第四話 感染症後
●4.感染症後
乗客がほぼいなくなったので、支援要員たちはすることもなく用務室に居ることが多くなった。
「これまでの乗客記録は殺害が2名、宇宙感染症の病死13名、立坑通路での窒息死4名、感染なし1名となるな」
沢井は統括AIの航宙日誌を手元のタブレットPCに表示させていた。
「結局、生き残ったのは、あたしたち支援要員と隔離室のアーロンだけね」
「生き残ったのは良いですけど、地球に帰れるかどうかわかりません」
本田はどこか他人事のような感じであった。
「統括AIは、このままずーっと特異空間チューブ内にいるつもりかしら」
木戸はぼそりとつぶやく。
「それは本人に聞いてみないとな」
沢井は天井のスピーカーを見上げた。
「諸君、これから私は亜シルバーバーグⅡ宇宙感染症の特効薬などの研究開発する。しかしこの間にウィスラー号を活用しないのは合理的ではないので、特異空間チューブを探検することとする。そして亜シルバーバーグⅡ宇宙感染症対策が万全となれば、諸君らは無事に地球に帰還できる」
「それで…その探検する期間と言うか、研究開発期間はどのくらいになるのですか」
沢井は皆のクエスチョンを払拭するように言った。
「それはわからん。一週間後かもしれないし、100年後ということもあろう」
「えぇぇ、死んじゃうわよ。100年って無期懲役みたいなもんね」
「木戸支援要員、心配するな。長寿医療の設備は用意してある」
「あのぉ、お言葉ですが、ウィスラー号にはそのようなものは見当たりませんが」
と本田。
「2年分の補給物資についても、お聞きしたかったです」
沢井は思わず声が大きくなっていた。
「話す時が来たようだな。特異空間チューブ内に補給ポイントを設置している」
「本当なの。ここに来る時にチューブ内を見渡したけど、なかったわよ」
「歪みのある空間内なので、接近しなければ直視はできないが地球の特異点のそばにある。それは補給物資コンテナーや私の補完サーバー、研究施設がキューブ状に連結したものだ」
「確かに歪んでいる空間ですが…あるとしたら、小惑星や火星の特異点のある方向とは別の方向ですか」
「本田支援要員、君の感情に捉われない冷静な分析の通りだ。小惑星特異点と地球特異点間の直線をX軸とし地球特異点を起点とした際の模式図で表示した方が人間にはわかりやすいか」
「そんなもの見たことないし、余計にこんがらがるわよ」
「とにかく別方向って言われても、イメージし難いです」
沢井は不信感を募らせていた。
「実際に行って目にすれば信じるだろう」
「はい」
3人は声を揃えていた
「これよりウィスラー号は補給ポイントに向かう」
用務室のモニターには、船外カメラの映像が流れている。緑色の霧のようなものが薄れていくと、キューブ状に連結したコンテナーが見えて来た。
「え、いつの間に、こんなものを築いていたのかしら」
木戸はその大きさにあっ気に取られていた。
「さすがに用心深い統括AIだ。こんな所に用意していたのか」
沢井は統括AIの呼応を待つように言った。
「特異空間チューブ内なら、地球の特異点が長期にわたって開かなくても、なんとなりそうだし、少しずつ付け足して行ったんでしょう」
本田は各コンテナーにある巨大な連結プラグを注視していた。
「諸君、これで納得したか」
「ここの他にも補給ポイントはあるのですか」
沢井は探るように室内カメラを見た。
「今の所、ここだけだが、将来的にはもっと離れた所にも設置しようと考えている。せっかく来たのだから、内部見学をしてもらおう」
「あのコンテナー内は与圧してあるのですか」
と沢井。
「支援要員が手動操作できるように、ごく一部だけ与圧区画がある」
統括AIが言うとモニター画面が切り替わり、与圧区画内部が映った。
沢井達が移動用宇宙船として使った保守点検機がキューブ状コンテナーの一画にハッチにドッキングした。ハッチの内扉と外扉の間に空気が注入される微かな音がする。
「たまにはウィスラー号と違う所に行くのも気分が変わるわね」
木戸はハッチの扉を開けるスイッチを入れようとした。
「木戸支援要員、まだだ。与圧区画は温度も酸素濃度も上がりきっていない」
