14
地上へ戻ると、フィンが小声で言った。
「人がいる」
「巡回か?」
「違う。西側の民家跡。ずっと動いてない」
バルドが短く頷く。
「住んでるな」
三人は音を殺して近づく。そこは石造りの小屋だった。屋根の半分は崩れているが、残った部分の下には毛布と食料袋が置かれていた。焚き火の跡もある。
老人が座っていた。
白髪。曲がった背中。
だが目には力が宿る。
「傭兵か」
老人がこちらも見ずに言った。
「そうです」
とセナが答える
「偵察に来ました。あなたは?」
「ここに住んでいるんだ」
「アビス帝国の兵に見つかりませんか」
「見つかるよ」
老人は振り返り、静かに笑った。
「だが追い払われない。あの方が、この地に住む者には手を出すなと言ってくださっている」
セナの目が細くなる
「あの方……深淵の王ですか」
老人は少しだけセナを見た。
「今は深淵の王だな…だがあの方がそう呼ばれるよりも前、彼の方の部下だった。昔の話だ」
⸻
セナは誘われるまま、老人の隣に座った。フィンとバルドは少し離れて周囲を警戒している。
「話を聞かせてもらえますか」
老人は焚き火の跡を見つめながら、ゆっくり話し始めた。
「私はヴェルディアの兵士だった。召喚されたあの方の護衛をしていた」
その声は静かだったが、どこか懐かしむような、優しい声に聞こえた。
「最初は誰も彼の方を信じていなかった。鑑定で最低の数値が出たとき、皆笑った。私も笑った一人だ」
セナは何も言わなかった。
「だが、あの方は諦めなかった」
老人の目が遠くを見る。
「毎日、夜明け前から訓練していた。誰より早く戦場に出て、誰より遅く戻った。傷だらけでも立っていた。立ち上がり、そしてまた戦った。それを半年もの間続けた」
セナは、鉄狼団に入ったばかりの頃の自分を思い出した。
朝の訓練。
傷だらけの体。
誰も見ていない隅で、ただ繰り返した時間。
「気づけば、皆の見る目が変わっていた」
老人は言った。
「いつしかこの人についていけば勝てると、心からそう思っていた。そして、その皆の期待に答えるかのように、やり遂げたのだ…」
「処刑の日のことを、覚えていますか」
老人は悔やむかのように、長く黙った。
風が吹き、草が揺れる。
「忘れられない」
老人は小さく言った。
「あの日処刑台に上がったあの方は、意外なことに怒っていなかった。ただ……悲しそうだった」
セナは息を止めた。
「興奮した民衆が石を投げ始めても、何も言わなかった。一つ、二つ、三つ……それでも悲しそうに俯いたまま黙っていた」
老人の声が震える。
「だが、どこかで表情が変わった」
「………………………………」
「何かが、壊れたんだ」
老人は瞼の裏にその光景を映し出すかのように、目を閉じた。
「明朝の刑の執行が決まっていた。あの方はその前の晩、縄を断ち切って逃げた。そしてそのままヴェルディアを滅ぼした」
2人の間を風がまた通り抜けた。
「ヴェルディアが滅びた夜、王城地下の召喚陣も壊れた。それが故意だったのか偶然なのか…制御を失った異界の力が溢れて流れ込み……あの方を、“深淵の王”に変えた」
セナは静かに聞いていた。
「私は恐怖から逃げ出した。国を、民を、そして彼の方をここに置き去りにして生き残った。国が滅び、全てが終わり、そして行くあてもなくここへ戻ってきた」
老人は小さく笑った。
「惨めなものだ」
「……あの人は」
セナは口を開く。
「今も、あの頃のままだと思いますか」
老人はしばらくセナを見た。
「わからない」
そして静かに言った。
「だが、壊れる前のあの方は……諦めることができない人だった」
⸻
廃墟を出るとき、セナは振り返った。眼前にある黒く焼けた広場。かつて処刑台があった場所なのだろう。
彼の怒りは正しかった、とセナは思った。あの男は、壊されただけだ。救った国に裏切られ、救った民に石を投げられた。心が壊れて当然の仕打ちだった。
でも…ドワルグの砦で見た少女の顔が浮かぶ。難民たちの疲れた背中が浮かぶ。セルヴィアで瓦礫を運んでいた人々が浮かぶ。
関係ない人たちまで、その生活や命までもが壊されていい理由にはならない。
セナは拳を握った。
答えはまだ出ない。
でも、一つだけ決まっていた。
あの人の怒りが正しいものでも…それでも、自分は止めなければならない。
⸻
帰り道、フィンが隣に並んだ。
「どんな顔してんだ」
「どんな顔に見える?」
セナは逆にフィンに問いかける。自分でも、自分の感情に名前がつけられなかったから。
フィンは少しだけセナを見た。それからなにか腑に落ちたような顔をして、再び前を向く。
「……そうか」
それだけだった。答えはわからない。でも、その距離感が妙にありがたかった。
⸻
夜になって傭兵団の拠点へ戻り、団長に報告をする。敵軍の配置や巡回の間隔、兵力の規模。
団長は報告された情報を地図へ書き込みながら、静かに聞いていた。
報告が終わり、みなそれぞれ自分の寝床へ戻る。布団に横になったセナは、もう見慣れた天井を見上げた。
『壊れる前のあの方は、諦めることができない人だった』
老人の言葉が頭の中で繰り返される。
セナは目を閉じた。
次に向かう場所が、少しずつ見え始めていた。
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