第24話 森の番人ナイリス
丘の中腹から見回すとかつては広がってはずの枯草の海は黒焦げの大地に変わり果てていた。所々で燻り細い煙が北東の風にたなびいていた。地面からきな臭い空気が起ちあがっていた。
同行していたナイリスの顔が険しさを増したのを見て、道中ウィルの代わりにナイリスの話相手をしていたシルフィールは憂鬱さを増した。幸いなことに見張り小屋は焼け落ちなかったようだが小屋の周りに黒い塊が転がっているように見えた。丘の上まで来るとナイリスは黙ったまま見張り小屋の周りを確認した。小屋の周りの黒い物は狼の死骸だった。
「煙に巻かれて死んだようだな……随分と苦しんで死んだようだ。全部で18頭も」
ナイリスはかすれた声で呟くと小屋の中に入った。ウィル達も続いた。小屋の中は煙臭く誰となく咳き込む音が聞こえた。ナイリスは換気も兼ねて窓を開けた。うっすらと煤ぼけていたが特に破損は無いようだった。一通りチェックをしたナイリスは土間に無造作に置かれていた麻袋を見つけた。ナイリスの視線に気づいてシルフィールが応えた。
「ナイリス様、その麻袋の中に狼討伐の証拠品が入っています。全部で6頭分のトロフィーです。ご検分なさいますか? 」
ナイリスは振り返り無表情で15歳の女僧侶の顔を見た。
感情が込められていないのに冷たい意思の光を宿す瞳を見てシルフィールは慄然とした。
(ウィルさんが言っていたのはこれですか……)
シルフィールは辛うじて微笑を作り軽く会釈した。
ナイリスは何も言わずに外に出た。4人も外の空気を吸った。ナイリスはしばらく黙っていた。重苦しい雰囲気が醸成されシルフィールは自分の胃に穴が開くのではないかと思いつつ必死に耐えた。
頭上に山鴉の群れが通りすぎるとようやくナイリスは口を開いた。
「端的に言いましょう。あなた方の顔は余り見たくないので手早く済ませたい」
ウィルも同感だったがもちろん口にはしなかった。
「即急に森に行き速やかに狼達の足跡を見つけ追跡し目標を発見次第直ちに処理すること。先ほど説明した通り証拠品を村まで搬送すること」
口調やしぐさから完全に優美さは失せ感情の抑揚も無いナイリスを目の前にしてシルフィールは震えあがった。シルフィールは何か言うべきだと思ったが声が出なかった。
彼女の様子を見て代わりにウィルが言った。
「質問が二つある。一つは目標発見のために何かアドバイスはあるか?効率良く仕事を進めたいからな。巣にしやすい洞窟とかさ。心当たりがあれば教えてくれ。もう一つはあんたが見たようにそこの24頭の狼にオプション報酬は出すのは当たり前として、つがい以外の狼のトロフィーを持って来たらオプション報酬は払うんだろうな?もちろん子の狼でもなんでもだ。俺たちはそのために体を張っているんだからな」
無感情だったナイリスから殺気が放たれた。シルフィールは思わず2、3歩後ずさりした。
状況を変えたのはトラップだった。
「おい、ウィル。お前ちょっと不躾だぞ。村長がオプション報酬は払うと言っているんだから払うに決まっているだろ。いくらなんでもしつこ過ぎだ。だからお前は女にもてないだよ。そうだろ?ナイリスさん?」
ナイリスは黙っていたが殺気はしぼんでいった。しばらくしてナイリスは口を開いた。
「アドバイスは特にない。どんな獣も母や子を守るのは必死でやる。それ以上は無い。報酬は契約通りだ。そして契約未達の場合の処分は村長から私に一任されている。意味は分かるか? 」
ウィルが負けん気を出して応えた。
「契約は達成されるから心配はいらない。契約が達成された方が村長の利益になるのは確かなことだしお前にとっても喜ばしいことだ。仮に未達だとしたらお前が狼を始末することになる。お前は人間はともかく獣のそれも母子を始末するのは気が引けるみたいだからな。そうなったら俺が言った一般論が現実のものになるだろう」
