第14話 篭城
ウィルは焚き付けに使うために白樺の小枝をダガーで刻み込んでフェザースティックを作ると、自分の火口箱で起こした火をつけた。
白樺は燃えやすいので火口箱の火を移す作業は楽だったが薪の大部分は乾燥が不十分で火付きが悪く煙が多かった。それでも火を移す薪を少しずつ太くして小さな火を大きく育てようやく煮炊きできるだけの炎を炉にもたらした。
立ち昇る煙が屋根の通風孔に流れていくもののやはり煙いものは煙い。ウィルが炉の傍に敷いてある筵の上に座り込み水で濡らした手ぬぐいで煤だらけになった手と顔を拭いている間にシルフィールは火に掛けられている鍋にマトンの干し肉とレンズマメを入れた。
「ウィル様、味付けはどうしましょう?このままだと味が薄くなりませんか? 」
シルフィールは少し心配そうに訊いた。手伝うと勇んだもののほとんどの作業はウィルがやってしまったので彼女にとっては少しバツが悪かったのだ。
「肉は十分塩っぱいからその点は心配いらない。ただしマトンだから臭みを気にする者はいるかもな。大蒜・生姜・セリがあると良いんだがそんな贅沢は言っていられないよなぁ」
ウィルは簡単な造りの炉から天井に視線を移動させながら困ったように言った。
幸いなことに彼は先ほどのシルフィールの言動を全く気にしていないようであった。
「詳しいのですね」
こっそり安心したシルフィールは思わず笑みをこぼしながら言った。
「このマトンの塩漬け干し肉、野外行軍訓練でうんざりするほど食わされたからな。もちろん俺ら庶民にとっては羊肉は高いものだからありがたいと思わなきゃいけないのは分かっているんだが。でもこれと堅パンばかりだと流石になぁ。野外行軍訓練なんて飯ぐらいしか楽しみが無かったよ。だから少しでも旨く食える方法を試したもんさ。冬キャベツがあればなんて言わないけど。あーあ、せめて食える野草でもあればなぁ。付け合せに入れるんだが。でも季節的に難しいよなぁ」
ウィルは炎に薪を足しながら取り留めも無くぼやいた。
「そうなのですか……そう言えば白葡萄酒なら一瓶持っていますわ。テーブルワインですけど少し入れたら美味しくなるかも」
「やってみな。何事も経験が大事だ」
「玉葱と人参も入れておきますね」
「よろしく頼む」
大真面目に答える彼の返事にシルフィールは吹き出しそうになったが何とか耐えた。考えてみればこの緊迫した状況でこのやり取り、まるでシュールなコントのようだとシルフィールには思えた。
シルフィールはウィルに気付かれないように笑いをかみ殺しながら自分の背負袋を取りに行った。
炉の炎が爆ぜながら土間とウィルを照らしていた。
相変わらず狼は壁越しに吠えかけてきて煩かった。
ウィルは小脇の鉄兜に脱いだ手袋を置いて揺れる炎をしばし見つめていた。
炎が揺らぐ度に鉄兜が鈍く光った。
シルフィールが土間に戻ってきて鍋に根菜類とコップ半分ほどの白葡萄酒を入れてかき混ぜた。鍋から葡萄の香りが立ち小屋の中に漂った。小一時間煮込むと鍋の中のレンズマメは大きくふやけてきた。
彼女は人参が柔らくなったことを確認すると深皿によそった。濃い目の塩味のスープを板の間でまだ愕然として動けない二人に微笑しながら切り分けたライ麦の黒パンと共に手渡した。
「さあ、みなさん暖かいうちにどうぞ。はい、トラップさん。食事の前にお祈りを忘れずに」
トラップは顔上げてシルフィールに何か言おうとしたがシルフィールの視線に封殺され、しぶしぶ食べ始めた。
「マチルダさんも召し上がれ」
「……ありがとうシルフィール」
マチルダはシルフィールに力なくお礼を言うと深皿を長椅子に置いてしばらく皿の中のマトンの切れ端を眺めていた。
土間からウィルが左右の手に皿を持って板の間に来るとシルフィールに右手に持っていた深皿を渡した。シルフィールはお礼を言ってマチルダの隣にしゃがみ込み、彼女たちの向かいにウィルが座りこんで食べ始めた。3人が食べる様子を見て遅ればせながらマチルダも食べ始め4人は黙々と胃袋に食糧を流し込む作業を開始した。
最初に食べ終わったトラップが口を開いた。
「で、何か手は思いついたか? 」
トラップは食べて少し落ち着いたようである。
「その前に状況を整理しよう」
スープに浸して柔らかくした黒パンをほおばりながらウィルは応じた。
「俺たちは多勢に無勢で完全包囲された。場所は村から離れた小高い丘の小屋。周りは枯草ばかり。日中は北東から乾いた風。夜は南西からの風。狼たちは草叢の中に潜み俺たちを伺っている。狼は草叢の中でも素早く走れるが俺たちは歩くのがやっとだ」
ウィルは皿の汁と共に喉のパンを全部流し込むと淡々と言葉を続けた。
「俺たちの手持ちの物資は携行食3日分、薬草少々。飲み水と薪は1週間分ぐらいか」
「松明とロープもありますわ」
仲間が少しでもポジティブになれるようにとシルフィールが口を挟んだ。
「松明とロープで何が出来るんだよ」
