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象山先生と、神田お玉ヶ池の怪物たち  作者: しばたろう


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10/11

10高杉晋作

「江戸を追放し、松代藩に身柄を預け、終身の自宅謹慎(永蟄居)に処す」


安政元年十一月。かつて江戸木挽町にて天下の英才を喝破した佐久間象山は、罪人として無機質な籠の中にいた。厳重な警備兵に囲まれ、中山道を北上するその列は、一人の天才の「社会的な死」を告げる葬列のようでもあった。


護送された先は、故郷・松代のさらに郊外に位置する高坂村。ひっそりとしたその家が、新たな檻となった。門前には番小屋が建てられ、昼夜を問わず監視の目が光る。外部との書状も厳しく改められ、かつての喧騒が嘘のような静寂が象山を包んだ。藩からの俸禄は断たれ、生活の困窮は火を見るよりも明らかであった。


しかし、佐久間象山という男は、たとえ手足を縛られ、山奥に閉じ切られても、その知的好奇心と情熱を抑え込めるような器ではなかった。


象山は自らの隠居所を、雨に煙る山景にちなんで「煙雨楼(えんうろう)」と命名した。そして、この「静かなる檻」を、狂気的なまでの熱量を孕んだ「日本最先端の研究所」へと作り変えてしまったのである。


その暮らしを支えたのは、夫を追って松代までやってきた妻・お順であった。彼女は江戸育ちの華やかさを捨て、慣れない山奥での生活に身を投じた。家計を助けるために夜通し内職に励みながらも、偏屈で知られる夫の身の回りを甲斐甲斐しく世話する。そして何より、世間から忘れ去られようとしている夫の「知の炎」が消えぬよう、一番の理解者としてその研究を陰で支え続けた。


煙雨楼での研究は、幕末の日本において驚異的なものであった。

象山は自作の電信機を使い、約70メートルの通信実験を成功させる。さらに地磁気の変化を捉えようとする「地震予知器」の開発に挑み、独学でガラス製造や、最新の「写真(ダゲレオタイプ)」の現像技術までも手中に収めていった。


その精神は食の分野にも及ぶ。「日本人に必要なのはタンパク質だ」と断じ、当時としては珍しい「豚の飼育」を開始。蘭学の知識から、自らコーヒーを淹れて嗜むという、極めてハイカラな生活を山奥で繰り広げた。


そんな謹慎五年目の一八五九年。

象山のもとに、長州藩の門弟から一通の手紙が届いた。そこに記されていたのは、愛弟子・吉田寅次郎の非業の死であった。


象山はこれまでも、門弟たちからの密かな報せで寅次郎の歩みを追っていた。故郷へ送還された後、獄中を経て、叔父の「松下村塾」を引き継いだこと。そこで次代の日本を担う若者たちを熱く育て上げていること。

「あの痩せっぽちの寅次郎め、良い仕事をしているではないか」

象山はかつての教え子の活躍に、膝を打って喜んでいたのだ。


しかし、時代は冷酷だった。

大老・井伊直弼による「安政の大獄」。当時、燎原の火のごとく広がり始めた尊王攘夷という熱病。その巨大な「熱」の源泉の一人であった寅次郎を、幕府の冷徹な粛清という嵐が、逃れようのない宿命の渦へと呑み込んでいったのである。


寅次郎は「危険な思想的扇動者」として再び江戸へ送られた。しかし、当初、幕府側に彼を殺すつもりはなかった。せいぜい、また長州へ追い返して謹慎させれば事足りると考えていたのだ。


だが、寅次郎はあまりに純粋すぎた。

取り調べの場、役人が聞いてもいないのに、彼は「私は老中の暗殺を計画していました」と自らのテロ計画を堂々と告白したのである。困惑する役人たちをよそに、報告を受けた井伊直弼は「これほど公然と牙を剥く男を生かしてはおけぬ」と、即座に斬首を命じた。


手紙を読み終えた象山は、絞り出すような溜息をついた。

寅次郎の性格を誰よりも知る象山には、その不可解な行動の理由が痛いほど分かった。


「己の至誠(真実の心)をぶつけ、死を以て幕府の目を覚まさせる……それがお前の選んだ道か」


その死は、残された弟子たちに「火」をつけるだろう。彼らは火の玉となって幕府へ襲いかかるに違いない。

だが、


「……寅次郎。お前の志は立派だが、死んでは何にもならんぞ。生きて、この目で新しい世界を見なければ、意味がないのだ」


暗い部屋の中には、師が愛弟子に送る静かな慟哭だけが満ちていた。



 寅次郎が江戸の露と消えてから、ちょうど一年。

 一八六〇年(万延元年)十一月、雪混じりの風が松代を吹き抜ける頃、煙雨楼の門を叩く一人の男がいた。


「長州藩、高杉晋作と申します。吉田寅次郎の門下にて学んでおりました」


 門番の厳しい視線の先で、若者は鋭い眼光を放ち、静かに頭を下げた。

 象山にとって、それは待ちわびた「孫弟子」の訪問であった。亡き愛弟子が魂を削って育て上げた若者の姿に、象山は深い感慨を覚え、監視の目を盗むようにして彼を煙雨楼の奥へと招き入れた。


 高杉は、藩の命令による東北・北陸遊学の途上にあった。旅の目的地の一つにここを選んだのは、亡き師・松陰から「佐久間象山こそ天下の奇男子である」と聞かされていたからだ。師が敬愛した怪物を、この目で見極めたい。そんな烈烈たる思いを胸に、彼は山を越えてきたのである。


 象山は高杉を自らの研究室へ通すと、手慣れた手つきで道具を操り、自ら淹れた珈琲(コーヒー)を差し出した。


 雪深い松代の山奥、行灯の揺れる部屋に漂う、異国の芳醇な香り。当時の日本人にはおよそ馴染みのないそのハイカラな光景に、高杉は言葉を失った。象山という男の「時代を先取りする感覚」が、単なる知識ではなく、その生活の隅々にまで浸透していることを肌で感じたのである。


 二人は時間を忘れて語り合った。

 象山は、清(中国)がアヘン戦争でいかに無惨に敗れたか、西洋列強の科学力がどれほど日本の想像を超えているかを熱弁した。


「晋作よ。ただ感情のままに『攘夷』と叫ぶだけでは、国は救えん。まずは敵を知り、科学技術を取り入れ、国を富ませるしかないのだ」


 それはかつて松陰も共有していた、象山流の「実学」の真髄であった。象山の言葉は、雷鳴のように若き高杉の脳裏に響いた。


 この面会に深く感銘を受けた高杉は、その日の日記『遊学日記』に、熱を込めてこう書き残している。


「佐久間象山を訪ねる。実に奇男子なり。その識見、卓抜して、議論は縦横無尽である」


 高杉は、象山の中に亡き師・松陰と同じ「狂気」と、それを支える圧倒的な「知性」を見た。象山もまた、松陰が慈しんだこの若者が、将来必ずや既存の枠組みを打ち破る「怪物」になることを確信していた。


 松陰という共通の縁によって結ばれた、この「一晩だけの密会」。

 象山から手渡された「世界を見据える目」という火種は、高杉の胸の中で燃え続け、のちに彼が「奇兵隊」を創設し、長州藩を革命へと導く精神的な礎となったのである。

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