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第16話 誤算

 夜の帳が下りて数刻。

 小屋の隙間から火の明かりが見えていた。

 狼たちは自分たちの時間が来た事を喜び勢いづいていた。

 遠巻きにしながら日中よりも活発に唸り声を上げて小屋の中の人間共を威嚇し始めた。

 その群れの中に白い左耳の狼がいた。

 数十頭の群れを率いる白耳は狼王の命令に従って小屋の人間を根負けさせて弱って出てきたところを襲うつもりだった。


 北東の森から吹いていた風が止み南西の風に変わり小屋から流れるかすかな煙が森に流れ始めた。

 小屋から漂う人間と狼の血肉の臭いを嗅ぎながら白耳は昼間の戦いを思い出していた。

 森の中で奇襲を掛けたのに散々な目にあった屈辱を。

 頭を切り落とされ皮を剥がれた仲間達を。

 殺すに飽き足らず仲間の遺体をバラバラにしたあの人間共を。

 人間共に圧倒的な実力差を見せつけられ恐怖に為す術も無くただ遠目からバラバラにされる仲間達を見つめるしか出来なかったあの無力感も。


 白耳は記憶が蘇るにつれて憎しみと怒りが湧き出してきた。


(なんて惨い事を・・・食うわけでもないのに惨殺するなんて!)

(今度こそ奴らに思い知らせてやる。仲間の無念を晴らしてやる!)


 草叢の中で白耳は憎悪で身を震わせていた。


 数時間して戸が少しだけ開き漏れる明かりが太くなったと思うと軽い破裂音が響いた。

第一次警戒線を受け持っていた白耳のグループは一斉に戸を見ると直ちに手前に閃光が広がった。

暗闇に順応して瞳孔が開いていた狼達の目は閃光によって眩み混乱状態になった。


 鋭い掛け声と共に二人の男が小屋から2、3歩飛びして松明を投げた。

真っ暗な中をオレンジ色の火の玉が左右に飛んでいき狼達の手前に落ちた。

人間の意図に気付けない狼達は狼狽するばかりだった。


 もう一度閃光が走りまた火の玉が飛んできた。

閃光が何度か繰り返され地面に火の玉の道が出来た。

直接攻撃されているわけでは無いことに気付いた白耳は部下の狼達を叱咤して落ち着かせると20歩程後退させてひとまず様子を伺った。


 するとまた閃光が走り一人の人間が飛び出てきた。

また直ぐに火の玉を投げると思ったら、かなり踏み込んで火の玉を投げてきた。

火は怖いが人間共が火の玉を投げるだけなら怖くない、白耳は好餌と考え部下に突進を命じた。

踵を返した人間の背中に目がけて数十頭の群れが殺到しようとした。

その矢先にまた閃光が走り狼達の網膜が焼かれた。

狼達は悲鳴をあげてのた打ち回った。

混乱の中、白耳が視力を回復した時にはその人間は小屋に逃げ切った後だった。


土間に滑り込んだトラップはしばらくの間、肩で息をしていた。

 

