第18話 前哨戦
野火を追い越してようやく煙から解放された。
数歩先を行くトラップは一時停止して右手を挙げた。
親指を立てて問題が無いと知らせるとまた移動を再開した。
幸いなことに狼達はこっちに逃げ込んでいないようだ。
「水の臭いがする。もうすぐだ」
ウィルは後ろを振り返って足がもつれ気味のマチルダを励ました。
マチルダは無言だった。シルフィールが代わりに答えた。
「マチルダさんにいっぱい魔法を使って頂けましたから」
ウィルはマチルダが多数の呪文を使ったことを思い出した。
呪文を使ったことのないウィルは想像するしかないが、魔法は術者に多大な負担を強いると聞いたことがあった。
(早くマチルダを休ませないといけない。小川を越えて焚き火を焚いて……燃料はどうしよう。枯れ枝を捜す余裕はあるのか? )
大きな問題から小さな問題まで考えなければならない事がてんこ盛りだ。
ウィルはシルフィールに「わかった。」とだけ答えて歩きながらトラップの背中を捜した。
トラップは身をかがめて足元の確認をしているようだ。
近くから小川のせせらぎが聞こえてくる。水場ゆえに足場が悪いのかもしれない。水音が鎖帷子の擦れる音を越えてはっきり聞こえるということは小川はすぐそばだ。
ウィルはマチルダとシルフィールに足元に注意を払わせようと思い振り向くと遠くの野火に照らされた大きな影が動いているのに気付いた。300~400歩先の草叢が激しく動き何かがこちらに向かってきている。枯草が倒されて数条の線が延びていた。狼だ。普通の狼よりも明らかに速い。精鋭だ。
「シルフィール、持っている松明を全部出せ。早く!」
ウィルはそう言うと腰袋から火口箱を取り出し火を熾した。
「どうしましたの? 」
シルフィールは松明を渡しながら訊いてきた。声が緊張で硬くなっていた。
ウィルは右手の松明に火を着けてからその松明の火で左手の松明に火を移した。
「火を放って突入を阻止する」
ウィルはそう言うと右手の松明を草叢へ力いっぱい投げた。
続けてシルフィールから渡された松明に火を着けては次々と投げた。
「奴が来た。狼王だ。シルフィール、マチルダ、早く小川を越えるんだ」
「狼王ですって? 」
疲労で小さくなっていたマチルダの瞳が大きく見開いた。
「でかくて強力で凄く頭が良い特別製の狼だ……しかも近衛隊も連れているぞ」
「わかりました。マチルダさん早く!」
シルフィールはマチルダの手を引いて小川へ急いだ。
ウィルは手持ちのすべての松明を投げ込むと最後尾に就いた。
振り向くと250歩先まで枯草が倒れていた。
「そっちは数頭か」
投げ込んだ松明は20歩先に落ちて周りの枯草を燃やし始めていたがこれで阻止できるかと言えば微妙だった。精々のところ少しばかり時間を稼ぐのが関の山だろう。だがそれよりも重要な事があった。草叢の集団が狼王と近衛隊だとしたら数が少なすぎるのだ。視線を前に戻すとマチルダが小川の水の冷たさに呪いの言葉をぶつけていた。
「シルフィール、俺にプロテクションを掛けろ。マチルダ、俺の鎧に魔法の光球を掛けるんだ」
「何をなさるのですか? 」
「後ろを断つ」
四の五を言わずにシルフィールはプロテクションを詠唱し、状況を理解したマチルダは一呼吸遅れてリクエストに応じた。
「よし!俺が小川を越える時は援護してくれ」
ウィルはシルフィールに2組の革紐のようなものとずしりと重い布袋を渡した。
シルフィールが袋の中を覗いてみると丸い石がたくさん入っていた。
「スリングだ。石弾は全部で20個だ。お前とトラップはこいつで小川越しに撃て。それとシルフィール、お前の盾に麻袋をかけろ。光を遮断するんだ」
「私は?」
「お前はまだ魔法温存だ。一番大事な時に魔弾の出番がある」
「……いいわ」
マチルダとシルフィールは顔をしかめながら冷たい小川を渡った。
心配したトラップがウィルの傍に来て声を掛けた。
「ウィル、大丈夫かよ? 」
「心配するな。俺の横はお前とシルフィールのスリングが守る。後ろは小川が守る」
