↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄鑑定士は、恋を値切らない  作者: くるみ
第3章 愛していても、結婚しない2人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/43

第39話 出航の日

港は朝から灰色だった。

雨と海の境目が曖昧で、停泊した船の帆柱だけが、空へ細い線を引いていた。


出航の日は、朝から小雨だった。

《未練商会》の仕事ではない。

それでもエルネスタは、港まで見送りに来ていた。

サロメは店を開けるからと来なかった。

レオンは、調査団の輸出書類確認という仕事を理由に来ている。

本当に仕事らしく、朝から係官と話していた。


クルミは連れてきた。

留守番を嫌がり、エルネスタの鞄へ勝手に入っていたので仕方がない。

南方調査船の前には、荷物と見送りの人であふれていた。

フェルナー工房が作った硝子器具の箱も積まれている。

以前より頑丈な仕切りがつき、表には大きく『割れ物』と書かれていた。


「字が大きすぎませんか?」


セシリアが言う。


「船員が見落とさないように」


ユリウスが答える。


「3面すべてに書いてあります」

「どこから見ても分かる」

「少し恥ずかしいです」

「瓶が割れるよりいい」


最後まで、話しているのは仕事のことだった。

ローデン男爵は、娘の荷物を何度も確認している。


「薬は?」

「持ちました」

「防水外套は?」

「箱に」

「護身用の笛は?」

「首にかけています」

「手紙は」

「書きます」

「年に3回では少ない」

「お父様にも書くので」

「ユリウス君だけでなく?」

「当たり前です」


男爵は、少し安心した顔をした。


「無事に帰りなさい」

「はい」

「研究が終わらなくても、1度は」

「考えます」

「帰ると言いなさい」

「約束できないことは言いません」

「昔から頑固だな」

「お父様に似たのです」


男爵は反論しなかった。

出航の鐘が鳴る。

見送りの者は、船から離れるよう声をかけられた。


「では」


セシリアがユリウスへ向き直る。


「行ってきます」

「ああ」

「それだけですか?」

「何を言えばいい」

「知りません」

「無事で」

「はい」

「食べられる植物か、確認してから口にしろ」

「研究者へ言うことですか?」

「君は珍しいと、すぐ触るから」

「食べません」

「以前、食べただろう」

「あれは味を確かめただけです」

「同じだ」


セシリアは笑った。

それから、少し迷い、両腕を広げた。


「抱きしめても?」

「僕に聞くのか」

「婚約は解消しましたから」

「嫌なら、ここに来てない」


ユリウスが彼女を抱きしめた。

長くはなかった。

離れるとき、セシリアが彼の上着を少しつかんだ。

けれど、すぐに手を離した。


「手紙を書きます」

「ああ」

「返事をください」

「書く」

「仕事の話だけでなく」

「年に3回のうち、1回くらいは」

「少ないです」

「では、2回」

「3回とも」

「考えておく」

「今、約束してください」

「時間がないぞ」


船員が、乗船を急かしている。

セシリアは諦めたように息を吐いた。


「では、行きます」

「ああ」

「ユリウス」

「何だ」

「愛しています」


ユリウスは、すぐに返事をしなかった。

出航の鐘が、もう1度鳴る。


「僕も」


短い言葉だった。

セシリアはうなずき、船へ乗った。

離れていく船上から、何度も手を振る。

ユリウスも、見えなくなるまで港を動かなかった。


エルネスタは少し離れて立っていた。

慰める言葉は思いつかない。

別れを選んだのだから、悲しむなとも言えない。


「これでよかったのでしょうか」


気づけば、隣に来たレオンへ尋ねていた。


「本人たちは、よいと言っていました」

「今後、後悔するかもしれません」

「するでしょうね」

「迷わず言いますね」

「結婚しても、後悔することはあったでしょう」

「そうですが」

「後悔しない選択を探していたら、船が出てしまいます」


レオンは沖へ目を向けた。


「今日は、出ましたが」

「はい」

「それでも、2人が決めた」

「はい」

「鑑定士が、それ以上を決める必要はないでしょう」


エルネスタは港に残ったユリウスを見る。

彼は手の中に、小さな紙片を持っていた。

セシリアから渡されたのだろう。


「法務官殿」

「何です?」

「少し、まともなことをおっしゃいましたね」

「普段は?」

「言ってよいのですか?」

「聞きません」


足元から、クルミが短く鳴いた。

口には、青い紐をくわえている。


「あ」


セシリアの荷物についていた紐だった。


「いつ取ったのですか」

「キュ」

「返せませんね」


船はすでに岸を離れている。

エルネスタは紐を受け取り、鞄の中へしまった。


「次の手紙に入れましょう」

「あなたが書くのですか?」

「セシリア様へ、書類を送る用事があります」

「仕事上?」

「はい」

「それだけですか?」


エルネスタはレオンを見た。


「何です?」

「いいえ」


少し前のセシリアとユリウスのような会話だった。

エルネスタは、何となく先へ歩いた。


「店へ戻ります」

「送ります」

「1人で帰れます」

「港周辺は混雑しています」

「監査ですか?」

「違います」

「では?」


レオンは答えなかった。

エルネスタも、それ以上は聞かなかった。



半年後、南方から最初の手紙が届いた。

宛先は、フェルナー工房。

その翌日、《未練商会》へユリウスが来た。


「鑑定をお願いしたいわけではありません」


彼は言った。


「では、何でしょう」

「セシリアから、これが」


手紙と一緒に、小さな包みが入っていたらしい。

中には、見たことのない赤い種が3粒。

手紙には、こう書かれていた。


『現地では、硝子器具の栓へ使う樹脂を取る木の種だそうです。工房で試せますか』


「仕事の手紙ですね」


エルネスタが言う。


「半分は」

「残りは?」

「長いので」


ユリウスは手紙を丁寧に畳んだ。


「返事を書きます」

「年に3回の1回目ですか?」

「これは仕事の手紙だから、それには数えないことにします」

「セシリア様は同意を?」

「これから聞きます」

「手紙で?」

「はい」


少し遠回りではある。

けれど、それが2人の選んだ関係なのだろう。

婚約は終わった。

愛情は、終わったことにしなかった。

そして、人生は別々の場所で続いている。

銀秤が答えを出したわけではない。

出したのは、2人だった。



ユリウスが帰ったあと、店にはしばらく客が来なかった。

サロメはカウンターで古い帳簿を整理していた。

エルネスタは、今回の鑑定記録をまとめる。

クルミは窓辺で胡桃をかじっている。

穏やかな午後だった。

扉の鐘が鳴るまでは。


入ってきたのは、50代ほどの男だった。

旅用の外套を着て、手には古い革鞄を持っている。


「こちらに」


男は店内を見回した。


「サロメ・ヴァイスという鑑定士はおりますか」


カウンターの奥で、紙をめくる音が止まった。

エルネスタはサロメを見る。

いつもと同じ顔だった。

ただ、帳簿を押さえる指だけが、少し強くなっている。


「私ですが」


男は革鞄を開けた。

中から、古びた手紙の束を取り出す。

紐で丁寧に結ばれていた。


「これを、返すよう頼まれました」

「誰に?」


サロメの声は、普段より少し低かった。

男は、1通の封筒を机へ置いた。

宛名には、サロメの名が書かれている。


「エドガー・ラインハルト様です」


サロメは、しばらく封筒を見ていた。


「その人は」


1度、言葉が途切れる。


「まだ、生きているのですか?」


男は首を横に振った。


「先月、亡くなりました」


クルミの黒い尾が、ゆっくりと揺れた。

サロメは手紙へ触れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。