第25話 廟算
晴天続きの昨日の今日ということもあって狼達の足跡もくっきり残っていた。ポイントマンを務めるトラップはそれほど苦労せずに狼達の痕跡を追尾できた。北東へ2、3時間ほど森の中を蛇行するように進んでいると木が疎らになり開けてきた。樹木の幹は細く背も低い。今まで歩いてきた森とは明らかに異質であった。目の先に山が見える。数歩進んでからトラップは立ち止った。
「どうした? 」
ウィルは低い声で問う。
「臭いが変わった。風上にいるぞ」
トラップは小声で短く答えるとそれを聞いた全員が周囲を警戒した。幸いなことに獣の気配はしなかった。ウィルは風上すなわち北東にそびえたつ山を睨んだ。山を見回すと山の麓に違和感を感じた。良く見ると5、6百歩先の木々の合間に灰色っぽいものが見えた。
「ひょっとしてあれか?」
ウィルは指を差しながら小声でトラップに言った。
「多分な。崩れかかっているが石が積まれている。廃屋かそれとも……」
トラップはそこで言葉を切った。
マチルダがウィルが指さす先を見ながら言葉を継いだ。
「それとも遺跡、砦の類・・かもね。あれだけ大規模な集団が拠点に使うのだから少なくとも小屋ではないでしょうね」
「一晩で何頭ぐらい戻っているのかな? 」
ウィルは低い声でトラップに聞いた。
「焼け跡を見た具合だと半数以上は焼け死んだだろう。残りの内で西へ逃げた狼は火の恐怖が残っているだろうから昨日の今日じゃこっちには来ない」
トラップは思慮深く答えるとウィルは戦力を見積もり始めた。
「すると東に逃げたグループが相手か。200頭の半分の半分とすれば50頭」
トラップが浮かない顔で受け応えた。
「もっともパニック状態で散り散りで逃げた様だから立ち直って一晩で結集できるのはその半分ぐらいじゃないのか?」
と言いつつトラップは腕を組んだ。
トラップの修正された見積もりにウィルは頷いてから言った。
「つまり20頭ないし30頭か。主力を失い疲弊しているとは言え相手は野生動物。牙をむく力は十分に残っている。しかも組織で戦う力は侮れない。屋外で包囲されたらまずいな。遺跡に一気に突入して殲滅するか?だがしかし……」
トラップは狼の知能の高さを思い出しながら言った。
「遺跡に入ってから敵の増援に退路を断たれるリスクは無視できないぞ。しかも俺たちは遺跡の内部構造を知らない。ランタンを灯し探索しながら慎重に進むことになる」
ウィルも考え考え言った。
「しかも時間の経過は俺たちにとって不利に働く。明日になれば狼の数は倍以上になるだろう。その前に巣を殲滅する必要がある……」
「うーむ……」
二人の男はそろって唸った。
そんな二人にマチルダが静かに言った
「……昨日も言ったけれども」
何か言いかけようとしたトラップを手で制してウィルが代わりに応じた。
「何だ?マチルダ」
「あそこに20頭ないし30頭の群れがいるとしたら……」
「いるとしたら?」
「見張りがこの周辺にいるはずよ。数頭のグループだと思うの」
ウィルとトラップは顔を見合わせてから状況を真に理解し苦虫を噛み潰したような顔をした。
「私達は獣たちに既に見つけられているという事よ」
更にマチルダが追い打ちをかけた。
「……やっぱりそうなるのかよ」
トラップのぼやきには応ぜずにマチルダはウィルの瞳を見ながら話を続けた。
「群れが疲弊し質量とも大幅に戦力が減退しているならば、それと生き残りのリーダーの頭が良ければ、向こうからは仕掛けてこないと思うわ。今日は私達をやり過ごすと思うの。でも……」
「でも? 」
ウィルはマチルダに続けるよう目配せした。
「でも巣に接近すれば総力で立ち向かってくると思うわ……」
マチルダの言葉にウィルが考え込むとトラップが言った。
「そこまで頭の良い狼っていたか?狼王は確かに頭が良かったがすでに始末したぜ? 」
ウィルは軽く肩をすくめて言った。
