三者面談
高校を選ぶ時にも、私は一度逃げようとした。
中学三年生だった私は、電車で四十分ほどのところにある女子校を志望していた。
特別にそこでしか学べないものがあったわけではない。
女子校なら、少なくとも悠斗はいない。
それだけで十分だった。
成績は足りていた。
学校説明会には、一人で行った。駅から歩く道も、校舎の雰囲気も気に入った。案内してくれた在校生は、どこの中学から来たのかを誰も気にしていなかった。私のことを昔から知っている人が、一人もいない場所。帰りの電車の中で、私はそのことを何度も考えた。ここなら、最初からやり直せる。通学だって無理な距離ではなかった。一人で電車に乗って、知らない街の学校まで行って、帰ってくる。その往復の時間だけでも、私は少し自由な気がしていた。
説明会から帰った日、母に「楽しかった」と報告したことがある。母の返事は、こうだった。
「そう。じゃあ、近所の高校の説明会も行ってみたら? 比べないと分からないでしょう」
比べる前から、結論は決まっていたのだと思う。そのときは、まだそこまで考えなかった。
だから三者面談で、私は担任にその学校を第一志望として伝えた。
「今の成績なら十分狙えると思いますよ」
担任がそう言ってくれた時、私は嬉しかった。
その横で、母だけが微妙な顔をした。
「でも先生、わざわざそんな遠いところまで行かなくてもいいと思うんです」
「お母さん」
「近くの高校も十分いい学校でしょう? お友達もたくさん受けるみたいですし」
私は友達がどこを受けるかで高校を決めたかったわけではない。
「私はここがいいって言ったよね」
「分かってるわよ。でも三年間通うのよ? 毎日のことなんだから、ちゃんと現実的に考えないと」
「通えるよ。説明会にも一人で行けたし」
「一回行くのと毎日通うのは違うでしょう?」
「女の子が一人で、毎日電車に乗るのも心配だし」
担任は資料のページをめくって、女子校の入試日程や倍率の話をした。私の成績なら、挑戦する価値は十分にある、という話だった。その言葉は、私にはまっすぐ届いた。けれど母は、その間もずっと微妙な顔のままだった。
担任は困ったように私と母を見比べていた。
母の言っていることは、一つ一つを取り出せばおかしくない。
通学時間は短いほうが楽だ。
近所の高校にも問題はない。
知っている同級生が多いことを安心材料にする人もいるだろう。
けれど、私が女子校を選びたい理由は、そうではない。
「それに悠斗くんも近くの高校を受けるって言ってたじゃない。小さいころから一緒なんだから、知ってる子がいるほうが安心よ」
「私は一緒が嫌なの」
面談室で、私ははっきり言った。
母の笑顔が固まった。
「またそんなこと言って」
「前にも言ったでしょ」
「先生の前でそういう言い方しないの。悠斗くんに失礼でしょう?」
どうして、そこにいない悠斗への失礼を気にして、目の前にいる私の嫌だという言葉は気にしないのだろう。
「先生、あの、私が嫌だって言うのは、理由があって」
言いかけた私の言葉の上に、母の声が重なった。
「昔からちょっと喧嘩したりしてるんです。幼馴染だから遠慮がないというか。この子、昔のことを結構気にするところがあって」
「昔のことじゃない」
「はいはい。それは家で話しましょうね」
面談はそれで終わった。
教室に戻る廊下で、担任に呼び止められた。
「篠原、また何かあれば相談してね」
それだけだった。けれど、その一言が、その日の中で一番、私の言葉をそのまま受け取ってくれた言葉だった。
家でも話した。
一度ではない。
夕食のあと、リビングで父も交えて話した日もあった。私は女子校のパンフレットをテーブルの上に置いた。母はそれを一度手に取って、すぐに置いた。
父も私の希望を支持してくれた。
「本人が行きたい学校を受けさせればいいだろう」
父がそう言うたびに、母は「でも」「だって」と理由を増やした。
遠い。
朝が早くなる。
交通費がかかる。
近所の高校にも十分な進学実績がある。
友達がいない環境で大丈夫なのか。
そして最後には必ず、
「悠斗くんと同じ高校なら安心なのに」
がついた。
父は何度でも同じことを言ってくれた。けれど父が言うたびに、母の「でも」は一つずつ増えていった。
最後に母と二人で話した夜のことは、今でも覚えている。
「あんたのためを思って言ってるのよ」
母は泣きそうな顔で言った。私の将来を心配する、普通の母親の顔だった。その顔を前にすると、私の「嫌だ」は、ただのわがままに聞こえてくる。言い返す言葉は、いくつもあったはずなのに、一つも出てこなかった。
願書を破られたわけではない。
勝手に志望校を書き換えられたわけでもない。
最終的に近所の高校を受験すると決めたのは、私自身だった。
ただ、疲れたのだ。
自分の希望を口にするたび、母を説得しなければならないことに。
「嫌だから離れたい」という気持ちを、正当な理由として認めてもらえないことに。
十五歳の私は、最後には折れた。
女子校のパンフレットは、しばらく机の引き出しに入れたままにしていた。端に付けた付箋も剥がせなかった。制服の写真のページを最後に見たまま、閉じた。捨てることも、もう一度開くこともできなかった。
受験の日は、近所の高校だった。会場には知っている顔がいくつもあって、悠斗もいた。試験の出来は悪くなかった。合格発表の日、自分の番号を見つけたとき、私は嬉しいよりも先に、ほっとしていた。これで、母と争う日々は終わる。そう思った。
母は大喜びだった。真由美さんにすぐ電話をして、二人で合格を祝った。その電話の声を聞きながら、私は自分の部屋に戻った。
そして入学式の日。
近所の高校の校門の前は、新入生と保護者でいっぱいだった。その中で、悠斗と真由美さんの姿があった。悠斗も同じ制服を着ていた。当たり前の光景のはずなのに、私は足を止めた。
校門の前で悠斗を見つけた母は、本当に嬉しそうに言った。
「よかったね。高校でも一緒で」
真由美さんも笑っていた。二人の母の間では、全部がうまくいっていた。私の三年間は、この校門の中で決まったのだと思った。
私はその時に決めた。
次は言わない。
本当に行きたい場所は、決まるまで母には教えない。