ナイリスの瞳に殺意が宿る前にマチルダが怒り出した。
「あんた良い加減にしなさい!早く仕事に取り掛からないと日が暮れちゃうじゃないの。ナイリスさんが言ってたように早く見つけないと逃げられちゃうわよ! 」
そう言うとマチルダはウィルの頬を兜越しにビンタしてから彼の左手をつかんで丘の北の斜面へ引きずるように引っ張った。ウィルは逆らわずにマチルダに引っ張られるまま下って行った。
ウィルの遠ざかる背中を見てからシルフィールはナイリスにお詫びをするとトラップに声を掛けて立ち去った。ナイリスはしばらくウィルの背中を凝視していたが自分の仕事を思い出してその場を去った。
◆
森の中を進む中、シルフィールが詰り始めた。
「ウィル様!なんであんな事を言ったのですか?あれ程挑発に乗るなと言ったでしょう? 」
ウィルはきょとんとした表情で言った。
「あいつに釘を刺すためだ」
「またそんな事言って!子供じみた負けん気は止めてください! 」
「なんだ、お前、気づかなかったのか? 」
「また適当な事言って……いったい何をです?」
シルフィールは一応ウィルの言い分を聞いてみた。至高神に仕える者は常に公正でなければならないという戒律が染みこんでいたからである。
「俺たちが狼王のつがいを始末する直前に俺たちを始末するという事さ」
「そんなバカな! 」
シルフィールはウィルの言い分を聞いたことを後悔したが、すぐにこれも神の試練に違いないと思い直した。
「俺たちを始末したら村長にこう言う気だったのさ。“あの連中はしくじりました。つがいは私が始末しましたからご安心あれ”ってな。もちろんつがいは殺さない。追い払うだけだ」
「いくらなんでも考えすぎです! 」
シルフィールはこの男を正しい道に導くことが神から与えられた試練であり使命であると考えた。
ならば粘り強くやらなければなるまい。
「そうか?シルフィール。奴はこう言ったぞ。“獣も母を守るのは必死”だと」
そこにマチルダが冷静に指摘した。
「回りくどいアドバイスでしょ?それ」
シルフィールがマチルダに同調した。
「そうですよ、ウィル様。きっとアドバイスのつもりですよ」
ウィルは言い返した。
「お前ら思い出せよ。俺は奴に狼を見つけるコツを聞いたんだよ。地元の狩人なら地形やらなんやらに熟知して当然だからな。よっぽどのヘマじゃ無ければ狼が巣を作りそうな場所を幾つか挙げられるはずだ。それが当たるかどうかは別にしてだ。だがそれについては答えずに有耶無耶にした。あいつは一番重要な情報を教えない。村長の意向に従っているのに関わらずに、だ」
シルフィールは絶句した。この頑迷な男にどうやって道徳を説けば良いのか。だが公正の光を照らせば彼の言い分にも筋が通っている。道徳と公正の文字がシルフィールの頭の中でグルグル回った。
「つまり狼の母子を死なせたくないのさ、あいつは」
それまで考え込んでいたマチルダが歯噛みしているシルフィールに代わって言った。
「“私は獣の母を必死に守る”を言い換えたと?本心が滲み出ている証左だと?」
「う~ん、難しい事は分らんが多分そういうことだ。そのやりとりの前に俺がオプションについて確認したら凄い剣幕だっただろ?」
「それはウィル様がくどいからでしょ?そんな質だと嫌われますよ。特に女子には」
頭を切り替えたシルフィールはトラップの言い回しの思い出し笑いを装いながら言った。この難物には搦め手を使うしかない。ちょっと公正さに欠けるのが残念だけど彼の道徳心を耕すためには致し方ない。至高神様、お許し下さいませ。
「うるせーな。くどいのが気に障ったぐらいで殺気は出さねーよ。普通はな。精々厭な顔するぐらいだ」