「心当たりがある。昨日、最初に森で遭遇したグループだ」
トラップは思い出した。
「ああ、あれか。自分たちの足跡を使って俺たちを左右から待伏せの罠を仕掛けたあいつらか。確かに頭が良かった。獣の枠を超えた頭の良さだな」
ウィルは記憶をたどりながらゆっくり言った。
「あいつらの中に耳だけが白い狼がいた。多分そいつがリーダーだ」
トラップは念のためにウィルに訊いてみた。
「なぜそう思うんだ? 」
ウィルは一語一語を確認しながら答えた。
「そいつが、左翼の先頭、だったからだ。その狼を、白耳と呼ぼう。白耳は、マチルダの“破城槌”に驚いて、退散した。群れの半分を連れて退散したおかげで、その時は楽に戦えた」
トラップは静かに言った。
「じゃあ、そいつで決まりだな。白耳なら見張り小屋に籠城した時にも見かけたよ。火計をした時に森に逃げて行ったのを覚えている」
ウィルは困った顔で言った。
「参ったな。マチルダの“破城槌”で追い散らしてから巣に突入してサクっと終わらせようと思っていたんだが。白耳が相手となると同じ手は使えないよな」
暫く黙ってからウィルはマチルダに向いて言った。
「つまり巣の傍で不利な地勢で多勢に無勢の戦いを強いられる、という事か。それも決死の敵と」
「そうよ、ウィル。それに貴方が言う様に明日になれば更に不利になるわ。明日戦えば勝算は皆無になるわ……」
「勝算か。今戦って勝つとしたらどうするか。最終防衛線を文字通り死守する死にもの狂いの相手と戦うならば。しかも前のように小細工は通用しない」
「……こちらも最初から総力で捻じ伏せるしかないと思うわ」
「正攻法で叩くしかない、か……」
ウィルは考えに沈んだ。下を向き悩んでいるウィルを見かねてそれまで黙っていたシルフィールが彼に言った。
「ウィル様、でしたらマチルダさんの攻撃呪文を中心にして作戦を考えませんと」
ウィルは顔を上げて苦い表情で答えた。彼は昨夜の出来事を鮮明に思い出したのだった。
「……わかっている。狼王との時と同じ戦術しかない。俺が単騎で急速前進し敵の襲撃を誘発させる。俺に群がってきた奴らをマチルダの魔法で倒す。シルフィールは防御呪文を使ってみんなの消耗を抑える。トラップはマチルダの護衛と攻撃の補助、撃ち漏らしをスリングで止めを刺す。数が多いからどうしても数頭ひょっとしたら十頭ぐらいはそっちにも来るだろう……決して楽ではない。それでも昨夜の戦いよりは遥かに楽だ。最初からマチルダの魔法火力をガンガン使えば何とかなる。問題は……」
「何ですの? 」
優しく宥めるように応じるシルフィールに元重装歩兵は心苦しそうに言った。
「相手の数が多い。巣から出てきた狼を殲滅したら恐らくマチルダの魔法は実質的に品切れになる。だから巣の内に強敵がいたらお前の攻撃呪文が必要だ。あの光の炸裂呪文が俺たちの生命線になる。出来るか?」
「え、勿論そうですけど……」
彼女は珍しく言い淀んだ。仲間の為とは言え神の力で動物を殺めたことに気に病んでいた事を、それをおくびにも出していないつもりだったのにウィルに気付かれていたことを。彼女は内心たじろいだ。
「その時が来たら躊躇なく撃て。お前の判断で。俺が指示できる状況ではないだろう」
二人が沈黙するとトラップが言った。
「巣の中の強敵って、狼王のつがいのことか? 」
ウィルはトラップの顔を見ながら答えた。
「ああ、狼王の妃だ。狼王とまでは行かなくてもかなり強いだろう。しかも自分の子供を守るために狂信的に戦うに違いない。ナイリスが言っていたように」
シルフィールの苦悩に気付いていないトラップは至って実務的に考えて言った。
「うーむ。そうすると妃を倒すのに必要な呪文を見積もる必要があるな」
ウィルはトラップにしっかりと頷ぎながら言った。そしてマチルダとシルフィールの瞳をしっかり見ながら、言葉を続けた。
