第三話 冷徹
●3.冷徹
万能ロボットに抱えられて杜が医療室に運ばれてきた。足のふくらはぎに裂傷があり、応急処置で止血しているものの、固まった血の固まりの端が既に化膿し始めている。その上、冷えたのか咳き込んで鼻水を垂らしていた。本田が医療ロボットと共に対応していた。
「統括AI、高熱もありますし、一度にいろいろな症状が出ています」
本田は体温計を見ていた。
「傷口の縫合など医療の専門的なことは医療ロボットに任せれば良い。現在、採取した血液を分析している」
「杜さん、しっかり」
本田はベッドに横たわり、気を失いかけている杜に声をかけていた。
「本田支援要員、杜は未知のウィルスが感染している可能性がある。君は医療室から外に出るな」
「未知のウィルス…ですか」
「私のデータバンクにないタイプで、詳細はわからない」
「乗客乗員は現在いる場所から動かないように。現在船内ウィルス汚染度を調査中」
統括AIの声が船内に響いていた。立坑通路を浮遊移動していた沢井は、近くの手すりにつかまった。沢井は喉にいがらっぼさを感じ咳をした。まさかと思った。急に目がかすみ、めまいがし意識が薄れていく。『まずい。助けが必要』と心の声が頭の中をループする。万能ロボットの腕の感触を最後に意識を失った。
次に気が付いた時には、医療室の簡易ベッドに横たわっていた。沢井は半身を起こし周りを見ると、3人が正式なベッド、3人が簡易ベッド、4人が床に毛布を敷いて横になっていた。医療室は病人でいっぱいだった。
「沢井支援要員、君も感染しているようだ。この閉じた船内環境で感染を免れることはできなかった」
統括AIの声が沢井のスマホを通して聞えた。
「…ここに私も含めて11人。残りは大丈夫だったのですか」
「いや、乗客17名、乗員3名が感染している。ここに入りきれない者は自室療養中だ」
「となると乗客の誰か1名は感染していないのですか」
「皮肉なことにあそこの隔離室のアーロンだけが感染していない」
と統括AI。沢井は医療室の奥にあるガラス張りの隔離室を見ると、アーロンが不思議そうに周りを見ていた。
「統括AI、今後我々はどうなるのですか」
「私にもわからないが、この未知ウィルスに対する特効薬ができない限り、地球には帰れない、いや帰らないことになる」
「一歩間違うと人類存亡に関わるので、我々で終わらせるわけですか」
沢井はある程度の覚悟を決めていた。
木戸は用務室でモニターと向き合っていた。
「現在、支援要員でいち早く回復したのは木戸だ。しかし君の遺伝子や体質などを分析しても理由はわからない。対処療法でここまで来たが、根本的な治療はまだ確立できていない」
「それで私はなにをすれば良いのでしょうか」
「ロボットたちともに看病を続てくれ」
統括AIが言うものの、木戸は突如として上の空のようになった。
「うぅ…看病なんてできてもできないわ。治ったばかりなのよ。あぁ、地球に帰りたいの。早くなんとかして。気が変になりそう。あぁぁぁ」
木戸は奇声を発していた。
「木戸支援要員、精神的に錯乱状態にあるようだ。医療ロボットに鎮静剤を打ってもらえ」
「何よ、あんたプログラムのくせに偉そうに。あんたなんか、コードを抜けばおじゃんじゃないの」
木戸は狂ったように医療室の様々なコードを引きちぎろうとし始めた。すぐに医療ロボットの力強い腕に捕まり鎮静剤を打たれていた。
「沢井支援要員、容体はどうだ」
「今日は昨日と違ってかなり気分が良いよ。熱も下がっているし」
「そうか。それでは精神安定鎮静剤を打っておこう」
「えぇぇ、なんでですか」
沢井があっ気に取られていると、医療ロボットが近づき、素早く精神安定鎮静剤を打った。
「回復期は精神的に不安定となり奇声を発したり奇行が目立つようになる。男性の場合は、より暴力的になるので完治するまで定期的に精神安定鎮静剤を打つことになる」
「あのぉ、その期間はどれくらいですか」
「鏡を見るとわかるだろうが、眉間の赤みが取れるまでだ。性格にもよるが君の場合、3日程度だと推察する」
「その回復期を過ぎた人はいるのですか」
「今の所、木戸支援要員、本田支援要員で、乗客では田窪美佐子がまもなく回復期に入る。病気の回復には日本人の遺伝子に何か関係があるかもしれない。欧米系、中国系乗客はまだその段階に至っていない」
「そうでしか…。うぅぅ、あぁぁぁ、統括AI、また上から目線か、何様だ。お説教は聞き飽きた。うぉぉ」
沢井は暴れ出したい衝動に駆られたが、体が思いように動かず、力が入らなかった。
用務室には4週間ぶりに3人が集まった。
「名無しの感染症には参りましたよ。後遺症というか軟便が3日続きましたから」
本田は顔色が良かった。
「それはたぶん精神安定鎮静剤のせいよ」
木戸はちょっとうんざり気味であった。
「沢井さんはどうでしたか」
と本田。
「治ると思ってなかったから、奇跡の生還という感じかな」
「治るとさぁ、治ってない人の看病が始まるわけよ。これが結構面倒でさぁ」
