腕不足」の一言で片付けられていた。だが、現場の光景は明らかに別の事実を物語っている。
俺は眼球に意識を集中させ、本日一回目の『表層読み』を発動した。
視界の色が褪せ、迷宮の入り口周辺に空間のバグを示す赤い亀裂が走り出す。
亀裂が過去数日間の残像を描き出し、時系列順に出来事を検証していく。
見えたのは、上級者パーティによる異常な『高速周回』の痕跡だった。彼らは利益効率を最大化するため、新人を囮や荷物持ちとして安値で雇い入れている。十分な支援も休息も与えられず、新人はただ上級者の背中を必死に追いかけるしかない。
さらに最悪なのは、上級者が下層へ急ぐあまり、道中の魔力を乱暴にかき回していることだった。彼らが通った後には『魔力流の過負荷』が発生し、それに当てられた浅い階層の魔獣たちが異常に狂暴化する。
上級者が討ち漏らした狂暴な魔獣が、最後尾を歩く支援不足の新人たちへ集中的に襲いかかる。
それが、新人だけが死に続ける迷宮のからくりだった。
「新人が弱いから死んでるんじゃない。上級者が効率よく稼ぐための皺寄せが、全部新人に向かってるだけだ」
俺が残像から読み取った事実を伝えると、エリシアは眉根を寄せた。
「神界の統計が上級者の討伐点しか計測していないから、こうした構造的な搾取が隠れてしまうのですね……。ですが、なぜ浅い階層の魔力流がこれほど簡単に過負荷を起こすのでしょうか? 迷宮の構造自体に欠陥があるとしか思えません」
「同感だ。根本の切替点を見つけないと、マルドの帳簿を暴いたところでまた同じことが起きる」
俺たちは冒険者たちの目を避け、入り口の脇にある人目のない古い坑道へと足を踏み入れた。
坑道の中はひんやりと暗く、岩肌には微量の魔力結晶がへばりついている。
表層読みの視界では、赤い亀裂が地下の奥深くへと向かっていることしか分からない。この迷宮の魔力流がどのように設計され、どこが狂っているのか。それを特定するには、もう一段階深く潜る必要があった。
『深読み』。
原則一日に一回。因果の最深部に触れる観測。
まばたきをした瞬間、脳髄を焼き切るような激痛が走った。
「――ッ!」
視界が明滅し、現在の古い坑道の景色と、過去の記憶のフラッシュバックが暴力的に混ざり合う。
視界が赤く染まり、泥土の冷たさが肌を刺す。青鈴花を結びつけた採取籠の取っ手が、風に揺れて高く鳴る金属音。
『お兄ちゃん、逃げて』
途切れたノアの声。どれだけ手を伸ばしても届かない、命が滑り落ちていくあの絶対的な無力感と絶望が、俺の喉を締め上げた。
息ができない。九年前のあの日に引きずり込まれる。
膝から崩れ落ちそうになったその時、俺の右手を、冷たくて柔らかな両手が力強く包み込んだ。
「息をして、ユウ! こちらを見なさい!」
エリシアの声だった。
手を握られた瞬間、神力が流れ込み、脳を焦がしていた失敗痛の反響が強制的に遮断された。
荒い息を吐きながら顔を上げると、フードが脱げたエリシアが、俺の顔を真っ直ぐに覗き込んでいた。彼女の瞳には、神の威厳も、術式接続という高貴な言い訳もない。ただ、目の前で壊れかけている人間を案じる、痛切な憂いだけがあった。
「……悪い、助かった」
「あなたは本当に……自分の精神を何だと思っているのです。観測装置ではないのですよ。痛むのなら、すぐに私を頼りなさい」
エリシアは俺の右手を握ったまま、少しだけ安堵したように息を吐いた。
彼女の手の温もりが、ここが九年前の採取場ではなく、現在の迷宮の坑道であることを思い出させてくれる。
痛みが引いた澄み切った視界で、俺はついに迷宮の魔力流の根本的な歪みを捉えた。
「……見えたぞ。これは、自然発生したバグじゃない」
俺は赤い亀裂の終点――迷宮の最深部を指差した。
「魔力流の通り道に、意図的な『堰』が作られてる。浅い階層に流れるはずの魔力を強引にせき止めて、地下の深い階層にだけ高密度の魔力を集中させる設計だ」
エリシアが息を呑んだ。
「それは……『英雄生成配置』。ヴァルドレン審査長が推奨する、強力な魔獣を人工的に発生させ、質の高い英雄と資源を効率よく生み出すための神界の仕様です。こんな辺境の迷宮にまで組み込まれていたなんて……」
英雄生成配置。その言葉の響きに、吐き気がした。
強力な魔獣を生み出し、上級者にそれを狩らせることで莫大な資源を得る。その構造を維持するために、浅い階層の魔力流は常に不安定になり、過負荷を起こしやすくなっていたのだ。
ノアが死んだ安全指定の採取場も、これと同じ配置の皺寄せだったのではないか。そんな疑念が脳裏をよぎるが、今は目の前の問題が先だ。
原因の切替点は分かった。俺が場所を教え、エリシアがその堰を壊せば、魔力流は正常化し、新人が不条理な死を迎えることはなくなる。
だが、俺はエリシアに修正の指示を出せなかった。
「……直せない。単純に安全にするだけじゃ、ダメだ」
「どうしてですか? 原因が分かったのなら、私がすぐに――」
「考えてみろ。この迷宮の地下で生まれる強力な魔獣のドロップ品が、上級者たちの主要な収入源になっているんだ」
俺は坑道の出口の方角――活気に満ちた、いや、活気を装っている初期街の方を見た。
「俺たちが魔力流を正常化して、強力な魔獣が出なくなったらどうなる? 上級者たちの収入は激減し、街に落ちる金も消える。冒険者が離れれば、街を魔獣から防衛する戦力もいなくなるんだぞ」
マルドの言っていた「弱者を切り捨てることで、街全体が生き残る」という言葉が、重くのしかかってくる。
奴の査定は腐っているが、この街の経済がその歪んだ仕様の上に成り立っているのは事実なのだ。俺たちが己の正しさだけで魔力流を修正し、新人の命を守れば、今度は上級者たちの生活が崩壊し、結果的に街全体が死ぬ。
命を守るという正しさが、誰かの明日を奪う。
それが、神が設計したこの世界の残酷な現実だった。
「……じゃあ、どうするのですか。このまま新人が死に続けるのを黙って見ているとでも?」
エリシアが、俺の手を握る力をわずかに強めた。
「いいや。黙ってはいない」
俺は空いている左手で、腰の死亡台帳を掴んだ。
「マルドの帳簿の改竄は事実だ。あいつは支援職の功績を消し、私腹を肥やしている。まずはそれを表に引きずり出す」
システムを根底から直すには、ただの安全化では足りない。上級者も、新人も、支援職も、すべてが回る新しい仕組みをこいつと一緒に作る必要がある。
戦いは、現場の魔獣とではなく、この街の人間と制度そのものに向けられようとしていた。