「マチルダ、シルフィール、狼王を倒すのにどれだけ攻撃呪文を使ったのか覚えているか? 」
「……私は魔弾を3回ね。シルフィールは?あの光の炸裂呪文よ。ホーリーフィストでしたっけ? 」
「私は……3回ですわ」
シルフィールはうつむきながら答えた。
「ホーリーなんとかは魔弾の何発分の威力なんだ? 」
ウィルの問いに下を向いているシルフィールに代わってマチルダが応えた。
「術者の技量で大分違うけど私の魔弾なら多分1回分よりちょっと上ね。ホーリーフィスト3回分と魔弾4回分が同じぐらいと言ったところかしら?ほら、私は優秀だから」
それを聞いてトラップは驚きの声を上げた。
「え!シルフィールのあの呪文、すげー強力そうだったぞ。あの狼王もまともに食らったらしばらくふらふらだったぜ? 」
マチルダは事務的な口調で説明した。
「あの呪文には目潰しの効果があるの。短時間だけど一時的に盲目になると聞いたわ。ふらふらに見えたのは多分それ」
ウィルは口を開いた。
「なるほど。そうなると妃を倒すのにホーリーなんとかは3回分必要だな。3回分は巣の最深部まで温存しないといけない。シルフィールがその呪文を3回撃ちこんで妃がふらふらになっている間に俺がこのメイスで殴れるだけ殴れば何とかなりそうだ」
そう言ってから右手に持ったメイスを空に突き出すように決めポーズをとっているドヤ顔のウィルを心配そうな顔で見ながらトラップは言いかけた。
「でもよ、序盤でお前が吹き飛ばされたら……」
「大丈夫だ。狼王よりも強いということは無いだろう。だったら何とかなる。もちろんシルフィールの防御呪文ありきの話だが」
シルフィールは自分の名前が出てきてビクっとしたが何も言わなかった。教会の施設で一緒に暮らしていた同期の僧侶が見たら“実にらしくない”と言っていただろう。
(この娘、何があったか知らないけどしょうがないわね)
マチルダは心の中で舌打ちをするとシルフィールの代返をすることにした。
「シルフィールに任せたい呪文を見積もると、最初の戦いでプロテクションとキュアを4回ずつ。巣に入ってプロテクションを4回にホーリーフィストを3回といったところかしら。予備にキュア4回分が残っているのが望ましいわね。でもこんなに詠唱できないでしょう?ねぇ、シルフィール? 」
シルフィールはぎこちなく答えた。
「ウィル様が仰るようにホーリーフィストを残すのならば、プロテクションとキュアを合わせて12回が限界です。」
ウィルは軽く笑ってから言った。
「それだけ使えるなら上出来だ。たしかプロテなんとかは荷馬車1つ分に効くのだろ?だったら俺とマチルダだけにかければいい。始まったらシルフィールとトラップはマチルダの護衛なんだからそれで十分だ。だから長引かなければそのプロテなんとかは4回で済む」
ウィルはトラップに目配せするとトラップは感想を述べた。
「多分ぎりぎりだな。決して甘い相手では無いからな」
「だが依頼を達成して五体満足で生還できる見込みは十分ある。少なくとも明日よりは。そうだろトラップ? 」
トラップは自分自身に言い聞かせるように言った。
「そうだな。それしかないか」
ウィルはシルフィールの弱々しく光る瞳を見ながら優しく言った。
「シルフィール、お前は優秀だ。頼んだぞ」
「……わかりました」
シルフィールは辛うじて作った微笑を返した。
サブタイトルの廟算とは戦う前に彼我の戦力から勝ち筋を見極めることです。出典は孫子です。
夫れ未だ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり
未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり
算多きは勝ち、算少なきは勝たず。 而るを況や算なきに於いてをや
吾れ此れを以てこれを観るに、勝負現わる
「孫子 始計篇」より




