第11話 支援職にも勝利を配れ
第10日。マルドをギルドから引きずり下ろした俺たちは、息をつく暇もなく次の段階へと移行していた。
初期街に隣接する初心者迷宮の浅い階層。薄暗い石造りの通路で、前衛の剣士が二頭の低級魔獣と刃を交えている。だが、今日の検証の主役は彼ではない。
剣士の後方に控える、見習い治癒師のミレナ、老職人バルク、そして迷宮の案内役の三人だ。彼らの腰には、一昨日俺が設計し、エリシアが夜通しで術式を刻み込んだ木札――『功績札』が下げられている。
「右側の壁、崩落の兆候あり! 前衛、左へ二歩寄れ!」
案内役が叫び、手元の功績札の表面を親指で強く押し込む。
前衛が指示通りに動き、直後に右側の壁から岩の塊が崩れ落ちた。剣士が体勢を崩した隙に魔獣の爪が肩を掠めるが、ミレナがすかさず治癒術を放つ。
「浅傷、塞ぎました!」
彼女もまた、行動と同時に自身の功績札をタップした。戦闘の合間、バルクが剣士の盾に生じた歪みをハンマーで素早く叩き直す。
俺は少し離れた安全な位置から、眼球に意識を集中させた。
『表層読み』。本日一回目。
視界が暗転し、空間の因果が視覚化される。
マルドの査定帳簿を見た時は、彼らの支援行動から無数の赤い亀裂が生じ、有力冒険者の名前へと不自然にねじ曲げられて吸い込まれていた。だが今は違う。
案内役が警告を発し、ミレナが治癒し、バルクが修理する。その一つ一つの行動から伸びた因果の線は、迷子になることなく彼ら自身の腰にある『功績札』へと真っ直ぐに繋がり、淡い光となって固定されていた。
誰が、いつ、どこで、何をしたか。
他人が後から書き換えることのできない、現場の物理的な記録が完成した瞬間だった。
「よし、魔獣の沈黙を確認。試験は成功だ」
俺が表層読みを解除して声をかけると、ミレナたちは安堵の息を吐き、互いの功績札を見せ合って笑い合った。
俺の提案したシステムは完璧に機能している。これで支援職がタダ働きさせられる構造的なバグは消え去る。そう確信して迷宮の入り口へ戻った俺たちを、厳しい顔つきの男が待ち構えていた。
初心者迷宮の防衛と新人育成を束ねる隊長、ガルドだった。
「ちょっと待ちな、監査官殿」
ガルドは傷だらけの腕を組み、俺の前に立ち塞がった。
「マルドを追い出してくれたことには感謝する。あんたの作ったその『功績札』の理屈も聞いた。だがな、俺はこの制度をそのまま現場に導入することには反対だ」
「どういうことだ。行動が記録されれば、誰も損はしないはずだろ」
俺が問い返すと、ガルドは鋭い声で切り捨てた。
「行動するだけでポイントが入るなら、どうなると思う? 報酬欲しさに、放っておいても治るような擦り傷にまで過剰な治癒をかける奴が出る。影に怯えて、嘘の警告を叫んで隊列を乱す奴が出る。そんな真似をされちゃ、責任の所在が曖昧になって部隊が崩壊するんだよ」
ガルドの言葉に、俺はハッと息を呑んだ。
新人を死なせたくないという、現場の指揮官としての真っ当な危機感だ。
俺はシステムの「記録の正確さ」ばかりに気を取られ、「それが人間の行動をどう歪めるか」という運用の視点がすっぽり抜け落ちていた。
「完全な自動判定システムは、現場を危険に晒す。俺たち現場の人間が欲しいのは、機械の点数じゃない。誰が本当に命を救ったかという実感だ」
ガルドの指摘は、ぐうの音も出ないほど正しかった。
「……あんたの言う通りだ。俺の設計が浅かった」
俺は素直に非を認め、手元の記録帳を開いた。
「なら、こうしよう。功績札の記録は自動で残るが、迷宮を出た後、それが『本当に必要な支援だったか』を隊長が承認する。札の裏面に『隊長判断欄』を追加し、あんたたちの権限で弾けるようにするんだ」
「……ほう」
「隊長が不当に弾けば、今度は隊長の評価が下がる仕組みもギルド側に入れる。これで責任の所在は明確になるはずだ。どうだ?」
