3
エルディアの城門は、朝から騒がしかった。
荷馬車の車輪が石畳を軋ませ、行商人たちの怒鳴り声が飛び交う。門番は眠たそうな顔で通行証を確認し、旅人たちは長い列を作っている。
パンを焼く匂いがした。それだけで、煌の腹が、情けない音を立てた。
「そういえば、お腹すいた…」
一晩歩き続けた足は、もう感覚が薄かった。膝も痛む。喉も乾いている。それでも、城門の向こうに広がる街の光景は、荒野よりずっと現実味があった。
人がいる。生活がある。誰かの日常が、ちゃんとここに存在している。
セナはその流れに紛れるようにして、街へ入った。
石造りの建物が並び、木組みの看板が風に揺れている。店先では野菜が並べられ、子どもたちが走り回っていた。
こんな世界でも、人は普通に生きているのだと、妙に不思議な気持ちになった。
セナは手の中の革袋を握り直した。アルバン王国から投げ渡された金貨。
路銀。
追放の餞別。
まずは両替して、食べ物を買わなければ――そう考えた瞬間だった。
「うおっ!?」
背後から、盛大な音がした。次の瞬間、何か勢いよくがぶつかってきた。
「うわっ、あぶなっ――!」
荷物が崩れる音と同時に、木箱があっちこっちへ転がった。
セナは反射的に体を捻ったが、避けきれずに巻き込まれた。石畳に膝をつく。乾いた痛みが走った。
「す、すまん! 本当にすまん!」
慌てた声が頭上から降ってくる。
見上げると、赤ら顔の中年男が、散らばった荷物を放置したまま駆け寄ってきていた。頭に手ぬぐいを巻き、腹の出た体にエプロンを着けている。どう見ても街の商人だった。
「大丈夫か若いの!? うわ、血出てるじゃねえか!」
男はしゃがみ込み、セナの膝を覗き込こむ。擦りむいた程度だったが、確かに血が滲んでいた。
「平気です」
「平気じゃない! うち来い、薬塗るから!」
「でも荷物が」
「荷物なんざ後だ!」
男はそう言うなり、半ば強引にセナの腕を引っ張って歩き始めた。
断る気力もなく、セナはそのまま連れていかれた。
⸻
男の店は、道具屋だった。
棚にはロープやナイフ、ランタン、乾燥肉、薬草が雑多に並んでいる。旅人向けの店らしい。
「座れ座れ」
男は奥から薬瓶を持ってきて、セナの膝に遠慮なく薬を塗り始めた。
薬草の匂いが鼻をつく。
「俺はダンテ。この店の主人だ」
「……セナです」
「セナ?」
ダンテが顔を上げた。
「それが名前か?」
「いえ。セナが苗字で、名前はコウです」
「苗字持ちか」
ダンテの眉がわずかに上がる。
「貴族の坊ちゃんか?」
「違います」
短く答えた。
ダンテは一瞬だけセナの顔を見る。汚れた服、疲れきった顔、まともな荷物もない旅人姿。何か事情があることくらい、誰にでもわかる。
でもダンテは、それ以上聞かなかった。
「まあ、人生いろいろあるわな」
そう言って、手当を終える。それから棚の奥を漁り、パンを二つ持ってきた。
「ほら。食え」
「……金は払います」
「いいから食え。腹が減ってるって顔してる」
セナは少し迷ってから、パンを受け取る。それはまだ温かかった。焼きたてなのだろう。
一口齧る。
その瞬間、空っぽだった胃が、ようやく自分の存在を思い出したように痛み始めた。
夢中で食べた。
ダンテは何も言わず、それを見ていた。
⸻
「で、これからどうする?」
パンを食べ終えた頃、ダンテが聞いた。
セナは少し考えた。
「わかりません」
正直な答えだった。
この世界のことを、何も知らない。金も少ない。身分もない。頼れる相手もいない。
「なら冒険者ギルド行け」
ダンテは即答した。
「身分証なくても登録できる。腕さえありゃ食っていける世界だ」
「腕があれば、ですか」
「そこは頑張れ」
ダンテは豪快に笑った。
「案内してやる。どうせ俺がぶつかったんだしな」
⸻
冒険者ギルドは、街の中央広場に面した大きな建物だった。扉を開けた瞬間、空気が変わった。酒と煙草と汗の匂い。朝だというのに、すでに多くの冒険者が席を埋めていた。
鎧姿の男。
ローブ姿の女。
耳の尖ったエルフ。
筋骨隆々のドワーフ。
皆それぞれ武器を持ち、依頼書を眺めたり仲間と話したりしている。
セナが入ってきても、誰も興味を示さなかった。新人など、珍しくもないのだろう。
受付へ向かう。
カウンターには、茶髪をきっちりまとめた女性が座っていた。切れ長の目。整った顔立ち。だが愛想はなかった。
「登録をお願いします」
女性は煌を一瞥した。
「初登録ですね。鑑定石に触れてください」
淡々とした声だった。
カウンターに置かれた半透明の石に手を置く。
石が淡く光った。
視界に、見慣れた文字が浮かぶ。
⸻
瀬名 煌 17歳 男
体力:12 魔力:8 敏捷:11 筋力:10
固有能力:劣化模倣〈E〉
適性:なし
⸻
女性は石を見つめたまま、事務的に告げた。
「ランクF。最低ランクです」
「……はい」
「固有能力は劣化模倣。有用性は低いとされています」
嘲笑はなかった。
ただ、事実を読み上げているだけだった。
それが逆に胸へ刺さった。
「名前を」
「セナ…です」
先ほどのダンテの反応を思い出し、苗字だけを告げた。受付の女性は書類に記入し、金属製の登録証を差し出した。
「受付のルナです。何かあればどうぞ」
無表情のままだったが、最後だけ少し声が柔らかかった気がした。
隣でダンテが小声で囁く。
「あの人、ああ見えて面倒見いいぞ」
「聞こえてます」
ルナが即座に返し、ダンテが笑う。
⸻
冒険者ギルドで登録を終えたあと、セナは訓練場の場所を教えてもらい、そこへ向かった。
隅に座り、黙って冒険者たちを観察する。
火魔法
風魔法
剣術
体術
セナの目には、それらがスキルとして映っていた。どこに力を集め、どこで解放するのか。どこへ重心を置いているのか。
見ているうちに、少しずつ輪郭が掴めてくる。セナはそっと右手を開くと、見よう見まねで魔力を流す。
次の瞬間、小さな火花が散った。豆粒ほどの炎。訓練中の魔法使いの火球とは比べものにならない。
それでも、確かに出た。
セナはその小さな火を、しばらく見つめていた。
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