第17話 俺たちの修正を、住民が止める
第17日の朝。
崖上村の集会所には、数日前と同じように村人全員が集まっていた。
昨夜の灯籠祭が無事に再開され、新しく設計された採取路の運用も始まったことで、村の空気は活気に満ちている。だが、集会所の前方に立つ俺の表情は硬かった。隣に立つエリシアも、静かに居住まいを正している。
俺は集まった住民たちを見渡し、ゆっくりと口を開いた。
「皆、昨日は俺たちの再設計案を受け入れてくれて感謝する。だが、俺は今日、感謝を伝えるためだけに皆を集めたわけじゃない」
俺は深く息を吸い込んだ。
「数日前、俺はこの集会所で、危険な採取路の『一時閉鎖』を推奨した。あの時、俺の目には道が崩落するという危険な事実だけが見えていた。……だが、同時に、道を塞ぐことに対する奇妙な違和感も覚えていたんだ」
村人たちが、静まり返って俺の言葉に耳を傾ける。
「俺は、その違和感を押し殺した。自分が測定した『物理的な安全』という正しさを過信し、あんたたちが長年培ってきた文化や、この村で生きるための経済の循環という見えない価値を切り捨てた。その結果、若者たちは村を捨てかけ、村は完全に干からびて死ぬところだった」
言い訳はしない。
俺の判断が、この村の未来を根こそぎ奪いかけたのは事実だ。
「俺は、あんたたちに謝罪しなければならない。現場の観察者を自称しておきながら、俺は村の生活を何も見ていなかった」
俺が頭を下げると、隣にいたエリシアも一歩前に進み出た。
「……私も、同罪です」
彼女は村人たちへ向けて、静かに、しかしはっきりとした声で告げた。
「あの夜、皆さんは多数決で道の閉鎖に賛成しました。ですが、皆さんが民主的な手続きで同意したからといって、管理する側の責任が免除されるわけではありません。私は創造女神でありながら、皆さんの文化の価値を最後まで読み解けず、ユウの過信を止められなかった。……申し訳ありませんでした」
集会所は、重い沈黙に包まれた。
村人たちは黙って俺たちの告白を聞いていた。誰も「助けてもらったのだから気にしていない」とは言わないし、「女神様が頭を下げるなんて」と慌てて平伏する者もいない。
彼らもまた、一度村が死にかけたという現実を、身をもって知っているからだ。
やがて、村長と、出稼ぎから戻ってきた若者の代表が一歩前に進み出た。
「……監査官殿。女神様。頭を上げてください」
村長は深く刻まれた顔の皺を寄せ、真っ直ぐに俺たちを見た。
「謝らなければならないのは、私たちも同じです。私たちは、神界の権威や『安全』という言葉に思考を停止し、自分たちの生活基盤を自らの多数決で手放してしまった。誰かに全部任せて従うだけでは、村は守れないと痛感しました」
若者の代表が、村長の言葉を引き継ぐ。
「だから、俺たちから一つ条件を出させてくれ」
彼は俺たちを睨み据えるようにして言った。
「あんたたちがこれから先、どんなに正しい数字や安全な提案を持ってきたとしても、それが俺たちの生活を壊すと判断した時は、俺たち住民の意思でその作業を止めさせてもらう。住民代表に『修正停止権』を与えてほしい。それが、あんたたちをもう一度この村の担当として認める条件だ」
それは、神界の絶対的な権限に対する明確なブレーキの要求だった。
「……分かった」
俺は迷うことなく頷いた。
「監査官と女神の提案を、住民が現場の判断で拒否できる。極めて健全なルールの追加だ。その条件で、改めて契約を結ぼう」
エリシアも横で静かに頷く。
謝罪と涙でなぁなぁに許し合うのではなく、権限を分散させ、互いに監視し合うための実務的な契約。これで俺たちは、上から村を救う者ではなく、同じ村の未来を作る対等な関係になったのだ。
会議の空気が少しだけ緩んだ時、若者の一人が不思議そうに俺の腰元を指差した。
「でも、監査官殿はどうしてそこまで他人の記録にこだわるんだ? 今回だって、俺たちの祭りの習慣とかを細かく聞いて回ってたじゃないか」
「……これか」
俺は腰に提げていた『死亡台帳』を取り出し、その一番最初のページを開いた。
そこには、誰の死亡記録も書かれていない。
代わりに、古びて色褪せた青鈴花の押し花が一つ挟まれており、その下に、子どもの丸っこい字で短い一行だけが書かれている。
『青鈴花が閉じたら、風が変わる』
「これは、九年前に死んだ俺の妹、ノアの字だ」
俺は押し花を見つめながら、淡々と事実だけを口にした。
「ノアは、大人が気づかないような風の変化や金属音をよく観察していた。だが、大人は誰も子どもの言葉を信じず『気のせいだ』と笑って無視した。その結果、妹は魔獣の異常発生に巻き込まれて死んだ」
俺は帳面を閉じ、若者を見た。
「子どもの気のせいだと思われていたこの一行こそが、あの安全指定区域に潜んでいた世界のバグの真実に一番近づいていたんだ。……だから俺は記録する。誰のどんな小さな観察も、二度と無視されて消されないようにな」
長い感傷は必要ない。妹が残した物理的な観測の事実だけが、俺がここに立っているすべての理由だった。
集会所に、静かな理解と共感が広がっていくのを感じた。俺たちはこれでようやく、ルミナリエルという世界の歪みに、住民と共に立ち向かうためのスタートラインに立てたような気がした。
――だが、その安堵は、けたたましい警告音によって無惨に引き裂かれた。
「……っ!」
集会所の隅でずっと壁にもたれかかっていたノクトが、持っていた分厚い書物を激しく弾き開いた。
書物のページが、目に刺さるような異常な赤い光を放ち、周囲の空気を震わせている。
「ノクト、どうした!?」
エリシアが顔色を変えて駆け寄る。ノクトは赤く光る文字列を無機質な瞳で読み取り、ゆっくりと顔を上げた。
「神界からの緊急通達です」
ノクトの平坦な声が、集会所の静寂に冷たく響き渡る。
「神界審査長ヴァルドレンが、彼個人の日程権限を単独で行使しました。現在行われている世界監査のスケジュールが、大幅に変更されます」
「変更だと? 最終期限まで、まだ三週間以上あるはずだぞ」
俺の問いに、ノクトは無慈悲な事実を突きつけた。
「最終期限ではありません。神界が直接ルミナリエルの状況を査定する『中間監査』の日程です。本来であればもっと先に行われるはずだったその監査が……前倒しされました」
嫌な汗が背中を伝う。
「いつだ」
「『第22日』です」
ノクトの言葉に、俺とエリシアは息を呑んだ。
今日は第17日。つまり、神界の最高権力者がこの世界を直接見定めに来るまで、あとたったの『五日』しか残されていないということだ。
住民との協働の形が見え始めた矢先に突きつけられた、悪意すら感じるほどの強引な日程の短縮。
世界を効率と英雄だけで回そうとする男の足音が、すぐそこまで迫っていた。




