第30話 まず、余っている光を返せ
第30日の朝。王都の中央広場は、凄まじい喧騒に包まれていた。
昨日の輸送橋崩落の知らせは瞬く間に広がり、不安に駆られた一般市民と、光脈庁からの突然の呼び出しに反発する貴族や神殿の関係者が、広場を埋め尽くすように押し寄せていた。
群衆の怒号が飛び交う中、俺は広場に設営された壇上に立っていた。
左側から聞こえる声は、分厚い布越しのようにくぐもっている。高い怒声や金属の擦れる音は完全に消え去り、右耳で拾う音と頭の中でズレを起こして軽い目眩を誘発した。二度目の深読みによる聴覚の欠損。だが、その不便さを気にかけている余裕はなかった。
俺の背後には、王都光脈庁長官ヘルムートが用意させた、巨大な光脈の配分盤がそびえ立っている。
「これより、王都の魔力流の公開実測を行う」
俺は声を張り上げ、眼球に意識を集中させた。
『表層読み』。本日一回目。
視界が暗転し、配分盤の裏側から王都の地下へ伸びる無数の光の脈動が、色分けされた線となって浮かび上がる。
俺は手元の実測板に数値を書き出しながら、太い光の束の因果を一つずつ声に出して分離していった。
「現在、『公共安全枠』という一つの名目で束ねられている魔力の総量は一万二千。そのうち、防壁の維持、中央病院の治癒補助、食糧庫の温度管理に使われている『命の光』は、全体の約六割だ」
俺は実測板の数値を群衆に見えるように掲げた。
「残りの四割。それがどこへ流れているか。貴族区の巨大な庭園の気候を年中春に保つための環境維持、神殿の権威を示すための無駄な終夜照明、そして来月の祝祭のための莫大な予備光だ!」
広場がどよめいた。
安全を守るためだと言われていた枠の中に、特権層の娯楽と体面のための魔力が大量に隠され、混在していたのだ。昨日の橋の崩落は、この四割の『特権余剰』が、防壁へ行くべき魔力を吸い上げ続けていた結果だった。
「馬鹿なことを言うな! 神殿の明かりを消せば住民の不安を煽ることになる!」
「我々の庭園の維持は、王都の文化水準の証明だ! たかが一部の壁が崩れたからといって、特権を侵害する気か!」
前列に陣取っていた貴族と神官たちが、顔を真っ赤にして激しい抗議の声を上げた。一般市民との間で小競り合いが起きかける。
「静まれ」
その混乱を切り裂いたのは、壇上の端で黙って成り行きを見ていたヘルムートだった。
彼は完璧にアイロンのかかった服を翻し、抗議する特権層の前に冷徹な顔で進み出た。
「長官! 我々の権利を守ると約束したはずだぞ!」
「ええ。平時であれば、あなた方の支持を得るという『政治的配慮』は光脈庁の予算を通すために極めて合理的でした」
ヘルムートは配分盤の前に立ち、特権区画へ繋がる巨大なレバーに手をかけた。
「ですが、隠されていたデータは今、完全に公開されました。ここであなた方を庇い、王都という器そのものが割れるリスクを負うことは、長官として全く合理的ではない」
ガコンッ、という重い金属音が広場に響いた。
ヘルムートは自らの手で、特権区画へ向かう余剰停止のレバーを引き下ろしたのだ。
直後、配分盤の表示が劇的に切り替わる。貴族区の庭園と神殿へ向かっていた太い光の束が物理的に断ち切られ、行き場を失った莫大な魔力が、息も絶え絶えになっていた中央病院の治癒網と、食糧庫の維持網へと一気に流れ込んだ。
「なっ……貴様、正気か!」
「文句があるなら神界の監査が終わった後、私を罷免するなり好きになさい」
政治の壁に守られていた不可侵の特権が、衆人環視の事実の前に切り崩された。特権層は歯噛みするが、誰も彼を引きずり下ろそうとはしなかった。
