09吉田寅次郎4
象山塾の門下生となった坂本龍馬のメインの修行は、難しい書物との格闘ではなく、泥にまみれる洋式砲術の訓練であった。
当時の木挽町の新塾、その広々とした庭には、象山が寝食を忘れて自作したモルティール砲(臼砲)やカノン砲といった巨大な大砲が、黒々と不気味に据えられていた。
龍馬はそこで、上座から見下ろす象山の鋭い視線を浴びながら、他の塾生たちと共に実技の訓練に汗を流した。
鉄の塊のような大砲を動かすためのロープや器具の扱い方。
一歩間違えれば大爆発を起こす火薬の調合や、重い弾丸の装填手順。
さらには、大砲を水平線の彼方にある標的へ命中させるための、ごく基本的な測量や計算。
「おい、そこのおんちゃん、ちくと教えてくれんろうか」
龍馬は、気難しいインテリ揃いの先輩塾生たちにも物怖じせず、人懐っこい笑顔で気さくに声をかけた。
「おいおい、土佐の、そこはそうじゃない」「いや、こうかえ?」などと、庭先はいつも、ああでもないこうでもないと賑やかな声に包まれた。
何より、龍馬には武器があった。江戸の千葉道場で鍛え上げた、見上げるような強靭な肉体である。
大の大人が数人がかりで息を切らせる重量級の砲弾や機材を、龍馬はその巨躯を利して「ふんぬっ」と軽々と持ち上げてみせるのだ。青白い顔をして数式ばかりこねくり回していた塾生たちの中で、この動ける大男は瞬く間に「重労働の切り札」として重宝されるようになっていった。
彼が来てからというもの、静かだった塾は、騒々しくも瑞々しい熱気に満ちた空気に包まれていた。
知識は浅く、どこか間の抜けたところのある土佐侍。だが、未知のテクノロジーに対するあの濁りのない好奇心と、貪欲な熱意だけは本物だ。
──ふん。知識の有無はともかく、あの泥臭い熱量だけは、どこか若き日の俺に似ているのかもしれないな。
書斎の窓から、庭で門下生たちに揉まれながら快活に笑う大男の姿を見下ろし、象山はひとり、ほくそ笑んだ。
◇
この頃の江戸は、まさにひっくり返るような大騒動の渦中にあった。
幕府は、明くる春に約束通りペリーが再来航してくることに備え、品川沖に巨大な人工島──大砲を据えて江戸を死守するための「お台場」を、昼夜を問わぬ突貫工事で建設していたのである。
この国家の命運をかけた巨大プロジェクトに、日本屈指の砲術・海防の専門家である佐久間象山、そしてその手足となる塾生たちが深く関わらないはずがなかった。
龍馬もまた、象山塾の重要な一員として、潮風が吹きすさぶ品川沖の建設現場へと何度も見学・調査に駆り出された。あるいは、海岸線に配置される各藩の警備計画を伝えるため、伝令となって江戸の街を走り回った。
それは龍馬にとって、机の上の学問など遥かに凌駕する、最高の実践教育の場だった。
いま、目の前で本物の大砲が据えられようとしている。この海の向こうから、国を脅かす黒船がやってくる。実際に世界が変わろうとしている現場の海をその目で凝視し、国防の最前線を肌で学ぶことは、龍馬という男の眠っていた大局観を激しく揺さぶる。
激動のなか、時はまたたく間に流れた。
大砲の撃ち方、その実技の基礎を一通りマスターした龍馬は、入塾からわずか三ヶ月ほどで象山塾を卒業することとなった。象山は、この短い期間で実技を叩き込んだ土佐の大男に、確かな砲術の免状を授けてやった。
「せんせぇ、色々と世話になったのお。また会おうや」
龍馬はにかっと豪快に笑うと、お台場の砂が残る草鞋の音を響かせ、嵐のように慌ただしく木挽町を去っていった。
大男が去った塾に、また、元の静かな日々が訪れる。
しかし、その静けさは、嵐の前の不気味な凪に過ぎなかった。
実はこのわずか二ヶ月後、この象山塾は跡形もなく消滅することになるのである。
もし、龍馬の入塾がほんの数ヶ月遅れていたなら、彼は佐久間象山という怪物に出会うことすらできなかった。まさに歴史の神様が手引きしたような「ギリギリのタイミング」で、龍馬は木挽町の門を叩き、怪物の薫陶を受けていたのだ。
そして、まるでその去っていった土佐の大男と入れ違いになるかのように、ひとりの男が象山塾へと戻ってきた。
長崎でのロシア船密航の機会を逃し、ぎらぎらとした狂気をその瞳に宿したままの天才──吉田寅次郎である。
ここから、佐久間象山という男の運命は、この寅次郎が巻き起こす、日本中を震撼させる歴史の大事件の濁流へと、一気に巻き込まれていくのであった。
◇
一八五四年一月十四日。