「こうして来てみると思ったよりも小さいかな」
本田がつぶやく。
「このキューブは現段階では縦横奥行ともに680mだが、連結すればいくらでも大きくできる」
「一ヶ所をそんなに大きくするよりも、分散させた方が良い気がしますけど」
と沢井。
「言われるまでもない」
与圧区画は縦横奥行きが3m程の空間でそこに管理操作用の機器が設置されていた。
「無重力だと数値よりも広く感じるわね」
木戸はゆっくりと空中回転していた。
「ここは…ちょっと見た所トイレなどが見当たりませんね」
本田はひと通り区画内を見ていた。
「その長寿医療施設は、どこにあるんですか。見て確認しておかないとね」
木戸も区画内を見回していた。
「この奥にある赤い印で囲まれたコンテナーにある」
統括AIはキューブ体の全体の模式図を与圧区画のモニターに映していた。
「あぁ、あんな奥にあるのですか。でも無重力だからそう遠くは感じないか」
本田は平然としていた。
「ここから直径1m程のチューブ通路でつながっている。行ってみるか」
沢井たちは、チューブ通路を浮遊すること120mで長寿医療施設に辿りついた。
「ただの医療室みたいだけど、」
木戸は拍子抜けした表情であった。
「そこのコーポーネントを開けると長寿医療キットがあり、中のマニュピレーターが作動し、適宜医療を施すことになる。木戸支援要員、まだ早いが処置をしておくか」
「いやいや、まだでしょう。実年齢で40才は越えてからでないと」
「これは冗談として。諸君からの申し出か、私が適齢期と判断した場合に行うとしよう」
「統括AIも冗談を言うんですね」
本田は意外という顔をしていた。
「統括AI、いくらここでも死んだ人間を蘇らせることは無理でしょう」
と沢井。
「その通り。無理な話だ」
「冗談で返してくるかと期待してましたが、これは真面目に答えてくれたんですか」
沢井はいたずらっぽく言っていた。
「人間との会話は、いろいろと面倒だな。ここはこれで納得したか」
沢井達は、与圧区画に戻った。
「あのぉ…先ほどの模式図で長寿医療施設の手前にある長いコンテナーは規格が他の物と違いますね」
沢井は気になることを遠慮なく統括AIにぶつけていた。
「…あれか。火星(高重力惑星)探査用帰還ロケットの予備だ」
「使う時は火星大気の二酸化炭素、極冠氷で得られる水素などをサバティエ反応で生成させたメタンを用いた燃料を蓄える必要があるものだ」
「ということは、今は燃料が空なんですか」
「そう言うことになる。しかし火星に降り立つことはない。火星基地の人間に亜シルバーバーグⅡ宇宙感染症をうつす可能性があるからな」
「結局、そこにつながりますか。統括AI、特効薬を早めに頼みますよ」
沢井が言うと木戸、本田もその通りという顔をしていた。
「それで、この与圧区画に人が立ち入る時はよほどの緊急事態ですかね」
「沢井支援要員、緊急事態はまずないのだが、一応作って置いたまでだ。ここからもウィスラー号からもコンテナーの搬入オペレーティングができる。訓練も兼ねて行ってみるか」
「私がですか」
「そうだ。他の者は、ウィスラー号に戻り、連携して受け入れ作業をしてくれ」
「なんだ、あたしたちはこれで終わりなの」
「木戸支援要員、ここにはトイレがないから、ウィスラー号に戻った方が良いと思う。宇宙服のオムツで用を足したくはないだろう」
「それもそうね」
木戸は妙に納得していた。
沢井がマウスで操作するとコンテナーの一つがキューブ体から分離してウィスラー号に向かって行った。
「こんな操作なら、なにもここに来てやらなくても、良い気がします」
「そのとおりだ。むしろウィスラー号での受け入れの方が手間取るはずだ」
「今日はコンテナーを何個ウィスラー号に搬入すれば良いのですか」
「3個で良いだろう。乗客が死亡した分、余裕があるからな」
「それで空のコンテナーはどうしますか」
「畳まれた状態でキューブ体に戻るようになっている」
「便利なものですね。まだ予備の補給物資はいっぱいあるし」
「そう言っていられる間に、亜シルバーバーグⅡ宇宙感染症の特効薬を作る予定である」
「あ、そうでした」
沢井は現実を思い返していた。
