第27話 神殿の帳簿
会計室の高窓には色硝子が入り、机の上へ赤や青の光を落としていた。
美しい光の下で、帳簿の数字だけはどれも同じ黒色だった。
神殿の帳簿を確認することが決まったのは、その日の面談の終わりだった。
オルディス神殿長は当初、宗教施設の会計へ監査院が立ち入ることに難色を示した。
だが、大神殿は王家から治癒院の運営補助金を受け、寄付金について税の免除も受けている。
公的な資金が含まれる範囲については、所定の監査手続きが使える。
それ以外の帳簿は、神殿側の同意を得て必要部分だけ確認することになった。
「すべてを開示することはできません」
「求めていません」
レオンが答えた。
「治癒院の運営費、聖女に関係する支出、公的補助金の使途を中心に確認します。寄付金については、今回の補償に使えるかではなく、聖女の業務がどのように運営へ組み込まれていたかを見るためです」
「信徒個人の寄付記録は」
「氏名を伏せて構いません」
「祭礼費は?」
「聖女の出席と関連する範囲だけで結構です」
神殿長は、少し意外そうにレオンを見た。
「もっと広い範囲を要求するものと思っていました」
「権限のない範囲まで求めれば、調査自体が問題になります」
「ずいぶん慎重なのですね」
「仕事ですから」
エルネスタは、少し前なら、その慎重さをもどかしいと思っただろう。
今も、少しは思う。
けれど、正しい手続きを踏まなければ、後からすべてをなかったことにされる。
リディアの10年間を守るためには、怒りだけでは足りない。
*
3日後、エルネスタとレオンは大神殿の会計室にいた。
高い天井。
壁一面の書棚。
窓には、治癒の奇跡を表す色硝子がはめ込まれている。
卓上には、10年分の関係帳簿が積まれていた。
「多いですね」
エルネスタが言う。
「10年分ですから」
「法務官殿は、嬉しそうですね」
「そう見えますか?」
「少し」
「気のせいです」
彼はすでに1冊目を開いている。
数字が並んだ頁を前にすると、口調がわずかに柔らかくなる。
本人は認めないだろう。
クルミは連れてきていない。
帳簿の角をかじった前科があるため、サロメから留守番を命じられていた。
「こちらです」
会計官が、寄付金の一覧を示した。
聖女が晩餐会へ出席した年は、寄付額が大きく増えている。
通常の月が金貨400枚前後。
聖女が寄付者へ挨拶する晩餐会の月は、1,500枚を超えていた。
「リディア様の出席は、寄付の条件ですか?」
「条件ではありません」
「出席しない年は?」
「寄付者の方々から、不満が出ます」
「実質的には必要だった」
レオンが書き留める。
「集めた寄付の使途は?」
「7割以上が、貧しい患者の治療と薬代です」
帳簿を確認すると、その説明は事実だった。
治療費を払えない者へ薬を配り、地方の治療院へ治癒師を派遣している。
神殿がすべてを贅沢へ使っていたわけではない。
「残りは?」
「指定寄付は指定された事業へ。用途の指定がない収入は、建物の維持費、祭礼費、聖職者の生活費などに充てています」
「この金の鐘は」
エルネスタが1行を指した。
「大神殿建立200年の記念事業です」
「金貨900枚」
「信徒から用途を指定された寄付です」
「ほかへ使えないのですか?」
「寄付者の同意がなければ」
「では、補償財源には数えません」
レオンが言った。
「公的な治癒院補助金も同様です。目的外へ回せません」
「リディア様の包帯代は、年間で?」
会計官が別の帳簿を開く。
「金貨1枚と銀貨12枚です」
エルネスタは、先ほどの鐘の金額をもう1度見た。
「比べるべきではありません」
会計官が言った。
「用途の違う寄付です」
「分かっています」
「では」
「分かっていますが、少ないと思っています」
会計官は黙った。
レオンが別の頁を指す。
「聖女維持費、年間金貨120枚」
「部屋、衣服、食事、警護費です」
「本人が自由に使える金銭は?」
「ありません」
「なぜです?」
「必要な物は神殿が用意しますから」
「墓参りの花は?」
エルネスタが尋ねる。
会計官は目を伏せた。
「私的な支出です」
「私的な金銭を持たせていないのに?」
「聖女は、俗世の財産から離れるものです」
「本人が希望したのですか?」
「誓約に」
「その誓約の説明記録はありません」
レオンが言った。
会計官の顔が硬くなる。
そのとき、神殿の小姓が部屋へ入り、レオンへ封書を渡した。
王国監査院の印がある。
レオンは中身を読み、眉を寄せた。
「何ですか?」
エルネスタが尋ねる。
「調査範囲についての指示です」
「中止ですか?」
「いいえ」
「でも、顔が」
「宗教上の教義には立ち入るな、と」
「それでは、誓約書について調べられません」
「教義が正しいかどうかは調べられません」
レオンは封書を畳んだ。
「ですが、公的補助金の使途と、契約の成立過程は調べられます」
「範囲を狭めるのですか」
「最初から、その範囲です」
「神殿が、奉仕は教義だと言えば?」
「奉仕を信じる自由はあります」
レオンは帳簿へ視線を戻した。
「奉仕を理由に、本人の意思を確認せず世俗上の権利まで無制限に拘束できるかは、別です」
「監査院から止められても?」
「止められていません」
「止められたら?」
「そのとき考えます」
「今、格好よく言うところでは?」
レオンが顔を上げた。
「何をです?」
「いいえ」
期待したエルネスタが悪かった。
会計官が、こらえきれないように小さく咳をした。
笑ったのかもしれない。
「続きを見せてください」
レオンは平然と言った。
「晩餐会の支出と、聖女の出席記録を照合します」
会計官は、次の帳簿を差し出した。
神殿が救ってきた人の数は多い。
そのために、リディアの力が必要だったことも事実だ。
だからこそ、誰も止めなかった。
善い目的に使われている限り、誰か1人の痛みは、見えにくくなる。
帳簿の数字は、その両方を残していた。