「何とか上手くいったな」


ウィルはトラップを労った。


「すげーきついぜ」


トラップは息をきらしながらシルフィールから渡された水袋を一口飲んだ。


「ごめんなさいね。退却援護に1回しか詠唱出来なかったわ。」


マチルダは伏し目がちにすまなそうに言った。


「良いってことよ。無事に帰れたから十分だ」

トラップは手をぱたぱたと振りながら答えた。


「一度に3本松明を投げたから閃光呪文は全部で6回で済みましたね。これも素早くて器用なトラップさんのおかげです。上手くやれば後もう一回できそうですわ」


シルフィールは微笑を振りまきながらみんなを励ました。


「それでちゃんと火は着いたのかな? 」


ウィルは気がかりそうに言った。


「この風、この枯草、問題無いさ。それよりさっき気づいたんだが」


トラップは言い難くそうに言った。


「なんだ?」


ウィルはトラップの言わんとすることに薄々気づきながらも知らないふりをした。


「左に投げた松明1本が小道沿いに転がって行った」


左側はウィルの担当だった。

多分、力まかせに投げた最後の1本だろう。

投げた時に親指の上を松明が滑った感覚があった。

鎖手袋をはめて強く振り被るとリリース時に手元が狂うことは間々ある事をウィルは今更のように思い出して臍をかんだ。


「マジかよ。右はどうだった? 」


ウィルは苦い顔をした。


「右は大丈夫だ。手前で止まっていた」


「どういう事なの?」


マチルダは不安を隠しながら言った。


「ここは小高い丘で周囲が傾斜している。左つまり西に転がった火種。まだ刈り取られていない枯草。そして南西の風」


 ウィルは内心の落胆を隠すために可能な限り淡々と要因を列挙すると見る見る内にマチルダの顔が青くなっていった。


「つまりどういう事ですか? 」


シルフィールが咎めるように言った。


「計画よりも火の周りが速くなる。丘の西側が燃え上がるころには風が北東に変わって紙一重で煙を避けられるつもりだったがオジャンになった」


ウィルは淡々と言った。



「おまけに風と言うのは丘みたいなでかいものに当たるとぐるっと回るんだ。始末が悪いことに気流も乱れるから火の流れが予想出来なくなる」


そう言うとトラップは床に座り込んで俯いて言った。


「……火災旋風になったらどうしよう」


トラップの呟きに一同は沈黙した。


丘から西に下る暗い小道に1本の火の着いた松明がころころと転がる。

少し小道がカーブしたところで松明は枯草に引っ掛かり止まった。

しばらくすると周囲の枯草から煙が立ち昇った。

やがて草叢に赤い火が見え始めパチパチと音を立てた。

そして南西の風に乗って野火は広がり始めた。



「なんだか煙の匂いがしますわ」

そう言いながらシルフィールは小屋の西窓の隙間からのぞいた。


「火が……80歩先まで迫っています!」


シルフィールの額から冷や汗が流れていた。


ウィルは声をかけると彼女と入れ替えに西の窓から確認した。

赤い火が煙でかすんでいた。

あれだけ威圧するように吠えていた狼達が浮足立っていた。


「トラップ、北はどうなっている? 」


ウィルが声を掛けるとさっきまでうつむいていたトラップが立ち上がって出入口まで見に行った。


「火はかなり広がってきた。野火止までの枯草はもうじき燃え尽きる。後は左右を焼き尽くすだけだ」


「狼はどうなっている?」


「……見当たらないな。さっき何頭かが逃げ去ったがそれ以上はわからん」


「煙くなってきたけど大丈夫なの?」


マチルダはハンカチで口元を覆いながら訊いてきた。

まだ薄いとは言え西からの煙が小屋をかするように流れていた。


「野火止があるから小屋が焼けることは無いだろう。煙をやり過ごして日の出を待ちたいところだが……」


ウィルは言いながら考えた。

丘の西斜面全体が火に覆われるのは時間の問題だった。

更に南や東の斜面にも広がって日の出までに小屋の中は煙に制圧されるだろう。

風向きが変わる気配はない。


「ウィル様、でしたら煙が入らないように隙間を埋めないと」


シルフィールは濡らした手ぬぐいで口鼻を覆いながら言った。

とは言え小屋は隙間だらけなのに粘土や漆喰のような資材も作業する時間も無さそうだった。



「あれを見ろよ。埋めるにはデカすぎるぜ」


トラップは壁の上の方を指差しながら言った。

南北の屋根と壁の間には大きな開口部が開いている。

いずれあの開口部から盛大に煙が入ってくるだろう。

自然の風向きを利用して簡単な構造で小屋の中で薪を燃やしても煙がこもらないようにした設計が仇になった。


ウィルはトラップに代わって出入り口の隙間から北面を覗いてみた。

北面は正面幅100歩の枯草は大方燃えてしまってオレンジ色の炎の代わりに赤黒い炭火が地面に点在し燻っていた。見上げると北の星空は枯草の煙でかすんで見えた。


ウィルは故郷の村で何度も野焼きをやった事を思い出した。

野焼きを離れた丘で見ていたら上に昇ってきた煙で煤だらけになって父親に怒られた。

恐る恐る家に入ったら母親に耳を引っ張られて問答無用で井戸水でジャブジャブ洗わされて、晩秋の風の冷たさを思い知った幼少の記憶が蘇った。


「いっその事森に向かって走ったらどうだ?」


トラップが自棄気味に言った。


「冗談でしょ?まだ熱いしここよりも煙いじゃないの。それに狼だって」


マチルダが怒り出した。


「それなら大丈夫だ。火傷をしないようにブーツと衣服に水をかけて森へ一直線に走ればいい。森まで到達したら野火止沿いに西の小川まで火よりも早く歩く。火を追い越せば煙を被ることは無い。小川を越えたら北東の風になるまで待機だ」


ウィルはそう言った。


「あなた何言ってるの!あの煙の中を100歩以上も走ることになるのよ。しかもずぶ濡れで真冬の山野を」


マチルダは怒りながら反論した。


「このままここにいたら俺たちは燻製だ。煙は上に向かうから丘を下った方が良い。

だが西に降りたら焼け死ぬ。南と東には火から逃げた狼が大量にいるだろう。その点、北なら火と煙で狼が追い払われているし煙は上に昇るから今飛び出せばなんとかなる」


ウィルはもっともらしく言った。


「貴方、狂っているわ」


マチルダは自分の事は棚に上げて力なく言った。


「そうは言うが突撃支援魔法投射よりはマシだぞ。ファイアボールやスタンクラウドが目の前でバンバン炸裂する中を突入するよりは安全なんだぞ」


ウィルは演習で酷い目にあったことを思い出しながらマチルダに言い返したがマチルダは何も言わない。


「俺はウィルに従う。もしも火災旋風が起きたらこの小屋も焼け落ちるからな。そうなってからでは遅い」


トラップは力なくかすれた声で言った。


「マチルダさん、ウィル様を信じましょう」


シルフィールが天を仰いでから言った。


「もう時間がないですわ」



「……わかったわよ」


渋々マチルダは同意した。


「ただしずぶ濡れは無し。さっきも言ったけど水の代わりに防災魔法をかけるわ。それが合理的よ」


「それは便利だな。よし、みんな準備だ。水で濡らした手ぬぐいでマスクして煙に当たらないように出来るだけ身をかかんで行こう」


ウィルの掛け声を合図に仲間は急ぎ始めた。


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