第12話 真珠飾りの行方
宝石商の店は磨かれた硝子と金属の匂いがした。
美しい物ほど明るい棚へ並べられ、その裏で手放された理由だけが帳簿の細い行に沈んでいる。
宝石商は、クラリッサの真珠飾りを覚えていた。
「ええ、間違いありません。4年前の冬です」
王都の南通りにある店で、年配の店主は分厚い買い取り台帳を開いた。
頁の端は黄ばんでいたが、記録は読みやすい。
日付。品物の特徴。買い取り額。持ち込んだ者の名前。
すべて、クラリッサが胡桃の箱へ残していた記録と一致している。
「真珠が7粒。留め具は銀。中央に小さな青玉が1つ」
店主は台帳を指でなぞった。
「こちらですね。金貨32枚で買い取りました」
「持ち込んだのは、クラリッサ・ヴァルナー様ご本人ですか?」
エルネスタが尋ねる。
「はい。よく覚えていますよ」
「4年前の客を?」
「あまり売りたくなさそうでしたから」
店主は眼鏡を押し上げた。
「普通、宝石を売りに来る方は、少しでも高くしろとおっしゃいます。あの方は、金貨30枚になればよい、と」
「用途をお聞きになりましたか?」
「屋根の修理費だったはずです。冬になる前に直さなければ、使用人部屋へ雨が入るとか」
レオンが台帳の内容を書き写していく。
「買い取り証明書の写しは残っていますか?」
「保管庫に。少々お待ちを」
店主が奥へ下がる。
エルネスタは、肩の上にいるクルミの前へ指を出した。
クルミはその指を嗅いだあと、興味がないように顔を背けた。
「先ほどから、おとなしいですね」
「宝石に反応すると思いましたか?」
レオンが言う。
「光る物が好きなので」
「この店で暴れられては困ります」
「法務官殿の眼鏡留めを取ったときは、すぐ返しました」
「私が取り返したんです」
正確には、乾燥リンゴと交換した。
クルミの中では、返却ではなく売却だったのかもしれない。
「これで、真珠飾りを売ったことは証明できますね」
「売却したことは」
「屋根の修理費に使ったことも」
「買い取り日と修理代の支払日が近いだけでは、まだ足りない」
「店主の証言があります」
「クラリッサ夫人から聞いた用途を、店主が覚えているだけです」
「信じないのですか?」
「信じるかどうかの話ではありません」
レオンは、書き終えた紙のインクを乾かした。
「宝石商が修理業者へ金を渡したところを見たわけではない。修理業者側の帳簿も確認します」
「ずいぶん面倒ですね」
「事実を証明するのは、たいてい面倒です」
「法務官殿は、もう少し楽に人を信じたいと思うことはありませんか?」
「あります」
意外な答えだった。
エルネスタが顔を上げると、レオンは書類を鞄へしまっている。
「ですが、信じた結果ではなく、調べた結果を提出するのが私の仕事です」
「……そうですね」
「不満ですか?」
「少し」
「正直ですね」
「法務官殿に言われたくありません」
店主が証明書の写しを持って戻ってきた。
その後、2人は修理を請け負った工房へ向かった。
工房の帳簿にも、4年前の同じ日付が残っていた。
『ヴァルナー伯爵邸、使用人棟屋根修理。受領、金貨30枚』
支払人の欄には、クラリッサの署名がある。
「一致しましたね」
工房を出たところで、エルネスタは言った。
「ええ」
「嬉しくないのですか?」
「何がです?」
「証明できました」
「宝石を売らなければ、屋根を直せなかったことが?」
エルネスタは黙った。
証拠が見つかった。
それは喜ぶべきことだと思っていた。
けれど、証明されたのは、クラリッサが自分の宝石を売って夫の家を支えていたことだ。
「……あまり嬉しいことではありませんね」
「そういう証拠もあります」
レオンは先に歩き出した。
慰めるつもりはないのだろう。
それでも、少しだけ歩調が遅くなっていた。
*
ヴァルナー伯爵邸を訪れたのは、翌日の午後だった。
クラリッサの同意を得たうえで、伯爵側へ資料の任意提出を求めたところ、本人から話をしたいとの返事があった。
屋敷はクラリッサの実家よりも新しく、大きかった。
庭木は整えられている。
玄関の石床にも埃1つない。
ただし、エルネスタには、どこか落ち着かない屋敷に見えた。
玄関へ飾られた花は、半分ほど枯れている。
季節に合わない厚手の絨毯が、まだ敷かれたままになっている。
案内役の使用人は、来客の名前を2度確認した。
小さなことばかりだった。
けれど、小さなことは、誰かが気づかなければ、そのままになる。
応接室で待っていたヴァルナー伯爵は、30代半ばの男だった。
淡い金髪を後ろへ撫でつけ、濃灰色の上着を着ている。
顔立ちは整っているが、目の下には薄い隈があった。
「監査院の方まで来るとは思いませんでした」
伯爵は、レオンの徽章を見て言った。
「離縁の話に、国が口を出すのですか」
「持参金の使用状況に確認すべき点があります」
「確認?」
「奥様の私有財産が、領地および屋敷の運営へ使われていた記録が見つかりました。現在は任意の確認です」
「妻が勝手に使ったのでしょう」
伯爵は即座に答えた。
エルネスタは手帳を開いた。
「ご存じなかったのですか?」
「細かな家計のことまでは」
「真珠飾りを売却し、使用人棟の屋根を修理したことも?」
「初めて聞きました」
「修理が行われたことは?」
「当然、知っています」
「費用を、どなたが支払ったと?」
伯爵はわずかに眉を寄せた。
「家令が手配したものだと」
「家令へ確認したところ、クラリッサ様から現金を受け取り、修理を依頼したと証言しています」
レオンが言った。
「家令は、伯爵へ報告したとも」
「昔のことです。覚えていません」
「では、報告を受けていないとは断定できませんね」
「言葉遊びをしに来たのですか?」
「確認です」
レオンは表情を変えなかった。
伯爵は不快そうに椅子へ座り直す。
「妻は、この家の女主人でした。屋敷のために多少の金を使うのは、特別なことではないでしょう」
「多少とは、いくらまでですか?」
エルネスタが尋ねる。
「金貨30枚程度で騒ぐ話ではない」
「ほかにもあります」
クラリッサが残した記録には、4年間で17件の売却が記されていた。
宝石。刺繍入りのショール。
母親から譲られた銀の小箱。
嫁入り前に集めていた希少本。
すべて合わせれば、金貨300枚を超える。
伯爵の表情が、初めて変わった。




