第6話 真実には、領収書がつく
雨はいつの間にか細くなっていた。
屋根を伝う水滴が一定の間隔で落ち、荒れた夜が少しずつ記録の中へ収まっていく。
「訂正文書が正式に発行されましたら」
国王陛下は顔を上げた。
「謝罪を受け取ります」
「分かった」
「それから、私が行った公務について、私の名を記録に残していただけますか」
「もちろんだ」
「ありがとうございます」
賠償金だけではなく、記録を求める。
よい依頼人である。
やはり雇いたい。
「お前の処分についてだが」
国王陛下が王太子殿下を見る。
「処分?」
「なぜ驚く」
「僕は真実の愛を選んだだけです」
「恋人を選んだことではなく、王家の名を使って承認のない文書を発行し、公の場で臣下の名誉を傷つけたことについて話している」
「僕は、婚約を解消しただけです」
「婚約を解消する意思と、相手の名誉を傷つけることは別だ」
王太子殿下は黙った。
「当面、王太子としての公務から外す。離宮で謹慎し、妃教育初級を最初から受け直せ」
「妃教育?」
「お前が婚約者へ当然のように課していたものだ。まず、自分で受けてみろ」
「父上!」
「他人の名を正しく覚えるところからだ」
国王陛下の視線が、桃色の少女へ向く。
少女は王太子殿下の後ろから、さらに半歩下がった。
「そなたは」
「わ、私は、何も」
「責めているのではない。名を尋ねようとしただけだ」
少女は名乗った。
国王陛下は1度で正しく復唱した。
王太子殿下が、わずかに気まずそうな顔をした。
「そなたと息子の交際について、今夜ここで判断するつもりはない。ただし、王太子妃の座が自動的に空いて、そこへ入れるとは思わぬことだ」
「そんな、私はただ、殿下を愛して」
「愛情と職務能力は別だ」
国王陛下は淡々と言った。
「息子は、それを理解できなかった。そなたまで同じであれば困る」
少女はうつむいた。
気の毒ではある。
だが、王太子殿下と共に夜会へ現れ、エルネスタ嬢の公開婚約破棄に立ち会った以上、何も知らなかったでは済まない部分もある。
真実の愛には、真実を確認する義務もあるのだろう。
「戻るぞ」
国王陛下が言った。
「父上、僕はまだ」
「続きは王城で聞く」
「ですが、金貨84,000枚など」
「心配するな」
国王陛下は息子の肩を叩いた。
「お前の私有財産だけでは足りない」
「安心できません!」
王太子殿下は護衛に挟まれ、店を出ていった。
桃色の少女も、そのあとに続く。
最後に国王陛下が振り返った。
「サロメ殿。正式な鑑定書を王城へ送ってくれ」
「鑑定料と時間外料金を含めます」
「ああ」
「今夜の騒ぎによる特別手当も」
「それも頼む」
話の分かる国王で助かった。
扉が閉まる。
馬車が動き出し、車輪の音が遠ざかっていった。
店内に、ようやく静けさが戻る。
銀秤の炎も、役目を終えたように小さくなった。
「終わりましたね」
エルネスタ嬢が言った。
「いいえ」
「まだ何か?」
「正式な鑑定書を作成し、王宮文書院の記録と照合し、訂正公告の文面を確認します。賠償額の支払い方法についても、王家と交渉が必要です」
「そうでした」
「実務は、ここからです」
エルネスタ嬢は7冊の手帳を見た。
「お手伝いできますか」
「依頼人に鑑定書を作らせるわけにはいきません」
「ではなく」
彼女は少し言いよどんだ。
今夜、初めて見る表情だった。
「先ほどのお話です」
「先ほど?」
「こちらで働かないかと」
「ああ」
私はつい口にしただけだった。
だが、冗談ではなかった。
「本気ですか」
「はい」
「王太子妃になるはずだった方が、王都の裏通りで婚約破棄の値段を数える仕事を?」
「何か問題がありますか」
「ご両親が驚かれます」
「今夜のこと以上には驚かないでしょう」
「給与は王太子妃より低いですよ」
「王太子妃の給与は、ありませんでした」
「それはよくありませんね」
「私も、今、そう思いました」
エルネスタ嬢は、ほんの少し笑った。
夜会用の化粧も、白い礼服も、彼女にはよく似合っていた。
けれど、7冊の手帳を前にして笑う顔のほうが、もっと似合う。
「試用期間は3か月です」
「はい」
「客の話を最後まで聞くこと。自分の経験だけで判断しないこと。記録のない話を、事実として秤に載せないこと」
「承知しました」
「朝は早いです」
「何時ですか」
「10時」
エルネスタ嬢が瞬きをした。
「早いでしょうか」
「私には早いのです」
「分かりました」
「それから、給与は月末払いです」
「はい」
「無料で働こうとは思わないでください」
エルネスタ嬢の返事が、一瞬遅れた。
「……はい」
「今、無料でもよいと思いましたね」
「少し」
「それを直すところから始めましょう」
私は雇用契約書を取り出した。
今夜、王太子殿下が用意した婚約破棄証明書よりも、ずっと内容の整った書面である。
「読んでから署名してください」
「もちろんです」
エルネスタ嬢は椅子を引き寄せ、書面を読み始めた。
最初から最後まで。
途中で2か所、質問をした。
1か所、記載の不備を見つけた。
やはり雇って正解だった。
*
後日、王宮文書院の記録と照合した結果、エルネスタ嬢の手帳に記された公務、代行、文書修正の大半が裏づけられた。
仮鑑定から修正された細目もあったが、増減を相殺した最終額は、1枚も変わらず金貨84,000枚となった。
国王陛下の謝罪文と訂正文書は正式に発行され、王太子殿下の離宮謹慎と妃教育初級の再履修も決まった。
3か月後。
《未練商会》の看板の下に、新しい札が増えた。
『婚約破棄、離縁、共同契約の解消。その他、数えられなかった損失を鑑定します』
その下に、もう1枚。
『担当鑑定士 エルネスタ・クロイツ』
正式な契約損害鑑定士の資格を取るには、まだ時間がかかる。
それでも、相談の聞き取りと証拠整理については、すでに私より細かい。
特に、名前を間違える客には厳しかった。
王都では今日も、誰かが誰かの働きを、なかったことにしている。
そのたびに、当店の扉が開く。
記録する。調べる。数える。
そして、必要なら請求する。
真実には、領収書がつくことを忘れてはならないのだ。