「三角陣じゃだめなのか? 」
「今度のは遥かに強い。シルフィールじゃ手に負えない。お前が後ろでシルフィールとマチルダを守って俺が前で出来るだけ奴らを引き付けないと呪文使いが先に殺られる。そうなったらゲームオーバーだ」
「わかったよ。……無理すんじゃねーぞ」
そう言うとトラップはその俊足で小川を越えてシルフィールから渡されたスリングを構えた。トラップの目に枯草を焼く炎の壁をよけるように南西に走る狼の姿が映った。その距離150歩。炎で少しだけだが時間が稼げるかもしれない。一方で森の中から狼の一群が突進してきた。その距離50歩足らず。
「森から1、2、3……5頭か。奴らが狼王と同時挟撃するには少しばかりタイムラグがありそうだ」
ウィルは呟きながら盾を持たずに両手でメイスを握った。
得物は片手よりも両手で振った方が遥かに威力がある。
「怪我を心配するよりも時間を優先して各個撃破するしかないか」
鎧に付けられた魔法の灯りが青黒い狼達を照らした。ウィルはメイスを振り被った。
「うぉりゃあああ!」
力いっぱい強振したメイスが飛びついて来た一番手の狼の顎の下に当った。狼の顎の骨が砕かれ歯が飛び散りその狼は脳震盪を起こしてひっくり返った。二番手の狼ががら空きになったウィルの右首筋めがけて跳びかかってきた。狼の牙がウィルの首筋を鎖帷子越しに突き立てる。そこにトラップの放った石弾が狼の頭を殴りつけ、ウィルの首筋から引き離した。ウィルは苦痛を押しつぶして跳びかかってきた3番手をメイスの柄頭で弾き飛ばした。胴を狙って突進してきた4番手は目の前に出てきたウィルの右の二の腕を咬んだ。ウィルは歯を食いしばって二の腕に咬み付いている狼に右膝蹴りを何度も食らわした。3発目の膝蹴りで4番手は唸りを上げながら転がった。その間に5番手がウィルの左膝に咬みついたが牙は鎖帷子の表面を滑った。ウィルは左膝の狼を右足のブーツで数度蹴りつけるとようやく狼は離れた。
ウィルはメイスを握り直すと再び跳びかかってきた2番手の狼に振り下した。メイスは狼の腰骨を砕きその狼は悲鳴を上げながら沈むように崩れ落ちた。一呼吸おいて跳びかかろうとした3番手は胸にトラップの石弾があたり一旦2、3歩下がって態勢を整えようとした。その間に4番手の狼が跳びつきウィルの左肩を咬んだ。編み込まれている鎖が千切れ飛び綿入れの鎧下を引き裂いた。
「くそったれが!」
ウィルは激痛をこらえ4番手を肘打ちして引き剥がした。
「もう見ていられない!」
マチルダは魔道銃を構え魔弾を連射した。銃口から破裂音と共に白橙色のマズルフラッシュが広がり肘打ちから立ち直った狼の胸に幾つかの白光球が吸い込まれていった。拳大の広さに3発の魔弾が集中着弾し胸骨を砕き心臓を抉り背骨をかすめて反対側まで貫通した。
闇夜に断末魔の叫びが響いた。
ウィルとマチルダの様子を見てシルフィールの知性は決心した。今まで聖なる神の力で殺生することを躊躇っていたシルフィールの知性はもはやそれが甘い理想論に過ぎない事を悟った。シルフィールは当たりそうもないスリングを諦めて数少ない攻撃呪文の詠唱を始めた。
「……偉大なる至高神よ、闇と混沌を制裁し給え……ホーリーフィスト!」
シルフィールがかざした掌底から閃光が広がり白光の塊が打ち出された。拳大ほどの白光塊は態勢を整えつつあった狼に直撃した。狼は瞬間的に閃光に包まれた。光が消えるとその狼はボロ雑巾のように転がっていた。
5番手の狼は勇敢にも逃げ出さずにウィルのふくらはぎに咬みついた。鎖帷子を貫通した牙が食い込み肉に刺さった。ウィルは絶叫しながらふくらはぎに食いついている狼を何度も蹴った。5、6回蹴ってようやく間合いをとれた。そこにトラップが走り込んできた。
「助太刀するぞ!」
トラップのロングソードがきらめき狼の右前脚を切り裂く。腱を切られた痛みで頭を上げて悲鳴を上げる狼。その頭に振り下されるウィルのメイス。頭がザクロのように潰された狼はピクピクと痙攣するばかりだった。
