第17話 殺される側の論理
狼王は10頭の精鋭を従えて北東の山頂から丘の小屋を見ていた。陽が沈み空に星が瞬く中で配下の狼達が小屋を多重包囲している事を確認すると彼は必勝の念を新たにした。暗闇の中で狼王は戦況をもう一度把握しようと思案をめぐらした。
(小屋に立て籠もっている人間共は全部で4匹。雄が2匹、雌が2匹だ。外様で一番のやり手の白耳が12頭で奇襲をかけたが逆に半数を失った。相当に手強い相手に違いない。しかもあいつらは強いだけでなく極めて残忍で凶悪だ。はっきり言って狂っている。狂っている上に好戦的で強い。何としても潰さなければ群れの存続に関わる問題になる。……拙速でも数に物を言わせればあの人間共を倒すことはできるが、こちらも大損害を受けるだろう。やはり弱らせてから攻める方が良い。あの小屋に食べ物が無いのは既にわかっている。数日も包囲すれば人間共の背負い袋の食べ物は尽きるだろう。そうなればいずれ小屋から出てくる。飢えて弱り切って出てきたところを叩けば完勝だ。大群で何日も包囲するには大量の食べものを確保しなければならないが幸運な事にたくさんの羊を狩ったばかりだ。この根競べには勝てる)
そう考えてすっかり安心した狼王はくつろぎ長期戦に備えて仮眠をとった。
幾刻か時が経ち煙が風に乗って山頂に到達した。
狼王は煙の臭いに目覚め丘を睨んだ。
丘は炎で真っ赤に染まり真っ黒い煙が立ち昇ってた。
火の恐ろしさを知っていた狼王は驚き括目して丘の周囲を見まわした。
包囲していたはずの狼達は大混乱に陥りちりじりになっていた。
小屋を観ようとしたが煙でかすんで良くわからなかった。
丘の北側の斜面をしばし観察すると煙の合間から人影が見えた。
狼王はようやく人間共の意図を理解した。
200頭におよぶ兵力が遊兵と化したことに激怒し、逃がすわけにはいかないと狼王は近衛隊に号令をかけ巨躯を躍動させて山を下った。
◆
トラップの目の前は真っ暗な森が広がっていた。不意に左斜め後方から風が吹き盛大に煙が襲い掛かる。小さな窪地を利用し姿勢を低くしてなんとか煙をやり過ごす。不覚にも軽く咳き込む。しばらくしてやっと煙が途切れた。すると鎖が擦れる音に気付いた。後ろを振り返ると鎖帷子の男が近づいてきた。
「そっちは大丈夫か?トラップ」
「ああ。お転婆達はついて来てるか? 」
「もうじき来る……狼の気配はするか? 」
「今のところ大丈夫だ。煙が奴らを追い払っている内に俺たちも動かないと」
「わかっている。ちょっと彼女たちに発破掛けに行ってくる」
そう言うと鎖帷子の相棒は踵を返した。しばしの間一人になったトラップは周囲の警戒に努めた。遠くからパチパチと火が爆ぜる音がかすかに聞こえた。焼き焦げた土の匂いにむせそうになった。踏みしめる大地は所々に赤い炭をのぞかせかなりの熱を感じたがマチルダの防災呪文のおかげで大事にはならなかった。
(全くマチルダ様々だ。防災避難魔法とか言っていたっけ?火傷予防も去ることながら煙にもそこそこ効果があるのには驚いた。煙っているのに最低限度の息が出来て、細くなら目を開けていられるなんて正直言って凄い。マチルダの魔法が無ければここまで順調にいくことは無かった)
トラップにとって革服の女は苦手な人物だがその実力は認めないわけにはいかなかった。それはともかく今は煙と緊張で喉がヒリヒリする。水袋を取り出し一口だけ飲んだ。水袋をしまうと人の気配がした。振り返ると黒いガウンの女が見えた。女僧侶の左手に持っている盾が白く発光していて足元を照らしていた。どうやら盾に魔法の灯りをつけてもらったらしかった。女僧侶の後ろに革服の女も見えた。
