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キミの笑顔 ボクの涙  作者: 天川 七
守るべきもの
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 その日の夜、匠はシャーペンの芯を買いに外へ出ていた。出された課題は途中だが、ずっと机に向かっていたので頭が疲れている。

「少し寄り道してくか……」

 路地裏にあるコンビニを出ると、気分転換に家への道筋を大回りで歩き出す。

 空を見れば雨は止んだものの相変わらずの曇り空。ビルが少ないこの街では夜空に星を探すのはそれほど難しくはない。だが曇り空にそれを探すのは、少々無理があったようだ。匠はなんとなくしていた星探しを早々に諦めて、視線を路に戻す。

 深夜と呼ぶにはまだ早い時間帯だが、路地裏に人気はなく、届く喧騒も遠い。

 そのまま空き地の前を通って、オニギリ広場と呼ばれる子供の遊び場所に足を進めてみる。中には正面に小さな噴水が一つあり、右には日差しを遮るように屋根を植物に覆われた休憩所。奥には子供のための遊具も置かれている。

 幼稚園児の頃、よく雫と遊びに来たのを思い出す。ほとんど変わりない姿に懐かしさを覚えていると、ブランコに人影がいることに気付く。

 近づいてみるとそれが見知った顔で、匠は思わず声を漏らした。

「────雫?」

 俯いてブランコに座っているのは、どう見ても幼馴染だ。Tシャツにスカートと私服姿だが、こんな時間になにをしているのだろう? 匠は手を上げて声をかけようとした。

 その瞬間、心臓が跳ねる。街灯に反射して、俯いた彼女の顔から何かがスカートの上に落ちたのだ。

 匠はドクドクと心臓が脈打つのを頭の中で聞きながら、上げかけた手を自然と下ろしていた。

 ──まさか、泣いてるのか?

 表情は見えないが、雫は自分の腕で目元を拭っている。泣いているのだ。それを確信した瞬間、匠の中で衝動が弾ける。

 気付けば彼女に駆け寄って、その腕を手に取っていた。弾かれたように顔を上げた雫の目元は痛々しいほど腫れている。どれだけの時間、ここで泣いていたのだろうか。それを思うとまた胸がざわついた。

 匠は目を剣呑に細めて、眉根をきつく寄せる。

「誰だ? 誰がお前を泣かせた?」

「あ……たっくん……? なんでここに……」

「そんなことはどうでもいい。誰に何をされた?」

 雫は滅多に泣かない。彼女の涙を最後に見たのは、小学生の頃に匠が骨折した時以来だ。そんな彼女が泣くなど、よほどのことがあったに違いない。

「何でもないの。ちょっと失敗して……落ち込んでただけだよ」

 うっすらと残る涙の名残を消すように雫が笑って立ち上がる。ぎこちない笑顔で隠す彼女に胸がかっと焼けた。

「言えよ。それともオレにも言えないことなのか?」

 雫の目を見据えると、大きな瞳が強い感情を湛えて揺れた。口端を震わせて、何度か薄く開くが、結局唇をかみ締めた彼女は頑なな表情をした。それは匠には明確な拒絶に映り、胸のざわつきが大きくなる。

 素直に言わない彼女が強情に見えて、苛立ちのあまりに舌打ちが出た。

「……そうかよ。そんなに隠したいなら、こんなとこで泣いてんじゃねぇよ! オレに心配させるような顔を見せるな!」

 唸るように吐き捨てた言葉は激情を帯びていて、雫が怯えるようにびくりと震えた。

「ごめん、なさい……っ」

 くしゃりと泣き崩れた顔に一筋涙が伝い落ちていく。衝撃で思わず力が抜けた手から雫が逃げていく。

 公園を走り出て行く背中に、匠は手で顔を覆って低く呻いた。

「馬鹿か……なにやってんだよ、オレ……」

 苦い後悔に喉が詰まる。雫の泣き顔が網膜に焼き付いて、このまま永遠にはなれそうになかった。





 何度も寝返りを打ち、ろくに眠れないまま朝が来た。

 目を閉じる度に雫の涙が蘇り、罪悪感が胸を突くのだ。浅い眠りと夢の狭間を彷徨うように夜を過ごし、結局匠はいつもより三十分も早く起床した。

 たいして食欲もないのに半ば無理やり朝食をかき込んで、いつもより静かな朝の違和感に気づかない振りをする。そうして来ない雫を匠は待っていた。

 あんなことがあった翌日に何もなかった顔をして彼女が現れるわけがない。そう知りながら、心のどこかで許されていることを厚かましくも期待していたのだ。

 それを自覚した時、匠は自分の頭を張り飛ばしたくなった。なんて馬鹿なことを考えているんだろうと思えば、恥ずかしさに居たたまれなくなる。

 『なんで待ってるんだ』『自分から謝りに行かないでどうする』そんな言葉がグルグルと頭の中を回る。

 重い気分を引きずるように家を出ると、自宅の塀の前に人がいた。──雫だ。

「お、おはよう、匠くん」

 彼女も眠れなかったのだろう。必死に笑いかけてくるその目は赤く充血していた。もう避けられていると思っていた幼馴染が、懸命に伸ばす手が見える。しかし、匠は顔を背けて彼女の脇をすり抜けた。

 すれ違う瞬間、彼女が俯く。それでも引き返すことは出来なくて、匠は奥歯をかみ締めたまま足早に道を進む。

 ──こんなことをしたかったんじゃねぇのに……っ。

 自分に対する罵りが口をついて出そうになる。こんな風にまた傷つけるつもりなんて、なかった。しかしいざ顔を合わせると、どんなことを言えばいいのか、どうやって謝ればいいのか、匠にはわからなくなっていた。

 頭では理解しているのだ。振り返って駆け寄り、ただ潔く頭を下げて謝ればいい。簡単なことだ。それなのに、そんな簡単なことさえ今の匠には出来なかったのだ。

 臆病風に吹かれて、彼女の精一杯の勇気を踏みにじった。そんな自分が許せなくて、匠はきつい日差しの下を駆け出す。

 子供の頃は素直に言えていた『ごめん』の一言が、いつから難しい言葉に変わったのだろう。



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