「それはそうですけど。ウィル様は村でナイリスさんと遣り合っていますし」
シルフィールはそう言いながらその時の殺伐なやりとりを思い出してげんなりした。
「あいつの態度が変わったのは応接室でトロフィーを並べた時からなんだよ。それまでは変わった様子は無かった。俺が村長に狼王退治の顛末を話した時はむしろ機嫌が良さそうだった。ところが倒した証拠に毛皮やトロフィーを検分したら見る見る内に気配が変わった。狩人ならそんなのには慣れているのに関わらずに、だ」
シルフィールはどうやってウィルを説伏しようかと悩んでいるとマチルダが先に口を開いた。
「ふ~ん。……まあいいわ。続けて、探偵さん」
ウィルに続きを促したマチルダは興味津々半信半疑といった様子だった。
「どこまで話したんだっけ?」
「ナイリスが私達が本当に狼を多数始末したことを知って豹変したという所までね。」
マチルダが応えた
「そうそれだ。さっき奴が殺気を出した時にトラップが村長の名を出した途端に殺気が消えた。つまりあいつに村長の姿を思い出させれば俺たちを殺すことは出来ない」
「だからさっきあんなに執拗に村長の意向やら利益やらを強調したわけ? 」
マチルダが見張り小屋でのやり取りを思い出しつつ言った。
マチルダは呆れた口調だったが何だか楽しそうだった。
「ああ。で、俺たちを殺したらお前はこの土地から追い出されると念を押したわけだ」
ウィルの口調も大分落ち着いてきた。
「ふ~ん。まあまあ面白いけどね。ちょっと根拠が弱いかな」
そう言いながらもマチルダはまんざらでも無さそうな顔をしていた。その一方シルフィールは決意した。今後の事を考えればやはりここで彼にきっちり釘を刺さないといけない。
「ウィル様!そんな憶測であんなことは止めてください!喧嘩腰じゃだめですよ。もっと仲良くしないと」
「シルフィール、そんな事言ってもなぁ。最初から剣呑な奴と仲良くしようとしたって無駄だよ。現実は厳しいんだ。それと火事で損害を受けたのは村長だから村長が怒るのはわかる。ま、冷静になれば村長も狼の大群と引き換えならしょうがないと考えるだろう。だから狼の死骸を山ほど見せれば渋々でも納得する。村の経営をしているぐらいだから金勘定ができるはずだ。最悪でも弁償すれば許してくれるさ、春までのエサ代かなんかな。だがナイリスはそうでは無い。彼にとっては実害はないし事情を知れば普通は殺意に駆られることも無いだろ?今度のケースは。そうだろ? 」
ウィルはここで言葉を切るとマチルダは面白そうに滔々と話し始めた。
「ウッドエルフなら自然を破壊されたら怒るでしょうけどナイリスは人間に育てられたハーフエルフだものね。ウッドエルフ固有の価値観はあったとしてもとても稀薄なはずだわ。いくらウィルとそりが合わなくてもあれほどの殺意をまき散らす動機には成りにくいと考えるのが自然。もしかしたらナイリスには何か特別な信条とかトラウマとかがあるのかもしれないわ」
彼女はこういう込み入った話は大好物らしい。
彼女自身も当事者なのだが性癖はどうにもならないのは世の常だろう。
「あのですね、ウィル様。そんな被害妄想なことばかり考えていると地獄に堕ちますよ。気を付けてください。……マチルダさんも楽しそうにしていないで下さい! 」
ウィルはトラップの真似をして口笛を吹いてそしらぬ顔をし、マチルダは水を向けられてもフフフと笑ってごまかした。シルフィールはウィルだけでなくマチルダも説伏しなければならないことに気付いた。シルフィールには二人とも仲間の為に命がけで戦う善人であることがなまじ解っているだけにその道程の険しさに気が遠くなりそうになった。
(神が与え給うた試練は何と難しいものなのか)
シルフィールは二人の顔を見てから天を仰ぎ深々とため息をついた。