「おまたせしました。お疲れ様ですトラップさん」
シルフィールはいつものように微笑を浮かべながら声をかけた。
「おう、随分待たせたぞ。シルフィール。その盾の灯りはマチルダの術か? 」
無灯火で移動しなければ見つかってしまう危険性が飛躍的に高くなるのは常識である。トラップの語尾に険しいものが含まれていた。
「ええ、ウィル様のアイディアですわ」
シルフィールはにっこり笑いながら矛先をかわした。
「良い考えだろ。片手が空くし松明と違って火事の心配も無い。灯りが不要な時は盾に麻袋を被せれば良い」
こうなるだろうと予測していたウィルはトラップを刺激しないように淡々と説明した。
「だが、目立ちすぎないか?ウィル」
トラップは苛立ちを隠そうとしたがにじみ出てくる感情はどうにもならなかった。
「それも考えたが闇夜でこの面子で動くとなったら逸れない事を優先した方が良いだろう」
ウィルはトラップを落ち着かせようと静かな口調で言った。
「だがしかし……」
トラップは納得がいかない。
そこにマチルダが口を挟んだ。
「狼は夜目が利くし耳も鼻も良いわ。灯りで気づかれる前に歩く振動や匂いで感づかれるでしょ。どのみち松明を付けなければ歩くのもままならないし……」
マチルダがそう言うとトラップは彼女の顔をゆっくり見てから腕を広げてもういいと呟いた。トラップは彼女たちが遅れたのは自分や鎖帷子の相棒のように無灯火での野外移動訓練を受けていたわけでは無いからだと気づいたのだった。原因を巡れば自分が無理を急かした事に行きつく。それにマチルダがいなければここまで上手く行くわけも無い。トラップはもうこの事を話題にするのは止める事にした。
トラップが落ち着いたのを見計らってウィルは呼びかけた。
「さあ、出発しよう。この野火止に沿って予定通り西の小川へ」
「わかった。お前ら逸れるなよ」
気持ちを入れ替えたトラップはポイントマンの役割を再開した。
◆
真っ暗な森の中を駆け抜けながら狼王は考えていた。どうやってあの連中を倒すのか。白耳は奴らは妙な術を使うと言っていた。それには狼王にも思い当たる節があった。
狼王がまだ幼い頃、人間が稲妻を放ち群れの仲間を何頭もまとめて殺された記憶が蘇った。人間たちが去った後に仲間の死を悼むために躯の傍に寄ってみると焼き焦げて変わり果てた友達が転がっていた。稲妻のためか目玉を飛び出して絶命した親友達。そして毛と皮が焦げたあの匂い、血と肉の臭いに混じった焦げた臭い……狼王は軽く身震いすると自分自身を奮い立たせ再び作戦を考え始めた。
(……まずは術を使う人間を倒さなければ。白耳は術を使う人間は雌だと言っていた。あの連中の雄は雌を守るように戦うとも言っていた。ならば挟み撃ちしかないだろう。近衛隊を二分して一つは右から襲い掛かり、もう一つは左から襲い掛かる。右は森だがさすがに奴らは警戒しているだろう。多分森からかなり離れているに違いない。その点、左は見晴しが良くても背の高い草叢が我々を隠してくれる。何なら草叢を突き切って小川を越えてしまっても良い。小川沿いにある灌木を盾にして近づくのも悪くない。そして先に右から突撃して連中の雄が右に食いつけば左に雌が動くだろう。そこに左から奇襲すれば術を使う雌を真っ先に屠れるに違いない。この手の肝は先に確実に雌を屠ることだ。つまり一番強い者が左から攻撃する必要がある……左は余の本隊、右は別働隊だな。別働隊が捕捉・拘束している内に背後から余の本隊が襲い掛かり厄介な術使いを真っ先に始末してから皆殺しにしよう……)
策がまとまった狼王は近衛隊に一時停止させ指示を下した。