暗く閉塞感のある状況下で、誰の目にも明らかな、透明で公平な小勝利の瞬間だった。
「……だが、まだ足りない」
歓声を上げる一般市民に向け、俺は厳しい現実を突きつけた。
「特権の余剰をすべて回しても、世界炉からの絶対的な供給不足と、各地で始まっている光脈の劣化は補いきれない。王都も、辺境も、両方を救うためには、根本的な構造の再設計が必要だ」
俺は背後の黒板に、新しい設計案の概要を書き出した。
「防壁の規模縮小、外縁区画からの一時移住、そして商業区への供給制限。……王都の住民にも、痛みを伴う損失を受け入れてもらう必要がある」
広場が再びざわつく。昨日の崖上村と同じだ。人は自分の生活が脅かされるとなれば、途端に合理性を失って反発する。
「黙って俺の言う通りにしろとは言わない」
俺は、以前ノクトが監査記録に明記した一文を思い出しながら言った。
「損失と代替策はすべて公開する。その上で、対象地域ごとに同意の署名を集めるんだ。俺たちはそれを『地域連署』と呼ぶ。この連署が集まれば、神界の法に則って正規の改修として登録され、審査長でも勝手に止めることはできなくなる」
俺の提案に、群衆の中から一人の少女が進み出た。初期街から応援に駆けつけていた見習い治癒師のミレナだった。
「ユウさん。あなたの設計案にある、病院の予備魔力を一律で削減する項目には反対します」
彼女の凜とした声が、広場によく通った。
「魔力が減れば、重症患者の生命維持装置が止まります。削減を受け入れる前に、患者を安全な地下の魔力溜まりのある地域へ移送するための『患者移送網』を、各治癒院の馬車を総動員して先に組むべきです。それが実行されるなら、私たちは連署に署名します」
俺は、彼女の言葉に小さく息を吐き、口角を上げた。
俺が正解を押し付ける必要はない。住民自身が損失を計算し、具体的な代替案を交渉してくる。俺は彼女の提案を受け入れ、黒板の設計案をその場で修正した。
会議の終盤。
壇上の隅で、神力を使えないため裏方の記録作業に徹していたエリシアの前に、泥だらけの服を着た初老の男が立った。昨日、集落を失った北縁避難民の代表だった。
「……女神様よ。あんたが百年間も真実を隠していたせいで、俺たちは故郷を失った。あの怒りが消えたわけじゃねえ」
男の重い言葉に、エリシアは一切の弁解をせず、ただ深く頭を下げた。
「だが、あんたが泥水にまみれて別の水路の人間を助けたって話は聞いてる。……あんたの続投を認めるかどうかは、すべてが終わった後に、俺たち住民が決めることだ。それまでは、死に物狂いで働きな」
男が去った後、エリシアは顔を上げた。
その瞳には、かつてのような恐怖はなかった。彼女は自分が住民から失望されている事実から目を逸らさず、それでも「許されたい」のではなく「この世界の人々に選ばれて残りたい」のだという強い渇望を、はっきりと自覚していた。
「ユウ、全地域の連署が集まれば、あなたの再設計図は完成します」
エリシアが、微かに震える声で俺に囁いた。
「ああ。王都の特権を切り崩し、辺境と魔力を融通し合う新しい光脈網だ。これならヴァルドレンの耐久試験にも耐えられる」
「……ですが、それを実行するための『橋渡し』が足りません」
彼女の言葉に、俺の背中が冷えた。
「新しい光脈へ繋ぎ変えるには、一瞬だけ世界全体の魔力流を支える巨大な緩衝材――莫大な神力が必要です。ですが、権限を返上し、ペナルティを受けた今の私には、その力が決定的に不足しています」
知恵と合意で設計図を作っても、最後にそれを物理的に起動させるための動力が足りない。
神界の監査を乗り切るための最後の壁が、重く冷たく、俺たちの前に立ちはだかっていた。




