晴天の雷
親父が怪我をした。
唯でさえ兄弟の多い家に、ついこの間もう一人弟が増えたっていうのに。稼ぎ頭が働けないっていうのは、死活問題だった。
上の兄貴達がいるから、すぐに困るというわけではない。でも、弟を産んでから床に伏せることが多くなった母ちゃんのこともあるし、苦しい状況は変わらない。
俺、どうしようかな。
悩む俺に、噂好きの友人が教えてくれたのが魔女討伐の有志募集だった。
こういう人集めは、下手をすれば奴隷商人だったりする。
またガセではないかと、近所の隠居に話せば、それは事実だった。
兄弟で一番中途半端な年齢の俺が、家を出て行くのに丁度いい口実だった。
一度、他領に行ってみたかった。それに今なら向こうまでの馬車が、無料で出ているということだし。
そう軽さを装って、試しに言ってみれば、案の定、母ちゃんも姉ちゃんも止めようとした。
当たり前だよな。
俺、特に喧嘩が強いってわけじゃない。一人で、街の外に出たこともない。
でもさ。日に日に少なくなっていく食事の量。夜、俺達が眠っていると思って相談している親父達。
俺一人でもいなくなれば、少しは楽になるだろう?
それに死ぬような無理をするつもりはないし、上手く行けば王様になれちゃうかもなんだぜ。
「無理だと思ったら、すぐ帰ってこいよ。」
一番上の兄貴が、優しい言葉で俺の背中を押した。
兄貴には多分俺の考えなんて、お見通しだったろうに。子供だとからかうでもなく、味方になってくれた。
兄貴が母ちゃんを説得してくれて、渋々納得してくれた。
「手続きには、俺も付いて行く。明日、寝坊するなよ」
ありがたい。その言葉に頷く。
俺は文字なんて、通りの店看板と家族や友人の名前くらいしか読めない。 それでも文字が分かるだけ、友人達の中ではマシな方だが、さすがに役所で手続きを行うには足りないんじゃないか。不安だから、最初からこれは兄貴を頼る気でいた。
「実際、兄貴についてきて貰って良かった。何か年齢制限有ったみたいで、俺、ギリギリだったから一人で行っていたら、疑われて駄目だったかも。」
そこまで話して、俺は目の前の少女が手を止めているのに気づいた。
馬車を引く馬の休憩に合わせた食事の機会。
2つ前の休憩時間の時に途中乗車した、俺とそう年の変わらない少女ヒロナ。
他の乗客が皆親父くらいの大人の男ばかりの中で、年の近い俺とヒロナが互いの話し相手になるのは自然な成り行きだった。それに、男たちは馬車に乗る以前からの知り合いらしく、蔑ろにされたわけではないが、輪に入れなかった俺が寂しかったのもある。
でも、あまり同じ年の女の子と二人きりで話したことはないから、当り障りのない話題などすぐに尽きて。沈黙が怖くて、とりあえず俺は自分が旅だった動機なんかを口にした。
やっぱり、つまらなかったかな。
それともあまり振ってほしくない話題だったか?
