11
ドワルグから戻って十日後、鉄狼団の倉庫で団長が再び地図を広げた。
「セルヴィアから要請が来た」
その名前が出た瞬間、空気が少し重くなる。セルヴィア聖王国とは大陸東部の宗教国家。深淵の王の侵攻が最も進んでいる地域の一つだった。
「首都が包囲されつつある。物資の護衛と防衛支援だ」
団長の指が、地図の東側を叩く。
「ドワルグより状況は悪い」
誰も口を開かなかった。セナも黙って地図を見ていた。
深淵の王。セナの中で、その軍勢はもう噂じゃない。焼けた村も、難民も、失われた街も、セナはこの目で見てきた。
「今回も強制しない」
団長が全員を見渡す。
「志願者だけ来い」
セナは迷わず手を挙げた。
セルヴィア聖王国の聖都イレアスが見えたとき、セナは思わず足を止めた。遠目でもわかる、かつてこの国は美しかった。
巨大な大聖堂
白い城壁
整然と並ぶ石造りの街並み
神聖、という言葉が似合う街だった。だが、今その半分は崩れていた。大聖堂の尖塔が根元から折れ、広場へ倒れ込んでいる。城壁には巨大な穴が開き、木材で無理やり塞がれていた。街の中心部から、まだ煙が上がっている。それでも城門には兵士が立ち、市民が瓦礫を運んでいた。
誰も逃げていなかった。
「……まだ諦めてないんだな」
隣でフィンが呟いた。
セナは小さく頷いた。
出迎えた神殿騎士隊長は、痩せた神経質そうな男だった。三十代くらいだろうか。ドワーフ達と同じように目の下には濃い隈があり、肩当てはひしゃげている。それでも背筋はピンと真っ直ぐだった。
「来てくれたのか。感謝する」
隊長は疲れた声で言った。
隊長に促され、案内されながら状況説明を受ける。
「東と南から包囲が進んでいる。補給路は一本だけ残っている状態だ」
「包囲網はいつ塞がる」
団長が聞く。
「早ければ三日後」
短い沈黙。
「……わかった。明朝から動く」
団長が地図を畳んだ。
その夜、セナは一人で街を歩いていた。瓦礫だらけの通りの両側には崩れた建物。それでも、街にはまだ生活の痕跡が残っていた。色褪せた旗がかかる石畳の広場の中央には半分壊れた噴水があった。
セナはその噴水の前で立ち止まった。水の流れていない噴水の縁に、一人の老婆が座っていた。
「綺麗な噴水だったんですよ」
老婆は噴水を眺めたまま、こちらも見ず話しかけてきた。
セナは少し驚いて視線を向ける。
「昔はここに水が流れてねぇ。祭りの日には花を浮かべて。魔法使いたちが光の彫刻を作って、それが水面に映って……」
老婆はまだ噴水を見つめたまま続ける。
「本当に、美しい国でした」
セナは崩れた大聖堂を見上げた。
崩れた断面に精巧な彫刻が残っている。確かに、美しかったのだろうと思った。
「神官様たちはまだ毎日祈っています」
老婆がぽつりと言う。
「でも昔とは少し違う」
「違う?」
「昔は皆のために祈っていた。でも今は……」
老婆はそこで口を閉じた。
少しだけ迷うように目を伏せる。
「……何でもありませんよ」
そう言って立ち上がり、瓦礫の向こうへ消えていった。
セナはしばらく、渇いた噴水を見ていた。
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