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婚約破棄鑑定士は、恋を値切らない  作者: くるみ
第3章 愛していても、結婚しない2人

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第36話 父親の心配

夕方になると裏通りの音は低くなる。

怒った足音だけが遠くからはっきり聞こえ、店の扉の前で止まった。


その日の夕方、セシリアの父親が店へ現れた。

予約はなかった。

最近、予約なしで怒っている人間が来店することが多い。


「婚約解消を取り消してください」


挨拶を終える前に、ローデン男爵は言った。


「当店に、その権限はありません」


サロメが答える。


「では、娘を説得してほしい」

「説得業は扱っておりません」

「鑑定士なら、どちらの人生に価値があるか分かるでしょう」


エルネスタは手を止めた。

セシリアたちと同じ発想だった。


「娘は女です」


男爵は続ける。


「いずれ結婚する。研究は、そのあとでもできるでしょう」

「調査団への参加は、3か月後です」

「断ればよい」

「その後、同じ機会がある保証はありません」

「結婚の機会も同じだ」

「ですから、どちらを選ぶかは、ご本人が決めます」

「親として、娘の将来を心配しているのです」

「はい」

「南方は危険だ。病気もある。船が沈むこともある」

「はい」

「ユリウス君は、よい男です」

「私も、そう思います」

「なら」

「よい婚約者だからといって、セシリア様が望む人生と一致するとは限りません」


男爵の顔が険しくなる。


「あなたは、婚約を破棄されたから、そのようなことを言うのですか」


何度目だろう。

もう数える気になれなかった。


「私の経歴と、セシリア様の希望は関係ありません」

「関係がないと言い切れるのか」

「監査済みです」


レオンが横から言った。

男爵が驚いて彼を見る。


「何です?」

「彼女が私怨を業務へ持ち込んでいないか、王国監査院で確認しました」

「なぜ法務官が、婚約破棄の店に」

「それは長くなります」


サロメが言った。


「お茶は有料ですが、聞きますか?」

「結構です」

「では、本題だけにしてください」


男爵はエルネスタを睨んだ。


「娘は、後悔します」

「するかもしれません」


エルネスタは答えた。


「では」

「結婚を選んでも、後悔するかもしれません」

「ユリウス君との結婚を?」

「何を選んでも、後悔する可能性はあります」

「それでは、親が正しい道を」

「正しいと、どうして分かるのですか?」


男爵は黙った。


「セシリア様が南方へ行き、後悔したとき」


エルネスタは言葉を選んだ。


「ご本人は、自分で選んだと考えられます」

「だから、親は何も言うなと?」

「心配だと伝えることはできます」

「断れと言ってはいけない?」

「言うことはできます」

「なら」

「従わせることはできません」


男爵は机へ手をついた。


「結婚を断れば、調査から戻ったときには30を過ぎている」

「はい」

「そのとき、結婚できなければ?」

「セシリア様が困るとおっしゃいましたか?」

「言わなくても分かる」


その言葉に、エルネスタは小さく息を吐いた。


「分からないことを、分かったことにしてはいけません」


男爵は何も言わなかった。

しばらくして、少しだけ声を落とした。


「娘は、結婚したくないと言っているのか」

「いいえ」

「では、ユリウス君が嫌いなのか」

「愛しているそうです」

「それなら、なぜ」

「愛していても、選べない生活があるからです」

「そんなものは、結婚してから合わせれば」

「どちらが?」


男爵が口を閉じる。


「セシリア様が?」

「ユリウス君には工房がある」

「セシリア様には仕事があります」

「まだ始めてもいない仕事だ」

「始める機会を、今、得ています」

「研究など」


男爵はそこまで言い、止まった。

自分の言葉を飲み込んだらしい。


「研究など、何ですか?」

「……生活にはならない」

「王立博物院から、正式に給与が支払われます」

「危険だと言っている」

「はい」

「心配なのです」


最後の言葉だけは、怒鳴るような声ではなかった。


「娘が、遠い海で死ぬかもしれない」

「はい」

「2度と会えないかもしれない」

「はい」

「それでも、行かせるのか」

「私が行かせるのではありません」


エルネスタは静かに答えた。


「セシリア様が行くのです」


男爵は椅子へ座った。

初めて、怒る以外のことを考えている顔になった。


「父親には、何ができる」

「聞いてみてください」

「何を」

「出発までに、何をしてほしいか」

「止めてほしいと言われたら?」

「そのときは、話し合えばよいと思います」

「言わないだろう」

「決めつけないでください」


男爵は、少しだけ苦笑した。


「厳しいな」

「よく言われます」

「王太子殿下にも?」

「殿下は、あまり聞いていませんでした」


男爵は今度こそ、小さく笑った。


「娘に会ってくる」

「はい」

「鑑定料は?」

「今日は相談を受けていません」


サロメが答えた。


「では、無料か」

「扉を乱暴に開けたので、修理点検料を」

「店主」


エルネスタが止める。


「冗談です」


サロメは少し考えた。


「4分の1ほど」

「取るのですか?」


男爵は銀貨を置いて帰った。

閉まった扉を見ながら、レオンが言う。


「無料ではなかったですね」

「水以外は、だいたい有料ですので」


サロメは銀貨をしまった。

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