トラップは口を尖らせて咎めた。
「松明と言ったら明かりだが狼って夜行性だよなぁ。松明もって夜に小屋を抜け出すなんて無理だろう。脱出するなら奴らが一番疲れている夜明けが良い」
ウィルは食べながらのんびりと言った。
「小屋の明かりというなら土間の炉で薪を焚けば良い。炉は入口から近いし狼も火を恐れるから丁度良い」
ウィルは皿にあった最後の肉の欠片を飲み込んでからそう続けた。
「でも松明の方が安全じゃありませんか?みなさん冒険者セットを買ったばかりでしょうから全部で24本持っていることになります。これを使わないのは勿体ないですわ」
シルフィールはむきになって言い返した。
「松明が安全だって?これだから素人は困る」
トラップは反射的に失笑してからここぞとばかりにシルフィールを嘲笑した。
「松明は外で手に持っているから安全なんだよ。松明を手に取って良く見ろ。樹脂や油を含ませてあって簡単には消えない。つまり消火し辛い。手に持つから火の高さも高い。こんな小屋の中で使ったら火事になるのがオチだ」
トラップはシルフィールを初めて言い負かした事を確信して満足げに胸を張った。
「風も乾いているし良く燃えるだろうな。小屋の周りには枯草が無いから小屋が焼けても牧草地に火が着かないのが不幸中の幸いだろう」
ウィルは他人事のように言った。
シルフィールはトラップよりもウィルのその態度に腹を立てて珍しくほっぺたを膨らませていた。
するとようやく食べ終わったマチルダが何かに気付いてポツリと言った。
「それよ。……松明を使ったらどうかしら? 」
3人が同時にマチルダの顔を伺った。
食事のおかげかマチルダの顔色はマシにはなったが芳しいとは言えない。
彼女の双眸が冷たく輝いているのが印象的だった。
「使うとは? 」
3人を代弁するようにウィルがマチルダに訝しげに訊いた。
「松明で草叢に火をつけてあげれば狼が草叢に潜むことは出来ないでしょ? 」
マチルダの声に力が戻っていた。
しかし力強い声だからと言って必ずしも暖かい気持ちをもたらすわけではない。
「牧草地を焼き払えと言いたいのか? 」
ウィルの声に緊張が孕んだ。
「あら、合理的でしょ。狼たちは枯草の中で待ちかえているのだから。枯草ごと焼き払えばいいのよ」
事もなげに言うマチルダの瞳が怜悧に光っていた。
「正気か?このあたりの牧草地は誰のものか解っているのか?こういう土地は大抵は村の共有地か地主のものなんだぞ。村長の羊に食わせていたということは多分あの村長のものだろ?生えている草だって羊の貴重なエサだ。村長の財産だ。それを無断で焼き払ったら報酬がふいになるどころか下手すりゃ犯罪者扱いにされるんだぞ!」
故郷の農村の事を思い出しながらウィルは一気にまくしたてた。
村一番の地主が村長を兼ねるのは通例である。
この仕事は村長からの依頼だ。
そしてその報酬も村長の財布からのものだ。
ウィルの話を聞いてシルフィールは自分のちょっとした思いつきがとんでもなく大事を引き起こしたことに気づきオロオロと焦り始めた。
「牧草地を焼くのじゃなくて枯草で狼を焼くのよ。村長さんの大切な羊を殺した憎き狼の大群を枯草で退治するのよ。犯罪でもなんでもないわ。神に賞賛され民に感謝されるべき正当な行為よ。これが正義と言うものよ。それに今更手段は選べないでしょ。火攻めの他に合理的な代案があるなら言ってみなさい」
凍てついた炎のように話すマチルダを見ながらシルフィールは感銘と寒気を同時に感じた。
「そりゃあそうだが、火攻めには特殊な技術が必要だ。効率良く火を着けるにもノウハウが必要だし風向きや火の流れを読めなければ俺たちが真っ先に焼け死ぬぞ」
彼女の一理あるが暴力的とも言っても良いロジックに屈服されそうになったウィルは慌てて技術論で反論した。
するとそれまで黙っていたトラップが顔色を蒼くしながら言った。
「火攻めなら出来るよ。訓練で何度もやった。本番も1度だがやった。やれと言われたら俺がやる。もちろんお前らにも手伝ってもらうが。ただし……」
トラップの声が震えていた。
「ただし? 」
ただならぬ事に気づきながらウィルは促した。
「本当にやるのかそれ? 」
トラップの問いに3人はしばし黙り込んでから顔を見合わせた。
マチルダはウィルに力強く頷いた。
シルフィールは「仕方ありませんわ」と消え入るような声で首肯した。
何かに脅えているトラップの目を見ながらウィルはリーダーとして決断することになった。
ここを切り抜けなければ囚人になる方がマシに思える末路が待っていた。
綺麗事を言える立場ではないという自覚。
孤立した中で情け容赦無い生存戦争にどっぷりと浸かり込んでいるという現実。
自分はもちろん仲間の命を預かっているという責任。
たっぷり逡巡した上でウィルは遂に決めた。
「頼む、トラップ。狼どもを焼き払うんだ」
「……わかった。早速準備する」
トラップも観念したように答えた。




