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第29話 朱に染めて

倉庫の中に入ってみると小さな明かり取りから光が差し込んでいたがやはり暗かった。出入り口の右脇に古びた小さ目の手押し車が何台も横倒しになっていた。石畳みの床には樽や木箱が乱雑に積み並べられていた。壁には木材が立てかけてあった。マチルダがウィルの盾にライトの呪文をかけると暗闇の問題は解決できた。先頭のトラップの背中が発光する盾によって照らされた。進むにつれて獣の臭いが漂ってきた。


(……近い! )


 みな緊張で口の中がカラカラに渇く。

 見晴は芳しくなく至近距離で会敵することになる。運が良くて五分の遭遇戦。

 こちらから奇襲は望めそうもない。


 右手から微かに物音がした。

 トラップはウィルに目配せすると忍び足で物音がした物陰に近づき覗き込んだ。


「左だ!トラップ! 」


 ウィルの叫び声と同時にトラップは左を見た。目の前まで白い大きな塊が迫っている。飛び退く時間は無いと瞬間的に悟ると左手に持っていた盾をかざした。盾に白く長いものが直撃した。左手に強烈な衝撃を感じる間もなくトラップは吹き飛ばされ積み上がっていた木箱に叩きつけられた。空の木箱は崩れ飛びガラガラと音を立てた。石畳の上に横たわっているトラップは痛みに声も出なかった。白い怪物は痺れて動けないトラップに追撃する構えを見せた。


「くそ!俺が相手だ! 」


 ウィルは叫ぶと白い怪物に殴りかかった。鈍い音がした。手応えはあったと思った瞬間、白い腕が繰り出されてきた。強烈な殴撃を鋼鉄の盾でなんとか凌ぐ。鋭い爪が鋼鉄を引っ掻き盾は金切声を上げた。急いでシルフィールは追加のプロテクションを詠唱した。マチルダは天井に照明呪文を放った。天井からの魔法の光で怪物の全容が明らかになった。白い毛で覆われた巨大な狼だった。狼王よりは二回り小さい。赤い双眸は鋭く光り牙を剥き出しにしていた。


「……アルビノ?これが狼王の妃? 」


マチルダの呟きは白い怪物の咆哮でかき消された。


「白い狼……神話に出てきた神の使い……」


 初めて見る白い狼に神性を感じたシルフィールは呪文を唱えることを恐れかつ魅入った。


 ウィルは雄叫びを上げメイスを振り上げた。突進してきた妃の肩に当り何かが砕ける音がした。だが妃は悲鳴を上げる事も無くそのままウィルに体当たりをした。咄嗟に鋼鉄の盾で庇おうとしたが衝撃を逃がすことに失敗しウィルは突き飛ばされて樽をひっくり返した。床に手を突き立ち上がって構えたが左手にあったはずの盾が無い。


「盾が無い?良いだろう、両手でやってやる!重装歩兵を甘く見るんじゃねーぞ! 」


 左に回ってヘビーメイスを両手で握り殴りかかった。妃の右前脚の付け根に強打し右前脚が関節の可動域を越えて開いた。が左前脚が延びてウィルの頭をもぎ取ろうする。ウィルはヘッドスリップして躱したが代わりにがら空きになっていた右肩に鋭い爪の直撃を受けた。右肩から胸にかけて鎖帷子の鎖が血飛沫と共に幾つも千切れ飛んだ。


「シルフィール!見ていないで早く唱えなさいよ!ホーリーフィストよ!」


 女魔法使いの叱責に女クレリックは我に返った。


 シルフィールの目に妃の殴打によって血まみれになったウィルが映った。白い妃はウィルに跳びかかろうとしていた。


「グズグズしないで早くしなさい!それがあなたの責任よ!」


 そう言うと業を煮やしたマチルダは本当に最後の魔弾を放った。小さな光弾は怪物の左の後脚に命中した。魔弾は腱を千切り跳躍しようとした怪物はバランスを崩して倒れそうになったが寸前で踏みとどまる。白い怪物は唸りを上げた。


「責任……」


 シルフィールの脳裏にウィルの言葉が蘇った。


「私も……務めを果たさないと……」

 

 シルフィールは詠唱を開始した。態勢を整え直した妃はウィルに向けて跳躍した。


(やばい!押しつぶされる! )


 ウィルは両手でメイスの柄を横に持ってガードしようとした。

 その刹那、怪物は白い閃光に包まれた。


(眩しいっ!)


