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-数時間前-
煌が目を覚ましたとき、そこは見知らぬ石造りの広間だった。
冷たい床に膝をついている。体が重い。意識がまだぼんやりしていて、何が起きたのか理解できない。
ゆっくり顔を上げた瞬間、息を呑んだ。
広い。
異様なほど広い空間だった。
天井は遥か上にあり、巨大なシャンデリアが無数の蝋燭の光を散らしている。床には複雑な魔法陣が描かれており、煌の周囲で淡い光を放っていた。
そして正面には、玉座があった。
緋色のマントをまとった初老の男が、威厳を漂わせて座っている。その両脇には豪奢な衣装の貴族たち。さらに後方には、鎧をまとった騎士たちが槍を手に整列していた。
全員が、煌を見ていた。
期待に満ちた目。
値踏みするような目。
祈るような目。
そのすべてが、一斉に自分へ向けられている。
「召喚、成功です」
白衣の老人が、一歩前に出てそう告げた。
その言葉を合図に、広間にざわめきが広がる。貴族たちは互いに顔を見合わせ、騎士たちの間から小さな歓声が漏れた。
玉座の男が立ち上がる。
「異世界より召喚されし勇者よ。我がアルバン王国へようこそ!」
勇者。
その言葉だけが、妙にはっきりと耳に残った。
煌は何も言えなかった。
死んだはずだった。
横断歩道で、車に撥ねられた。最後に見たのは白い光と、誰かの叫び声だった。
なのに今、自分は石の床の上に膝をつき、見知らぬ王に見下ろされている。
夢だと思うには、床の冷たさがあまりにも現実的だった。
「まずは鑑定を行う」
白衣の老人が杖を掲げた。
魔法陣が再び光を強める。淡い光が煌の足元から立ち上り、全身を包み込んだ。
温かくも、冷たくもない。
だが、自分の内側を覗き込まれているような、不快な感覚だった。
次の瞬間、煌の視界に文字が浮かんだ。
⸻
瀬名 煌 十七歳 男
体力:12 魔力:8 敏捷:11 筋力:10
固有能力:劣化模倣〈E〉
適性:なし
⸻
煌は、その文字をぼんやりと眺めた。
意味は、なぜか理解できた。
そして同時に、その数字がひどく低いものだということもわかった。
白衣の老人が杖を下ろす。
その表情が、わずかに曇る。
老人は手元の羊皮紙に何かを書き込み、国王のそばへ歩み寄り、そして耳元で短く囁いた。
国王の眉間に、深い皺が刻まれた。
広間のざわめきが変わった。
期待のざわめきではない。
困惑。
失望。
そして、嘲り。
「……固有能力は、劣化模倣」
老人が広間に向けて告げた。
「他者の技能を模倣する能力です。ただし、精度は著しく低い。実用に耐えるものではありません」
老人は一度言葉を切った。
その沈黙が、やけに長く感じた。
「加えて、魔法、戦闘、支援、その他すべての適性は確認できませんでした」
静寂が落ちた。
次の瞬間。
誰かが、噴き出した。
それはすぐに広がった。
貴族の一人が口元を隠して笑う。騎士の何人かが肩を揺らす。やがて広間の半分が、煌を見て笑っていた。
「劣化模倣だと」
「勇者どころか、見習い兵にもならんではないか」
「召喚に失敗したのでは?」
声が聞こえる。
ひそひそとした囁きのはずなのに、妙にはっきりと耳に届いた。
煌は何も言わなかった。
怒りが湧かなかった。
恥ずかしさもなかった。
ただ、胸の奥がゆっくり冷えていくのを感じていた。
国王だけは笑っていなかった。
冷たい目で、煌を見下ろしている。
「役に立たぬ者を、我が国に置く理由はない」
その一言で、すべてが決まる。
勇者として召喚されたはずの少年は、その場で不要品になった。
「陛下、しかし……異世界より呼び出した者を、何の処置もなく放り出すのは」
側近らしき貴族が、形式だけのように口を挟む。
国王は面倒そうに手を振った。
「ならば、最低限の路銀と通行証を与えよ。あとは知らぬ」
「はっ」
貴族の一人が、小さな革袋を投げてよこした。
袋は煌の足元に落ち、金属のぶつかる音を立てた。
煌はそれを拾った。
中には、金貨が数枚入っていた。
「せいぜい、野垂れ死にしないようにな」
誰かが言った。
また笑い声が起きた。
次の瞬間、騎士が煌の両腕を掴んだ。
「来い」
抵抗する気力はなかった。
煌は引きずられるように広間を出た。長い廊下を歩かされる。壁にかけられた絵画も、磨き上げられた甲冑も、すべてが別世界のものだった。
誰も、煌を見ようとしなかった。
先ほどまで勇者と呼ばれていた少年は、もうただの厄介者だった。
やがて、重い城門の前に着いた。
門が軋む音を立てて開く。
その向こうには、夜が広がっていた。
そこから更に馬車で城壁の外まで連れて来られ、街の灯りを背に目の前には荒野が広がっている。
「出ろ」
背中を押された。
煌はよろめきながら、馬車から踏み出した。
振り返る間もなく、扉が閉まる。
重く、乾いた音だった。
それはまるで、この世界から突き放された音のように聞こえた。
⸻
そして今、煌は荒野を歩いている。
扉が閉まる音は、まだ耳の奥に残っていた。
虚無だった。
怒るには、疲れすぎていた。
泣くには、現実味がなさすぎた。
怖がるには、心が追いついていなかった。
ただ、足だけが動いていた。
どれくらい暗闇の中を歩いたのだろう、遠くの灯りが少しだけ近づいている気がした。
あそこへ行けば、何かが始まるのかもしれない。
あるいは、何も始まらないのかもしれない。
それでも煌は歩いた。
ふと、また記憶が浮かんだ。
横断歩道。
青い信号。
飛び出した子ども。
あのとき、自分は考えなかった。正しいかどうかも、得かどうかも、間に合うかどうかさえも。
ただ、体が動いた。
その感覚だけが、今も胸の奥に残っていた。
冷えきった心の中で、そこだけがまだ少し温かかった。
煌は顔を上げた。
遠くの灯りを見据える。
そして、もう一歩踏み出した。
足は痛かった。
それでも、止まらなかった。
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