一呼吸してからトラップが怒鳴った。
「ウィル、お前、無理し過ぎたぞ!」
シルフィール達も駆け寄って来て口々に言った。
「ウィル様、お怪我は大丈夫ですか?」
「あなた何やってんのよ!」
ウィルは肩で息をしながら謝った。
「すまん、トラップ。すまん、みんな」
「いいから早く、シルフィールに治療してもらえ」
「そうだな。わかった」
狼王の群れは小川を越しに100歩足らずのところまで近づいていた。
巧妙にも灌木を盾にしている。時間は無い。
「さあウィル様、傷を見せて下さい。早く治さないと間に合わないですわ」
「すまん、シルフィール」
シルフィールはしゃがんだウィルの肩の傷を観た。捲れかかった鎖帷子の下にむき出しになった鎧下が赤黒く染まっていた。シルフィールは救急箱から小ぶりのナイフとハサミを取り出すと血に染まった鎧下を破れた所から切開し咬み傷を露わにした。傷口から血がにじみ出ていた。
「……傷口に鎖の破片が食い込んでいますわ。引っ張り出しますから歯を食いしばって我慢して下さい」
「ぐぅぅぅ……痛てぇ!」
シルフィールがピンセットで傷口から異物を取り出すと血がドクドクと流れ出てきた。
「本当はホワイトブランデーがあると良いのですけど……」
シルフィールは傷口を白葡萄酒で洗い流すと治癒呪文を詠唱した。治癒呪文の詠唱によって見る見る内に痛みがとれ傷がふさがっていった。そんなウィルを見てマチルダの怒りが収まらない。
「私の魔法がなければどうにもならないことは良くわかったでしょ。最初から当てにしなさいよ。全く。リーダーならもっと合理的に考えなさい」
「わかったよ、マチルダ。狼王には最初から全力で頼むよ」
「わかればよろしい」
言質を取ったマチルダはプンプンしながらも取りあえず矛を収めた。
「ちょっと、動かないでください。ウィル様。足も治さないと」
「ごめん、シルフィール」
鎖帷子のズボンの裾を捲り上げると大急ぎでシルフィールは治癒魔法を詠唱しはじめた。
「奴がもう直ぐ傍まで来ているぞ。早く武器を取れ!」
様子を伺っているトラップが叫んだ。
燃え盛った草叢に照らされて一際大きい獣が姿を現していた。
数頭の取り巻きを従えて慎重に間合いを詰めてくる。
「ウィル様、大雑把ですけどこれで我慢してください」
「ありがとう。痛んだ鎧は鍛冶屋に直してもらうよ」
「……また呑気なことを!」
マチルダは癇癪をおこした。
「ウィル、どうするんだ? 」
トラップはマチルダをスルーしながら質した。
「取り巻きが5頭いるはずだ。それを真っ先に倒す。本番はそれからだ」
ウィルは治癒された部位を確認しながら言った。
「いい?取り巻き潰しから魔弾を使うからね!」
マチルダは腰のホルスターから魔道銃を抜いた。
「マチルダ、両手で術を使うならいつでも構えられるように足元に盾を置いておけ」
ウィルが指示を出すとマチルダは黙って背負い袋に括り付けておいた盾を外して地面に置いた。
「お前ら本当に目の前まで来たぞ。マジでデカいじゃねーか」
トラップは声を上ずらせた。
「俺が無理しない程度に囮役になるからお前らはまず取り巻きを潰すんだ。俺の背中に来た奴から優先してくれ。取り巻きを一掃したらあのデカブツを集中攻撃して倒す」
「わかった」
トラップは鞘からロングソードを抜き払いつつ答えた。
マチルダは狼王を睨みながら頷いた。
至高神に祈りを捧げていたシルフィールはウィルに呼びかけた。
「ウィルさん、ちょっと待ってください。皆さんにプロテクションを掛けます」
3人が身構える中でシルフィールは顔を上げて詠唱を始めた。
「……偉大なる至高神よ、この者たちに聖なる御盾を……プロテクション!」
4人は一瞬だけ白光色に包まれ至高神の恵みがもたらされた。
「よっしゃ、やるか!」
ウィルは腕を軽くまわすと盾とメイスを構え、4人は小川から20歩離れた野火止に布陣した。新しく草叢に出来た炎の壁は100歩先まで広がっていた。




