第24話 今日は戻りません
急に店外が騒がしくなった。
扉の外には神殿騎士の白い外套が並んだ。
路地を通る人々は足を速め、店の前だけが、いつの間にか小さな境界のようになっていた。
「神殿を悪く言わないでください」
「まだ、悪いとは言っていません」
「皆様、よくしてくださいます。食事もありますし、冬は暖炉も」
「それで、十分だと思っていますか?」
リディアは答えなかった。
クルミの背を撫でる。
何度か口を開きかけ、やがて小さな声で言った。
「分かりません」
「はい」
「私は、何を求めてもよいのか、分からないのです」
エルネスタは、すぐには質問を続けなかった。
店へ来たとき、リディアは報酬が欲しいと言った。
けれど、本当に欲しいものは、金貨だけではないのだろう。
「神殿を辞めたいですか?」
「それも、分かりません」
「奇跡を使いたくない?」
「治せる人を、治さずに帰すのは嫌です」
「では、今のまま続けたいですか?」
リディアの指が、包帯の端を握った。
「……眠りたいです」
「眠る」
「朝、鐘が鳴っても、起きなくてよい日が欲しいです」
声が震えた。
「誰かが待っていると思わずに、眠ってみたいです」
大きな望みではなかった。
1日。
ただ眠るだけ。
それすら、10年間、1度も自分で決められなかった。
エルネスタは手帳へ書き留めた。
「ほかには?」
「花を」
「お母様のお墓へ?」
「はい」
「ご自分で買いたいですか?」
リディアは少し考えた。
「自分で選びたいです」
「分かりました」
エルネスタは新しい頁を開いた。
「まず、奉仕誓約書を確認します。治癒院の勤務記録、寄付金の帳簿、患者数、神殿が負担している衣食住の費用も、必要な範囲で任意提出をお願いします」
「神殿が見せてくださるでしょうか」
「提出を拒まれた場合は、公的補助金に関係する部分など、監査権限の及ぶ範囲を正式な手続きで確認します」
レオンが答える。
「全部を無理に出させることはできません」
リディアが不安そうに扉を見る。
「私、勝手に来てしまいました」
「外出の許可が必要なのですか?」
「聖女は危険だから、1人で出てはいけないと」
「誰にとって危険なのでしょう」
サロメが尋ねた。
「誘拐されることがあります」
「されたのですか?」
「いいえ」
「では、今日は誘拐ではありませんね」
「店主」
「確認です」
ちょうどそのとき、扉の鐘が鳴った。
白い法衣を着た若い司祭が、息を切らして立っていた。
その後ろには、神殿騎士が2人いる。
「聖女様」
司祭はリディアを見つけ、安堵したように肩を落とした。
「ご無事でしたか」
「マティアス司祭」
「突然いなくなられたので、皆が心配しております」
「書き置きは」
「拝見しました。ですが、お1人で外出なさるなど」
司祭の視線が、銀秤と手帳へ移る。
「ここで、何を?」
リディアの指が、膝の上で縮こまった。
エルネスタは手帳を閉じた。
「契約損害の相談です」
「契約?」
「はい」
「聖女様と神殿の間に、損害などありません」
「それを確認するために、話を伺っています」
司祭の顔から、安堵が消えた。
「聖女様」
声が少し硬くなる。
「神殿へお戻りください」
リディアは立ち上がらなかった。
司祭が戸惑ったように彼女を見る。
「皆が待っています」
「患者が?」
「ええ」
「何人ですか?」
「今のところ、12人ほどです」
リディアの身体が、椅子からわずかに浮いた。
エルネスタは反射的に声をかけた。
「リディア様」
聖女は動きを止めた。
「お戻りになりたいですか?」
「患者が待っています」
「それは、お戻りになりたいという意味ですか?」
リディアは答えられなかった。
司祭が1歩、店内へ入る。
「聖女様には、神より与えられた務めがあります」
サロメが、空になった茶の杯を持ち上げた。
「その務めについて、現在、営業時間内に相談を受けています」
「神殿の問題です」
「契約の問題でもあります」
「部外者が口を挟むことではありません」
「それは困りました」
サロメは壁の営業許可証を指した。
「当店、口を挟むことで営業しておりますので」
司祭は許可証を見る。
次に、王国監査院の徽章をつけたレオンを見た。
最後に、もう1度リディアへ視線を戻した。
「聖女様」
今度の声は、先ほどより静かだった。
「神殿へ、お戻りいただけますね?」
リディアは包帯を巻いた両手を見つめた。
クルミが、その膝の上で短く鳴く。
「キュ」
聖女は顔を上げた。
「今日は」
1度、声が途切れる。
「今日は、戻りません」
店内の誰も、すぐには動かなかった。
12人の患者が待っている。
それでもリディアは、10年間で初めて、自分で1日の終わりを決めた。