どうしたらいいものか。貰ったパンを口にしながら考える。
それにしたって、親父も言っていたけど待遇がいいってやつだよな。これって。
俺が生まれる前の戦争で徴兵された時と比べて、って言えば、兄貴は状況が違うだろって笑っていたけど。
でも、それでも片道とはいえ馬車が出ていて、こうしてパンとか食べ物だってもらえる。
ご領主様宛ての紹介状もあって、向こうのバウムガルドの紋章がある家にそれを持っていけば、支度金が貰えたりするらしい。
俺は親父が徴兵された時使っていたという古い革鎧と剣、それに小遣いを貯めたわずかばかりの金位しかなかったから、だいぶありがたい。
悪く言えば、口減らしとして出て行くのだ。そんなに大したものは持って出ていけない。
俺が話をやめたことで、黙々と食事を再開したヒロナを見ながら思った。
彼女は、どうしてここに来たんだろう。
この馬車に乗ったということは、行き先はグランフィアだ。それは間違いない。
でも、ヒロナの持ち物は俺と同じで、そんなに質のいいものじゃない。
ちびの俺や妹に比べても変わらない体格。
俺も人のことは言えないが、魔女討伐なんてヒロナには絶対に無理で無謀だ。誰か止める人はいなかったのだろうか。
そこまで考えて、口の中のパンを飲み込む。
いたのなら、いないよりもよっぽどの訳ありだ。
そりゃ、動機とか話したくないだろう。
会って間もないが、しゃべり上手でない彼女が、上手く嘘をつけるとも思えない。
黙るしか無いよなぁ。
興味本位で聞くほど、ヒロナに興味もないし。
最後の一口をほおばりながら、一人納得して食事を終えた。
馬車を引いていたのが、年老いた馬だったのか。
思っていたより時間がかかった旅路も、もう少しでようやく終わりを迎える。
領内を出てから、道の状態が悪かったから尻が痛い。
「グランフィアの入り口には、遺跡を守るかのようなでっけぇ木があんだよ。ほら、あのちょっとだけ見えるのがそれだ。」
一緒に馬車に乗っていた髭もじゃのおっさんが、ぼんやりと外を眺めていた俺に指さして教えてくれた。
太陽が真上から傾き始めた頃、大きな木だけでなく門とそれを守る兵士が見えた。
簡単なチェックと勇士に関する説明を終えて、馬車から降りた俺は酔ったのか具合の悪そうなヒロナをまつ。
おっさんたちは、一番に降りたまま立ち止まった俺の頭を叩いて、景気の悪そうな街中へと消えていった。
「大丈夫か。」
「うん……」
ふらつきながら降りてきたヒロナの手を取る。
別におっさんたちのように、さっさと街へ行っても良かったんだけど。とりあえず、門兵が言っていた勇士の登録所までは、面倒見てやろう。さすがに、この状態の彼女を放っていくのは人でなしだ。
領主様の屋敷は、その後でもいいだろう。一緒に来たおっさんたちも先に登録を済ますみたいだし。
「登録所はさ。」
そう口に出した瞬間。
視界が白く染まる。
轟音。
ものすごい衝撃が、身体を襲った。
耳が痛い。
それでも本能なのか、音がした方へ身体を向ける。
唖然。
開いた口から、言葉にならない呻きがもれる。
なんだこれ。
さっきまで、俺達に涼しい木陰を提供していた大きな木が。
ひどい。
燃えている。
真っ二つに裂けて、裂け目から火があがっている。
なんだこれ。
「う、そ……」
いつの間にか抱きしめていたヒロナが、俺と同じ方を見て呻いている。
ヒロナの声を拾った耳は、次第に周囲の喧騒を拾い始める。
雷だ!と騒ぐ声がする。
雷だって!?
ばっと空を振り仰ぐが、そこには雲一つ無い青空が広がっている。
どういうことだよ、これ。
混乱する頭が、腕の中の存在がひどく震えていることにようやく気づく。
「ほんと、に。」
泣きそうだ。
いや、ヒロナの顔は青ざめているだけで、むしろ怖いほど無表情に近かった。
だから、泣きたかったのは俺だったのかもしれない。
でも、この瞬間はそれが、彼女を見て思った感想なのか、自分の心情なのかわからなかった。
だって、次の瞬間。
もっとも大きな衝撃が、俺を襲うことになる。
喧騒が消える。
誰もが息を呑んだ。
炎の中から現れた黒衣の女。
異質だ。
見ただけで、女がここにいてはいけないものだと、身体が、心が拒絶する。
「魔女。」
誰かが口にする。
それは一瞬で、周囲を恐怖に染めた。
魔女を討伐に来た者でさえ、今この瞬間の魔女を目の当たりにして一歩踏み出すこともできなかった。
本能が。
それをさせなかった。
バキリ。
骨が折れたかのような音。
二つに裂かれていた木が、燃えてもろくなった部分から折れた。
それを合図にしたかのように、魔女の身体は木を燃やす炎へと変わった。
息を吐く。
さきほどまでの異質さが、消えた。
だが、今。代わりに酷い悪寒が身体を襲って消えない。
だって。
だって、しかたがないだろう。
魔女は、確かにこっちをみて笑って言ったのだ。
声にはなっていなかったかもしれない。
でも、言っていたのだ。
「待っていたわ。」
そう、確かに言ったのだ。