第10話 頭を下げたのは、俺にではない
公開検証の劇的な結末に、初期街のギルド前広場は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
証拠となる裏伝票を突きつけられたマルドは、もはや一切の反論ができず、石畳の上に力なくへたり込んでいる。事態の収拾に追われるギルドの役員たちは、群衆の怒りを鎮めるために躍起になっていた。
「マルド! 貴様の査定資格は即刻剥奪だ! この上は全財産を没収の上、迷宮の最下層での強制労働か、街からの永久追放を――」
「待て。そんな派手な罰はいらない」
激高する役員を、俺は冷ややかな声で制止した。
群衆の怒りを逸らすための、典型的なトカゲの尻尾切りだ。悪党が悲惨な末路を辿れば、確かに野次馬はスカッとするだろう。だが、そんな感情的な報復をしたところで、壊れた生活は一ミリも直らない。
「こいつを追放しても、赤字を抱えた治癒院の借金は消えないし、無報酬で武器を直した職人の腹は膨れない。刑罰で誤魔化すな」
俺はギルド役員たちに、書き留めておいた要求のメモを突きつけた。
「マルドの査定資格の永久停止。不正に癒着していた薬材商会とのギルド契約解除。そこまではいい。だが一番重要なのは、奴の口座と商会にプールされている不正な利益を全額差し押さえ、被害者たちへ一ゴールドの狂いもなく『返還』することだ。処罰より、被害の回復を最優先にしろ」
役員たちは顔を見合わせたが、神界公認の監査官の要求を拒めるはずもなく、渋々ながら首を縦に振った。
全財産の差し押さえと返還手続きが確定したのを聞き、マルドは絶望に顔を歪ませた。彼は縋るような目で俺を見上げ、擦り寄ってくる。
「あ、監査官殿……! 私が悪かった、目が眩んでいたのだ! どうか、どうか寛大なご処置を……!」
「俺に頭を下げるな」
俺は足元に這いつくばる男を、冷たい声で突き放した。
「あんたが帳簿から名前を消し、タダ働きさせたのは俺じゃないだろう。謝る相手を間違えるな」
俺の言葉を受け、ギルドの衛兵たちがマルドの両脇を抱え、群衆の最前列へと引きずり出した。
そこには、俺の検証隊に参加してくれた見習い治癒師のミレナ、老職人バルク、そして、支援職が組み込まれなかったせいで迷宮で命を落とした、新人冒険者の遺族たちが並んでいた。
「……申し訳、ありませんでした」
マルドは震える声で、彼らに向かって深く頭を下げた。今まで見下してきた底辺の支援職たちへ向けた、屈辱的な公開謝罪だった。
だが、その謝罪に対する被害者たちの反応は、決して綺麗に揃ったものではなかった。
「謝罪はどうでもいいです」
ミレナはひどく冷めた声で、頭を下げるマルドを見下ろした。
「そんなことより、早く奪ったお金を返してください。治癒院には今、ポーションの空き瓶しか残ってないんです。明日からの急患を診るために、今すぐ薬材を買いに行かなきゃならないんですから」
老職人バルクも、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「同感だな。俺はあんたの命なんざいらねえよ。ただ、俺が叩き直した剣の修理代を、利子をつけてきっちり払ってもらうだけだ」
彼らは実務的だった。失われた生活を取り戻すことだけを見据えている。
だが、金で解決できないものを奪われた者もいた。
「ふざけるなッ! お金を返されても、死んだ息子は生き返らないんだぞ!」
一人の小柄な女性が群衆から飛び出し、マルドの顔に一握りの泥を投げつけた。マルドが悲鳴を上げて顔を覆う。女性は泣き崩れ、周囲の者に抱き留められた。彼女にとって、この謝罪も、金銭の返還も、何の慰めにもならないのだ。
許す者、実利を取る者、決して許さない者。
それが、システムに人生を壊された人間の生々しい現実の反応だった。一つの演説や謝罪で、全員が笑顔になる魔法なんて存在しない。
だが、俺はそれでいいと思った。
俺がずっと抱えていた欲求は、「自分の警告を正しかったと周囲に認めさせること」だったはずだ。だが今、泥を投げつけられるマルドを見下ろしながら、俺の中に自己顕示の満足感はない。
俺の心を満たしていたのは、ミレナやバルクという、真面目に働いていた善人たちの名前が、ようやく正当な記録に戻るという静かな安堵だった。
騒動の処理をギルド役員に任せ、俺は広場の端に張られた黒い天幕――観測幕の中へと潜り込んだ。
幕の裏側では、神紋を隠したエリシアが、膝を抱えるようにして座り込んでいた。
「……終わったぞ。あんたの通信術式のおかげで、検証は完璧だった」
俺が声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせて顔を上げた。
「ユウ……。外の、あの怒声は何ですか。悪党は裁かれたはずなのに、なぜあんなに悲しい声が聞こえるのですか。なぜ皆、笑顔で手を取り合わないのですか……?」
彼女の指先は、今にも観測幕を外そうと生地の端を掴んでいた。だが、外から聞こえる遺族の泣き声や怒号に怯え、どうしても幕を開くことができずにいる。
彼女は勘違いしている。女神の奇跡で悪を排除すれば、世界が美しく整うと思っているのだ。
「当然だ。失われた命は戻らないし、奪われた時間も返ってこない。全員が同じように許して大団円、なんてのはおとぎ話だ」
俺は彼女の手からそっと幕の生地を外し、外の視線から彼女を遮断した。
「だが、これでミレナたちの名前は消されなくなった。今はそれだけで十分だ。無理に外に出て、感謝や罵声を浴びる必要はない」
「……私は」
エリシアは唇を噛み、己の臆病さを恥じるように俯いた。公的な宣告はできても、住民の泥臭い感情に直接触れることを、彼女はまだ酷く恐れている。
「落ち込んでいる暇はないぞ、エリシア。マルドの不正は暴いたが、今のままじゃまた同じことが起きる」
俺は腰から死亡台帳を取り出し、白紙のページを開いて炭筆を走らせた。
「紙の帳簿で査定をしている限り、必ず誰かが数字をごまかす。人間の善意や監視に頼るシステムは脆い。だから、現場で『誤魔化しがきかない記録』を作る必要がある」
「誤魔化しがきかない記録、とは?」
エリシアが涙目を瞬かせ、俺の手元の帳面を覗き込む。
「討伐以外の行動――治癒、修理、罠の警告、避難誘導。それを現場で即座に記録し、誰が何をしたか自動で証明する物理デバイスだ。名付けて『功績札』」
俺は帳面に、手のひらサイズの札のスケッチを描いた。
「あんたの神力で、この札に術式を刻んでほしい。そして明後日、これを実際の迷宮探索で試験運用する。支援職が確実に報酬を得る仕組みを、俺たちで世界に組み込むんだ」
俺の提案に、エリシアはゆっくりと顔を上げた。恐怖に揺れていた彼女の瞳に、設計者としての知的な光が少しだけ戻る。
悪党を引きずり下ろすのは終わった。
ここから先は、新しい世界を現場に実装する、本当の共同作業だ。