俺が修正案を提示すると、ガルドは少しの間考え込み、やがてニヤリと口角を上げた。
「悪くない。それなら俺たちも納得して札を使える」
その日の夕方。
初期街のギルド集計所は、今までとは全く違う熱気に包まれていた。
隊長の承認を得た功績札が次々と集計機にかけられ、チャリン、チャリンと硬貨の鳴る音が響き渡る。
「ミレナさん、本日の治癒・救命功績により、銀貨二十枚。バルクさん、野戦修理により銀貨十五枚です」
窓口で正当な報酬を受け取ったミレナが、信じられないというように銀貨の入った袋を両手で握りしめた。彼女の目から、昨日までの絶望とは違う、安堵と達成感の涙が溢れる。
彼らはもう、誰かの犠牲になるだけの敗残兵ではない。戦わなくとも命を繋いだ『勝者』として、今ここに立っているのだ。
同時に、集計所の奥では新たな設備の試験導入が始まっていた。
街の地下を走る光脈を利用し、別の街の集計所との間を繋ぐ『光信機能』だ。遠隔地へ映像や長い会話を送ることはできない。時刻、場所、短い観測文、そして功績札の番号だけを中継する無骨な通信網。
だが、この短文の通信網があれば、どこかの街の査定官が密室で帳簿を書き換えても、別の街の記録と矛盾が生じてすぐに発覚する。俺一人で監視しなくても、世界中の住民が互いの記録を証明し合う基盤ができたのだ。
「これで、一歩前進だな」
俺は喧騒から少し離れた壁際で、腰の死亡台帳を取り出した。今日の検証結果と、ガルドから指摘されて追加した隊長判断欄の仕様を書き留めておこうとした時だ。
「……ん?」
帳面を開いた俺は、思わず目を丸くした。
俺の書き殴った汚い字の横の余白に、美しく輝く『金色の文字』で、見慣れない注釈がびっしりと書き込まれていたのだ。
『※光信機能の試験結果:近隣の街への転送遅延は約五分。辺境へは中継器の魔力負荷により半日ほどの遅れが生じる可能性あり。光脈の劣化が原因。各集計所のデータ同期時刻は、深夜に統一することを推奨』
それは、神界の知識を持つ者でなければ分からない、極めて実用的な技術的仕様の補足だった。
俺は顔を上げ、少し離れた柱の影に視線を向けた。そこには、すっぽりと外套を被ったエリシアが、そっぽを向いて立っている。
「おい、エリシア」
俺が帳面を振りかざして近づくと、彼女の肩がビクッと跳ねた。
「勝手に人の帳面を読んだな。しかも直接書き込みやがって」
「ち、違います! 勝手に読んだのではありません!」
エリシアは外套のフードを深く引き下げ、激しく動揺した声で言い返してきた。
「あなたの書いたシステムの運用設計に、技術的な懸念点があったからです! 創造女神として、通信網の負荷計算を放置するわけにはいかなかっただけで……決して、あなたの個人的な記録に興味があったわけでは……っ」
早口で弁解する彼女の耳元が、微かに赤く染まっているのが見えた。
俺の書いた泥臭い観察記録と、女神が記した金色の技術注釈。対立から始まったこの帳面は、いつの間にか、俺たち二人の共同成果物へと変わりつつあった。
その時、集計所の奥に設置された受信卓が、甲高い音を立てて光を放った。
神界から送られてきた、世界評価の更新通知だ。
そこに刻まれた文字を見て、役員の一人が震える声で叫んだ。
「……世界評価の順位が、上がりました! 我がルミナリエルが、最下位を一つ脱出しました!」
集計所の中が、割れんばかりの歓声に包まれる。
英雄が魔獣を殺したからではない。支援職の地道な行動が評価され、世界を維持するための資源出力を押し上げたのだ。
俺たちは確かに、この壊れかけた世界の一部を正常な方向へと動かした。
だが、安堵は長くは続かなかった。
歓声の裏側で、俺の頭の中にノクトが言っていた言葉が蘇る。
――統計上の『安全』と、現場の『危機』が乖離している。
システムを直せばすべてが上手くいくわけではない。その冷酷な現実が、すぐそこまで迫っていた。




