第五話:眼鏡と計算と屈辱の副会長
予習のために図書室に向かうレオンハルトとルーカス。
人気の少ない廊下で、藍色の髪をきっちりと分け、神経質そうに眼鏡のブリッジを押し上げる男子生徒が待ち構えていた。
「……やぁ。君たちがヴァルデンライヒ王国からの留学生だね」
「(……また変なのが出た)」
レオンハルトの心の声が漏れそうになるのを、ルーカスが死んだ魚のような目で制する。
「僕はユリウス・ヴァン・カッセル。連合評議会財務官の息子であり、この学園の生徒会副会長を務めている。何かあれば声をかけてくれたまえ」
ユリウスは、ルーカスを値踏みするようにぶしつけな視線を向けた。
「ふむ。君がヴァルデンライヒ王立学園を首席卒業したという、ルーカス・フォン・ベルク君か。……まぁ、あちらの学園のレベルは知らないが、我がアイーゼの高度な理論が通用するかどうか、見ものだね」
「…………」
あからさまな挑発を、ルーカスは絶対零度の目で見つめる。
(へぇ、ルーカスを正面から挑発する命知らずなんて、王国にもいなかったのに)
レオンハルトが面白そうに眉を上げた。
「……その、ユリウス様が大事そうに抱えていらっしゃるのは、生徒会の今年度予算案ですか?」
ルーカスが書類の表紙を一瞥する。
「その通りだ! 僕が丸一ヶ月かけて練り上げた、寸分の狂いもない完璧な傑作だよ!」
ユリウスが自慢げに胸を張ったその瞬間、ルーカスの口から容赦のない指摘が。
「そことそこ、あとその合計項目の計算が間違っていますね。三箇所です」
「えっ?」
慌てて書類を確認するユリウス。……あっている。ルーカスの指摘通り、端数がズレている。
「なっ、なぜ一瞬で……っ!?」
「そもそも、何ですかその時代遅れな書式は。アイーゼは最新技術の国だと聞いていましたが……期待外れですね」
「なっ……!?」
「我が国では、より洗練された『次世代の運用形式』が標準ですよ。そんな化石みたいな計算方法、時間の無駄遣いにも程がある。……初等部の算数からやり直してはいかがです?」
実はこの書式、前世の知識を持つヒロインのエレナが考案した「効率的な事務システム」である。国家機密として秘匿されている。
首席を取り続けたユリウスのプライドが、バキバキと音を立てて砕け散る。
侮蔑の目を向けるルーカスの瞳には、日々溜め込んだ「黒い感情」が宿っていた。
……いや、日頃の主君への鬱憤を、目の前の格好の標的で盛大に晴らしただけなのだが。
(……ああ。無能を論破するのって、なんて健康にいいんだ。胃の痛みが引いていく……)
「う、うぅぅ……次は、次は負けないからなーーーっ!!」
ユリウスは、カイルと同じく涙目で廊下を走り抜けていった。
「…………」
静まり返る空気。
「……殿下。なんか、先ほども似たような光景を見ましたね。デジャヴでしょうか」
去って行くユリウスを見ながら、呆れたように呟くルーカス。
「生徒会の伝統的な『負け犬ムーブ』だろ。……というかルーカス、お前、今めちゃくちゃスッキリした顔をしてるな。」
ルーカスは憑き物が落ちたような顔をしていた。
「……殿下。そもそも僕は、勝負なんてしていません」
「――ですが。アイーゼの全事務官を論破したら、もっと気分が晴れますかね。クフッ」
暗い目つきで嗤うルーカス、控えめに言ってこわい。
レオンハルトは、自分の側近の「闇」の深さに、軽く引いた。
「……おつかれさまです」
珍しく労いの言葉をかけるが、思わず敬語になってしまった。
「さて、ルーカス。スッキリしたところで図書室に向かおうか」
さて、次にこの「ストレス解消中」の側近と「鉄壁の王太子」に挑む、哀れな刺客は誰だ――?