「来年また来る」と言い残して去ったアメリカ艦隊の司令長官ペリーが、約束通り、いや、約束以上の脅威となって再び姿を現した。前回を上回る七隻の巨大な黒船が、江戸湾の喉元である横浜沖を圧するように見下ろしている。
江戸中がひっくり返るような大騒ぎとなるなか、象山塾の奥でその報を聞いた吉田寅次郎は、ぎらぎらとした瞳の奥で静かに、しかし絶対の覚悟を固めていた。
(今度こそ……この黒船に乗り込み、海の向こうへ行く)
だが、幕府はペリーの圧倒的な武力の脅しに屈し、横浜で「日米和親条約」を締結する。これにより、伊豆の下田と蝦夷の箱館(函館)の二港を開港することが決まった。
黒船が条約の手続きのために下田港へと移動する──その情報を掴んだ寅次郎は、すぐさま木挽町の象山塾の書斎へと向かい、師である象山の前に平伏した。
「先生。今度こそアメリカの船に乗り込んで、海外を見てまいります」
床に額をこすりつけ、決死の計画を打ち明ける愛弟子。
当時、幕府の許可なく海外へ渡る「海外渡航(密航)」は、一発で死罪を意味する最悪の国家犯罪であった。見つかれば命はない。 それは、旅立つ寅次郎だけでなく、知っていて止めなかった師の命をも危うくすることを意味していた。
しかし、象山は動じなかった。じっと寅次郎を見据えたあと、その不敵な唇を不敵に歪めた。
「……行ってこい、寅次郎。日本の眼となって、世界を見てこい」
象山はまたしても、この常軌を逸した愛弟子の熱意を、真っ正面から受け止めたのである。
今の日本で、己の首が飛ぶリスクを冒してまで世界を見に行こうとする度胸と才能を持つ者は、我が弟子の寅次郎をおいて他にいない。象山はそう確信していた。
西洋の植民地にされゆく祖国の未来を憂い、禁を犯してでも知識を盗もうとする──それは、あまりにも狂気的な愛国心であった。
象山は口先だけで励ますような男ではない。彼は立ち上がると、自ら買い揃え、あるいは開発した品々を惜しげもなく机に並べた。
海外の様子を一歩でも遠くから正確に記録させるため、象山が自作した「特製の双眼鏡(遠眼鏡)」。そして、異国の地で寅次郎が困らぬよう、旅費や現地での活動資金として、自身の懐からまとまった資金を分け与えた。
極めつけは、はなむけとして贈った一枚の紙であった。そこには、見る者の血を沸き立たせ、密航を激しくそそるような、象山直筆の熱い漢詩が躍っていた。
「必ずや、生きて戻れよ」
「ははっ!」
師の命がけの後押しを背に受け、寅次郎は弟子の金子重之輔とともに夜陰に乗じて江戸を発ち、黒船の待つ下田へと先回りした。
◇
三月二十七日、嵐の近づく暗い下田の海。
港に不気味に停泊する米軍艦「ミシシッピ号」に向け、寅次郎と金子は海岸から小さな盗み舟を出し、荒波を漕ぎ出した。必死の思いで艦船にしがみつき、甲板へと這い上がる。
「アメリカへ連れて行ってくれ!」
身振り手振りと漢文の筆談で、決死の直訴を試みる二人。応対した米軍代将ペリーらは、この若き日本人たちの驚くべき情熱と、命を賭してまで学ぼうとする向上心に深く感服した。しかし、国際政治の壁は非情であった。「条約を結んだばかりの日本政府を刺激したくない」という理由から、ペリーは彼らの乗船を拒絶。二人は引き裂かれるような絶望のなか、泣く泣く下田の海岸へと送り返されてしまった。
暗い砂浜に打ち上げられた二人。
密航に使った舟や、海岸に遺してきた荷物が見つかれば、師である象山たちにまで累が及ぶことは明白だった。
「すべては僕一人の仕業にせねばならん」
そう察した寅次郎は、翌朝、自ら下田の役所へと歩を進め、自首した。
しかし、事態は象山たちの想像を超える速度で最悪の結末へと転がっていく。
役人が寅次郎の荷物を改めると、そこから綿密に記された旅日記や、あの象山が贈った「密航をそそる漢詩」がゴロゴロと発見されてしまったのだ。
「首謀者は、江戸の佐久間象山である」
役人の目が爛々と輝いた。即座に、江戸へ向けて逮捕の沙汰が飛ぶ。
◇
木挽町、象山塾。
静寂を破り、踏み込んできた役人たちの怒号が響いた。
「佐久間象山! 幕命により召し捕る!」
騒然となる塾生たちの中、象山だけは、微動だにせず座っていた。
慌てふためく弟子たちを一瞥し、ふっと冷ややかに笑う。
「大げさなことだ。騒ぐな」
その目には、すべてを織り込み済みだった男の、恐ろしいほどの静寂があった。
背中に荒縄を打たれながら、象山はふと、塾の突き抜けた冬空を見上げた。どこまでも高く、冷たい青。
(──寅次郎。お前は、とうとう国まで動かしおったな)
幕末の天才たちが集った日本最高峰の知の揺籃・象山塾は、この日をもって永遠にその幕を閉じた。