 怪物に押しつぶされると思ったがそうはならなかった。ウィルは必死に状況を把握しようとした。白くかすむ視野の中ですっかり朱に染まった狼王の妃が立ち上がったような気がした。


 再び閃光が広がった。更にまた閃光が。


 閃光が収まりどのぐらいたったのか。数秒なのか数十秒なのか数時間なのか。


 真っ白になったウィルの視野が次第に色を取り戻してきた。


 数歩先の床に白い大きな塊が見えた。


「私も、務めを……責任を……果たしましたわ」


 聞きなれた声に振り向くとシルフィールが肩で息をしていた。


「やっと仕留めたわね」


 ほっとした顔でマチルダが言った。


「らしい、な……トラップはどこだ? 」


「ここだよ……いててて。痺れて動けねーや」


 トラップは呻いた。


「トラップさん、大丈夫ですか? 」


 シルフィールが駆け寄りトラップの上半身を起こした。命に別状は無さそうだがしばらく安静にする必要があった。シルフィールは治癒呪文を詠唱しはじめた。


「ウィル、気を抜かないで!まだ仕事が残っているわ」


 マチルダが喚起した。


 ウィルはマチルダに頷くと慎重に横たわって動かない狼王の妃に近づいた。血だまりの中で妃は白い体を赤く染めて苦しそうに息をしていた。ウィルに気付くと力を振り絞って一度だけ吠え威嚇するとぐったりした。すると何かがウィル達の脇をすり抜けて妃の傍に寄った。小さな白い狼だった。妃の子狼だ。子狼はクーンクーンと悲しそうに鳴き声を上げながら今に息絶えようとしている母狼の傷を必死に舐めてなんとかしようとしていた。妃は暫くの間優しい瞳で子狼を見つめ続け、そしてゆっくりと瞼を閉じ全身の筋肉が弛緩していった。


「遂に始末したか。楽な相手じゃなかった。後は子狼を始末すれば帰れるな……」


呟いたウィルは右袖から血を滴れさせながら一歩一歩近づいた。


 子狼はもう死んでしまった母狼に体を擦り合わせて泣いていた。ウィルが覗き込むと子狼と目が合った。黒くて円らな瞳だった。子犬のような瞳が怯えている。ウィルの脳裏に幼い頃飼っていた愛犬の記憶が蘇った。


「……マリー……なんでここに」


 ウィルは右手のメイスをだらりと下げ立ちすくんでいた。

 肩からの血が伝ってメイスから滴っていた。


 後ろで見ていたシルフィールは何とかしないといけないと思った。


 彼が出来ないなら私が。でもどうすれば?

 呪文で、神の力を借りて子狼を殺めるのか?それはさすがに神への冒涜だ。神は許さない。

 それなら武器か?神殿から授かったメイスをそんなことに?ありえない。

 だったら素手で絞め殺す?無理だ、もっと無理だ……


 シルフィールがオロオロしているうちにマチルダの堪忍袋の緒が切れた。


「あんたね、しっかりしなさいよ!」


 激怒したマチルダはズカズカとウィルの所までやってくると彼の左頬に容赦なくビンタした。


 それでもぼんやりして何やら呟いているウィルに向かって怒鳴った。


「あんたがやらないなら私がやるわ。それ貸して! 」


 マチルダはウィルの左腰から手斧を奪い取り邪魔だとばかりにウィルを後ろに突き飛ばした。ウィルはヨロヨロするばかりだった。



「あんた達、愛犬家か何かしらないけどね! 」


 女魔法使いは慣れない手つきで手斧を握った。


「この狼を始末しなければね!」


 彼女は手斧を振り上げた。


「あたし達はお尋ね者になるのよ!」


 振り下された手斧は狙いがずれて子狼の腰に食い込んだ。

 マチルダの顔に赤い飛沫がかかり子狼の絶叫が響いた。


「ここまで来てね、惑っている場合じゃないの!」


 更に振り下された手斧が痛みでのた打ち回っている子狼の背中を抉った。


「あたしだって、こんな事やりたくないのよ!」


 手斧が振り下され子狼の断末魔の叫び声が上がった。


「あたしだって、あたしだって、あたしだって……」


 怒鳴りながらマチルダは既に息絶えた子狼に何度も何度も手斧を振り下した。


 しばらくするとマチルダはウィル達に振り向き右手に持っていた手斧を力なく落とした。すっかり血で汚れた手斧は足元でゴトンと音を立てた。彼女の普段は怜悧なはずの双眸は赤く腫らし涙がこぼれていた。


 「あたしだって……」


 声を枯らしたマチルダは号泣した。


「……すまない……」


 ウィルは掠れる声で呟いた。


 マチルダが嗚咽している間、誰もそれ以上の事は言えなかった。


残り2話で完結です

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