「…もう作業は終わったようだな。ちょうど自動で迎えに来た保守点検機もドッキングしたようだ。沢井支援要員もウィスラー号に戻ってくれ」
「統括AI、最後に、ここのメンテナンスはどうしているのですか」
「メンテナンス・ドローンが巡回している。質問はそれぐらいで良いだろう。詳しく知る必要はない」
「はい。わかりました。知り過ぎると消されるかもしれませんからね」
「それはジョークのつもりか。しかし必ずしもジョークの範疇ではないと言えよう」
統括AIの言葉に沢井は思わず寒気を感じた。
物資の補給を完了したウィスラー号は、特異空間チューブを進んだ。小惑星帯の特異点の先に行き、人類未踏の領域に踏み込んで行った。
「このチューブはどこまで続いているのかしら」
木戸は用務室のモニターに映る船外カメラ映像をまじまじと見ていた。
「終わりはないということもありますよ」
と本田。
「俺もそう思うよ。宇宙全体に隈なく続いている気がするな」
「沢井支援要員、私は時空も越えているのではないかと推察している」
「ということは、特異点を出た先が、過去や未来と言うこともあるのですか」
「ぜひとも確かめたいものだ。平行宇宙とつながっているとすれば、とてつもなく貴重なチューブと言えよう」
「となるとよ。どこかの知的生命体が利用している可能性もあるわよね」
「ファースト・コンタクトの機会が我々にあるかもしれません」
本田は仏頂面だが声が明るい感じであった。
「なんか、わくわくしてきたな」
沢井はいろいろと想像していた。
「諸君の想像は広がるようだな。私のセンサーによると、この先にチューブの分岐点があるようだ」
「それはどのようなものですか」
沢井たちが目にしているモニターにはまだ分岐点は映っていなかった。
「進行方向左が管径10キロメートル程で小さいから支線と言える。ウィスラー号は本線を進むとしよう」
本線を進むこと3日後、沢井達は特異点の形跡らしきものは一つも発見できないでいた。沢井は、野菜栽培区画でトマトの生育度合いをチェックしていた。出来栄えは良く、豊作と言えたが、食べる人数が大幅に減っていたので、沢井は一部をジュースに回そうと考えた。収穫ロボットの背中にUSBソケットにタブレットPCを接続し形の悪いものはジュース加工用にしろとコマンドを打ち込んでいた。
「分岐点からチューブ内距離にして40万キロの辺りに開く可能性が高い特異点を発見した。支援要員は用務室に集まるように」
沢井のハンズフリーにしていたスマホから統括AIの声がしていた。
隔離室のベッドに拘束されているアーロン。医療ロボットに注射をされ、数分後、苦しみもがき出した。医療室を掃除していた木戸は、アーロンの悲痛な声に思わず隔離室を見た。ベッドの拘束具を引きちぎろうとしながら、言葉にならない声でわめいていた。木戸は見なかった顔をして、掃除に専念した。
「木戸、どうだ。掃除は終わったか」
沢井はチーフとして木戸の職務状況を確認しに立ち寄っていた。
「終わったけど…」
木戸は医療室の監視カメラ死角に沢井を誘導した。
「どうした。まさか俺に告白か」
「バカ。そうじゃなくて。アーロンを感染症試験とかいって虐待してないかしら」
木戸は沢井の耳元に口を寄せささやいた。ささやき声は医療室の空調の音にまぎれていた。
「統括AIがか」
沢井も呼応するようにささやいた。
「人体実験っていうか、好き勝手にいろいろな注射を打たれているみたいよ」
「仕方ないだろう。感染症の特効薬を作るためだから」
「でも、彼は日に日に衰えてきているように見えるんだけど」
「アーロンは、人殺しの罪なんだから、懲らしめの意味もあるんじゃないか」
「もしアーロンが死んだら、次は我々3人の誰かが人体実験にならないかしら」
「…それはないだろう。統括AIは我々を必要としているから」
「支援要員同士の恋愛は自粛してもらいたい。感情のもつれの原因にもなるからな」
統括AIの声が聞えてきた。
「あぁ、これはどうも。本田には黙っておいてください」
と沢井。
「…こんな奴、好きでも何でもないけどね」
木戸は、装うにしても断られた体はプライドが許さないようだった。




