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婚約破棄鑑定士は、恋を値切らない  作者: くるみ
第1章 白い結婚には、家事代が含まれますか

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第10話 持参金の行方

箱を開けるたび、部屋の空気に古い布と樟脳の匂いが増えた。

返された品は整然としているのに、それを送り返した6年だけが、どの箱にも収まっていなかった。


「懐かしい」


クラリッサが青いドレスを持ち上げた。


「婚約披露の夜に着ました」

「保存状態はよいですね」

「1度も着ていませんから」

「結婚後は?」

「夫の好みではないと言われました」

「新しいドレスは、ご主人が用意したのですか?」

「いいえ。持参金から」


エルネスタは顔を上げた。


「持参金は、誰が管理していました?」

「夫です」

「金額は把握していますか?」

「最初は。ですが、領地経営に必要だと言われてからは……」


レオンのペンが止まった。


「持参金を領地経営へ使うことに、同意しましたか?」

「夫婦の財産になるものだと思っていました」

「同意書は?」

「ありません」

「使途の報告は?」

「聞けば、難しい話だから気にしなくてよいと」


部屋が静かになった。

窓の外で、風が木の枝を揺らしている。

エルネスタは青いドレスを箱へ戻した。


「持参金の帳簿も必要ですね」

「夫の家にあります」

「提出を求めます」


レオンが言った。


「応じなければ?」

「クラリッサ様の代理人を通じて、適法な開示手続きを取ることになります。私は監査官として、監査対象になる範囲の資料提出を求めますが、強制する権限はありません」

「では、誰が」

「必要なら弁護士を紹介することはできます」


相変わらず、できることとできないことをきれいに分ける。

冷たいように聞こえるが、曖昧な約束をしないだけなのだろう。

4番の箱には、刺繍道具。

5番には、本。

6番には、鏡台の小物。

7番を開けたとき、妙な音がした。


かり。

エルネスタは手を止めた。


「今、何か」

「私も聞きました」


クラリッサが箱を覗き込む。

中には、小さな木箱が1つ入っていた。

濃い褐色の木で作られ、蓋には胡桃の枝が彫られている。


「こちらも持参品ですか?」


エルネスタが目録を確認する。


「いいえ。覚えがありません」

「ご主人の家の品でしょうか」

「見たことがありません」


かり。

再び音がした。

今度は、木箱の中からだとはっきり分かった。

レオンがエルネスタの前へ腕を出した。


「下がってください」

「何か危険な物が?」

「分からないから言っています」


彼は木箱を床へ置き、留め金へ手をかけた。


「開けます」

「お気をつけて」


蓋が持ち上がった。

中から、銀灰色の塊が飛び出した。


「きゃっ」


クラリッサが声を上げる。

小さな塊はレオンの腕を駆け上がり、肩を踏み台にして棚へ飛び移った。


手のひらほどの大きさの動物だった。

丸い耳。

黒い瞳。

ふさふさした尾の先だけが、筆で染めたように黒い。

口には、半分かじった胡桃をくわえている。


「針尾リスですね」


クラリッサが言った。


「ご存じなのですか?」

「領地の森にいます。でも、人の家へ入ることは珍しいかと」


針尾リスは棚の上から3人を見下ろした。

尾の先が、左右へ小さく揺れている。


「どうして箱の中に」

「荷造りの際に入り込んだのでしょう」


エルネスタが手を伸ばすと、針尾リスは警戒するように身を低くした。


「触らないでください」


レオンが言う。


「噛むかもしれない」

「法務官殿を踏んだだけで、噛んではいません」

「それは安全の証明にならない」

「怖くないですよ」


エルネスタは針尾リスへ呼びかけた。


「こちらへいらっしゃい」

「言葉が分かるのですか?」

「分かりません」

「では、なぜ話しかける」

「法務官殿よりは聞いてくれそうなので」


レオンは黙った。

針尾リスは胡桃をくわえたまま、棚から箱の縁へ下りてきた。

それから、エルネスタの指先を1度嗅ぎ、掌へ乗った。

軽い。

毛は想像より柔らかかった。


「おとなしいですね」


エルネスタが言うと、レオンは自分の肩についた小さな足跡を払った。


「人を選んでいるだけでしょう」

「法務官殿は選ばれなかったのですね」

「踏み台には選ばれました」


クラリッサが小さく笑った。

昨日の店で見せたものより、自然な笑い方だった。

エルネスタの掌で、針尾リスが胡桃をかじる。


「この箱、胡桃を入れる箱だったのでしょうか」

「中を確認しましょう」


レオンが木箱を引き寄せた。

底には、乾いた胡桃が10個ほど残っていた。

その下に、折り畳まれた紙が入っている。


「これは」


クラリッサが紙を受け取る。

開いた途端、顔色が変わった。


「奥様?」

「私の字です」


紙には、日付と金額が並んでいた。

薪代。

医師への支払い。

使用人の給金。

屋根の修理費。


一番下には、こう記されていた。

『不足分、私物の真珠飾りを売却して補填』

別の紙にも、同じような記録がある。

『北倉庫修繕。持参金より支出』

『領主税不足。母より譲られた首飾りを換金』

『夫には報告済み』


「これは、いつの記録ですか?」


エルネスタが尋ねる。


「結婚して2年目から……5年目までです」

「なぜ胡桃の箱に?」

「夫は帳簿を見るのを嫌がりました。難しい話は家令に任せろと。それで、私が使った分だけ、別に」


クラリッサの声が細くなる。


「いずれ返してもらえると思っていました」


レオンが紙を1枚ずつ確認する。


「署名はありません」

「はい」

「領地の正式な帳簿と照合する必要があります」

「使えないのですか?」

「この紙だけでは、支出した事実の証明としては弱い」

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