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婚約破棄鑑定士は、恋を値切らない  作者: くるみ
第3章 愛していても、結婚しない2人

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33/41

第33話 大きな青い炎

銀秤の表面には、2人の顔が小さく歪んで映っていた。

近くに座っているのに、鏡の中では別々の方向を向いているように見えた。


「僕が初めて1人で作った薬瓶です」

「なぜ、セシリア様へ?」

「植物の標本を入れると言うので」

「入れていません」


セシリアが言った。


「割れたら困るから」

「使うために渡したんだけど」

「知っています」

「ずっと棚に飾っていただろう」

「毎日見ていました」


ユリウスが何か言おうとして、やめた。

セシリアは、押し葉の入った紙を取り出した。


「これは、12年前に2人で見つけた花です」

「12年前?」

「幼なじみなのです」

「僕が、珍しい花だと言ったら、セシリアが本気にして」

「珍しかったでしょう」

「どこにでも咲く花だった」

「当時は知りませんでした」

「僕も知りませんでした」

「では、同じです」


2人の口元が、同時に少し緩んだ。

すぐに、また静かになる。


エルネスタは、婚約契約書と硝子瓶、押し花を銀秤へ載せた。

皿が沈む。

青い炎が上がった。

炎は一瞬で大きくなり、エルネスタの顔の高さを越えた。


「わ」


セシリアが小さく声を上げる。

銀秤から青い火の粉が舞い、天井の近くで消える。

クルミが棚の上から飛び降り、黒い尾を激しく揺らした。


「ずいぶん大きいですね」


ユリウスが言った。


「はい。少なくとも、これらの品には強い感情が長く残っています」

「王太子殿下のときよりも?」


エルネスタは答えに迷った。


「比べる必要はありません」


サロメが奥から言った。


「未練の量は、競技ではありませんので」

「すみません」

「いえ。よく聞かれます」


青い炎は、弱まらない。

愛情なのか。

共有した時間なのか。

実現しなかった未来への執着なのか。

秤だけでは区別できない。


「これだけ未練があっても」


セシリアが炎を見つめる。


「別れてよいのでしょうか」


エルネスタは答えようとした。

だが、言葉がすぐには出なかった。

よいとも、悪いとも言えない。


「銀秤は」


ようやく口を開く。


「別れるべきかどうかを決めません」

「では、この炎は何のために?」

「失うものがあると、分かるためです」

「それだけ?」

「はい」


セシリアの目から、また涙が落ちた。


「失うものが大きいなら、やめたほうがよいのでは」

「失いたくないものと、選びたいものが同じとは限りません」

「難しいですね」

「はい」


エルネスタにも難しかった。

失ったものへ値段をつけてもらったからこそ、今ここにいる。

けれど、値段が高かったから、王太子との婚約へ戻りたかったわけではない。

青い炎が大きくても、結婚したいとは限らない。


「今日は、鑑定を確定しません」


エルネスタが言った。


「なぜですか?」

「お2人が何を失うのか、まだ十分に分かっていないからです」

「夢と工房では?」

「それだけではありません」


エルネスタは2人の間に置かれた、離れた手を見た。


「別れたあと、お2人がどのような関係を望むのかも伺います」

「関係?」

「2度と会わないのか。友人になるのか。手紙を送るのか。帰国したら会うのか」


セシリアとユリウスが互いを見る。


「決めていません」

「では、決めましょう」

「今、ここで?」

「今日でなくても構いません」

「いつまでに?」

「船が出る前には」

「3か月しかありません」

「3か月あります」


セシリアは、青い炎へ手を近づけた。

触れない距離で止める。


「それから、結婚準備に使った費用と、贈答品の一覧をお持ちください」

「やはり、お金も?」

「金銭の整理は必要です」

「私たち、争うつもりはありません」


ユリウスが言った。


「争わないために整理します」

「全部返すだけでは駄目ですか?」

「返したくない物は?」


ユリウスが青緑色の硝子瓶を見る。

セシリアは押し花を見た。


「ありますね」


エルネスタが言うと、2人は黙った。


「次回までに、返す物、返さない物、決められない物を分けてください」

「子どものようですね」


セシリアが少し笑う。


「大人でも、分けられないものはあります」

「エルネスタ様にも?」

「あります」

「何ですか?」


エルネスタは答えようとして、困った。

王太子との婚約に関係する物は、ほとんど返却した。

残したのは7冊の手帳だけだ。

思い出のためではない。

記録として。


「手帳です」

「手紙ではなく?」

「はい」

「ロマンがありませんね」

「よく言われます」

「誰に?」


窓際から、レオンが顔を上げた。


「私ではありません」

「何も聞いていませんが」

「こちらを見たので」

「法務官殿のことではありません」

「そうですか」


レオンは報告書へ戻った。

セシリアとユリウスが、初めて同時に笑った。

笑ったあと、また互いを見た。

今度は、少しだけ長く。


「次に来るときにも」


セシリアが言った。


「まだ未練が残っていると思います。また手をつないでしまうかもしれません。それでもいいでしょうか」

「私へ許可を求めているのですか?」

「婚約を解消するのに、おかしいでしょうか」

「まだ解消していません」

「そうでした」


セシリアは机の上へ置いた手を、少しだけユリウスの側へ動かした。

ユリウスが握る。


「次回も、2人で来ます」

「お待ちしています」


2人が店を出たあとも、青い炎はしばらく消えなかった。

エルネスタは銀棒で炎を静める。


「難しい顔ですね」


サロメが言った。


「分かりますか?」

「分かりやすいので」

「愛しているなら、結婚したほうがよいのでしょうか」

「私に聞かないでください」

「店主でしょう」

「結婚相談所の店主ではありません」


サロメは銀秤から硝子瓶を下ろした。


「その質問に答えられる人がいるなら、婚約破棄の店は必要ありませんよ」

「では、どうすれば」

「依頼人の話を聞く」

「聞きました」

「まだ足りないのでしょう?」


エルネスタは、閉じた扉を見る。


「はい」

「なら、次も聞けばよいです」


サロメはカウンターへ戻った。

いつも、言うことは簡単だった。

実際に聞くのは、難しい。


エルネスタが銀秤を片づけようとすると、青緑色の硝子瓶が残っていた。


「あ」


2人が忘れていったらしい。

瓶の底には、小さな文字が彫られている。


セシリアへ。

その横に、少し歪んだ花の模様。

12年前に、2人が珍しいと思った、どこにでも咲く花だった。


エルネスタは瓶を布で包み、保管箱へ入れた。

返すのか。

残すのか。

それとも、別の使い方をするのか。

決めるのは、銀秤ではなかった。

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