表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄鑑定士は、恋を値切らない  作者: くるみ
第1章 白い結婚には、家事代が含まれますか

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/23

第19話 謝罪は、値引きになりません

夜の《未練商会》は、昼より狭く感じられた。

外の店が灯りを落とすほど、相談机の上の書類だけが逃げ場なく明るくなる。


「次に、屋敷および領地の管理業務です」


エルネスタは鑑定書の2頁目を開いた。


「金貨1,180枚」


ヴァルナー伯爵の眉間に皺が寄る。


「それは、さすがに認められない」

「どの部分でしょうか」

「全部だ」

「理由を伺っても?」

「妻として暮らしていたのだから、屋敷のことをするのは当然だろう」


エルネスタは何も言わなかった。

伯爵は鑑定書へ視線を落とした。

自分でも、以前と同じ言葉を口にしたと気づいたらしい。


「……いや」


言い直そうとして、止まる。


「当然だと思っていた」

「はい」

「だが、何もしていなかったという意味ではない」


それは、初めて聞く言葉だった。

エルネスタは手帳へ書き留めた。


「記録します」

「今のも?」

「重要ですので」

「独り言のようなものだ」

「では、取り消しますか?」


伯爵は口を閉じた。

しばらくして、首を横に振る。


「いや。取り消さない」

「承知しました」


カウンターの奥では、サロメが茶葉の缶を開けていた。

聞いていない顔をしているが、蓋を閉める手が止まっている。

レオンは壁際の机に座り、伯爵家の帳簿を確認していた。

交渉には口を挟まない。

ただし、数字に誤りがあれば、すぐ指摘するつもりなのだろう。


「金貨1,180枚の内訳をご説明します」


エルネスタは、業務一覧を伯爵の前へ置いた。

「使用人の採用および配置。年間の予算管理。食材と燃料の仕入れ。領地から届く書簡への返答案作成。来客対応。式典および夕食会の準備。領民間の争いの調整」

「最後の決定は、私がしていた」

「はい。その分は差し引いています」

「差し引いて?」

「すべてをクラリッサ様の功績とはしていません」


伯爵が一覧へ目を落とす。


「こちらの水路の件は、伯爵が最終案を承認しています。そのため、調整に要した時間のみをクラリッサ様の業務として計上しました」

「私が何もしていなかったとは、書いていないのか」

「書いていません」

「そうか」


伯爵は、なぜか少し安堵したように見えた。

エルネスタは、その表情を見てから続けた。


「クラリッサ様の功績を認めるために、伯爵の功績を奪う必要はありません」

「……ああ」

「反対も同じです」


伯爵の指が、紙の上で止まった。


「伯爵のお名前で処理された仕事であっても、クラリッサ様が行った部分は消えません」

「分かっている」

「今、分かり始めたところでは?」


言ったあとで、少し強すぎたかと思った。

伯爵は怒らなかった。


「そうかもしれない」


疲れた声だった。

サロメが茶をいれながら、エルネスタへ目を向けた。

追い詰めすぎるな、という合図だろう。

エルネスタは1度息を整えた。


「全額を1度にお支払いいただく必要はありません」

「分割か」

「はい。私有財産の返還を優先し、管理業務に対する補償は10年以内の分割とします」

「10年」

「短くしますか?」

「いや。長くしてほしい」

「利息が増えます」


伯爵が顔を上げる。


「利息まで取るのか」

「10年間、クラリッサ様が受け取れない金銭ですから」

「そうだな」


思ったより素直に受け入れた。

エルネスタは、少しだけ調子を崩した。

反論されるつもりで準備していた言葉の置き場がなくなる。


「次に、介助労働、金貨360枚です」

「母の世話か」

「はい」

「それも、私が払うのか」

「伯爵家からの支払いです」

「母本人ではなく?」

「義母上へ給金を請求したいと、クラリッサ様はおっしゃっていません」

「では、なぜ」

「本来、伯爵家が用意すべき人員の代わりを、クラリッサ様が務めていたからです」


伯爵は、しばらく考えた。


「母は、クラリッサを娘のように思っていた」

「クラリッサ様も、義母上を大切に思っていらっしゃいます」

「なら」

「愛情があれば、労働は無料になりますか?」


伯爵は黙った。


「愛情があったからこそ、クラリッサ様は続けられたのだと思います」


エルネスタは銀秤の横に置かれた服薬記録へ触れた。


「ですが、愛情があったことと、伯爵家がその負担を当然としたことは、別です」

「何もかも、金にするのだな」


伯爵の声には、先ほどまでとは違う疲れがあった。


「いいえ」


エルネスタは首を横に振った。


「金にできる部分だけです」

「同じではないか」

「違います」


今度は、声を荒らさずに言えた。


「クラリッサ様が義母上を心配した気持ちには、値段をつけていません。薬を用意した時間と、通院に付き添った日数と、本来雇うべき介助人の費用を数えています」

「気持ちは数えないのか」

「数えられません」

「未練を買い取る店なのに?」

「品に残った感情の強さは、銀秤に反応することがあります」


エルネスタは小さな青い炎を見た。


「でも、それが誰の何に対する感情で、どうすればよいかは、数字だけでは決まりません」


伯爵も炎を見た。


「クラリッサは、まだ私に未練があるのか」

「私には分かりません」

「秤でも?」

「分かりません。ご本人にお尋ねください」


また、同じところへ戻った。

伯爵は苦い顔をした。


「会ってくれるか分からない」

「それも、ご本人にお尋ねください」

「あなたは何もしてくれないのだな」

「鑑定と交渉はしています」

「間を取り持つことは?」

「ご希望であれば、面談の場は用意します」


エルネスタは手帳を開いた。


「ただし、クラリッサ様が断った場合は、それまでです」

「分かった」

「それから、面談料が発生します」

「それもか」

「部屋と時間を使いますので」


伯爵は額を押さえた。

サロメが茶を持ってくる。


「この店では、水以外はだいたい有料です」

「茶も?」

「今、お出ししたものは無料です」

「なぜだ」

「顔色が悪いので」


伯爵は、少し迷ってから茶を受け取った。


「ありがとう」

「どういたしまして」


礼を言えるのか、とエルネスタは思った。

失礼なので、口には出さなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