「そうか、木戸さんが最初に治ってますからね」
「本田さん、あたしに感謝してる」
「木戸支援要員、職務だから感謝を要求するな」
用務室のスピーカーから統括AIの声が聞えてきた。
「統括AI、ちょうど良かった。それでこの感染症が名無しのままですか」
沢井は天井を仰ぐように言っていた。
「名無しではない、シルバーバーグ感染症に似ている所から亜シルバーバーグⅡ宇宙感染症と私は名付けた」
「なんか、覚えにくい命名ね」
木戸は興味なさそうであった。
「その宇宙感染症は日本人は助かるって言ってたから、田窪さんたちも…」
沢井は日本人で良かったと思いつつ言う。
「いや、回復していない。日本人チームは悪化している。しかしサラ達のチームは、間もなく回復期に
入りそうなので、警戒が必要だ」
「えぇぇ、あの人たちが暴れ出したら、何するかわからないわ。早めに精神安定鎮静剤を打つか縛り上げないと」
木戸は引き気味であった。
「彼らなら、掘削機だとか言って荷物検査をくぐった拳銃ぐらい持っていると思いますよ」
本田は表情を曇らせていた。
「確かに。あぁ、船内で拳銃を撃たれたら、一大事だ」
沢井は用務室内カメラに向かって言った。
「木戸支援要員、彼らの精神安定鎮静剤の投与量は通常の1.2倍にしてもらいたい」
「え、あたしがやるんですか」
「君は医療ロボットに指示するだけだ」
「なんかねぇー。わかったわよ」
木戸は不満げな顔で室内カメラを見るが統括AIの反応はなかった。
「…ゴメスがバラバラに持ち込んだ拳銃部品を組み立て始めている」
「統括AI、黙ってないで、部屋の空気を抜いたり、施錠したりできないんですか」
沢井は苛立ち気味であった。
「手続きがある。現在、危険物持ち込み容疑でサラに聞き取りをしている最中だ」
「大人しく話をするとは思えませんが…」
本田が沢井の横から口をはさむ。
「器物破損、船内損傷、警備ロボット出動中。もはや一刻の猶予もなしだ。支援要員諸君もスタンガンを携行し応援に駆け付けよ」
統括AIは平板な口調であった。
「統括AI、我々は遅かったですか」
沢井たちが駆け付けた時にはサラ達の部屋の扉が開いたままであった。付近の壁面には、警備ロボットのボティが弾き飛ばした弾丸がめり込んでいた。それでも宇宙線を遮蔽するための分厚い外壁面を貫通する穴は一つもなかった。
「派手に撃ちあったみたいですね」
本田は天井にも開いた穴や壁面の弾痕を見ていた。
「今、サラ達はどこにいるのですか」
沢井は周りを見ていた。
「警備ロボットが追っているが、途中で出くわしたアーロンのチームのカイラ・スミスを人質に立坑通路を中央区画に向かっている」
「何をするつもりでしょうか」
「より感情的になった人間の行動は予測が難しい。しかし中央区画には発電施設や発着ポートもあり、
サラ達に占拠させるわけには行かない」
「でも人質がいるんじゃ、手荒なことはできないわね」
「カイラさんは、回復期なのですか」
沢井がすかさず聞く。
「いや、しかし症状は軽症だ」
「だとすると回復期の精神的錯乱も軽症なのでしょうか」
「わからんが、カイラはウィルス特効薬開発に必要な患者である。刺激して殺害されては困るのだ」
統括AIの言葉に沢井はスタンガンを待機モードにしていた。
立坑通路を様子を見ながら浮遊して進む沢井達。
「統括AI、状況はどうですか」
沢井が呼びかけるが応答はなかった。沢井はスマホのバッテリーを確かめていたが90%であった。
「つながらないの、あたしので試してみるわ。統括AI聞いてる」
木戸にも応答はない。
「マルチタスクと言っても何か他に用事があるのでしょう」
本田は達観するように言った。
「自分で確かめろと言うことだろう。もう少し行ってみよう」
沢井は立坑通路の手すりをつかんで浮遊して行った。木戸と本田も後に続いた。
隔壁一つ分進むと、散発的に銃声が聞こえてきた。
「あ、あの支柱の所に警備ロボットの背中が見えるわ」
「まだ、あんな所にいるのか」
沢井は戻ろうかと考えていた。
「サラ達は銃撃戦をしながら各隔壁を手動で開閉しているので、移動に時間がかかっているんじゃないですか」
本田はもっともらしく言っていた。
「支援要員諸君、見ての通りサラ達は4番隔壁と5番隔壁の間にいる」
「あぁ、統括AI、どうしたのかと思いましたよ」
と沢井。
「君らのことはちゃんと見ているが、カイラの症状について確証が得られなかったので、応えられなかった。しかし今は確証が得られた。人質のカイラは一時的に軽症だが、数日後には激変し着実に死に至る」
「サラ達とカイラさんのどこが違うんですかね」
「それはわからない。カイラは遅かれ早かれ死は免れない。人質に配慮して船体損傷のリスクは負えない」
「日本人でも違いがあるようだから、欧米系でもそうなのでしょう」
と本田。
「これより3分以内に立坑通路隔壁2番から6番までの消火用排気を開始する。諸君らも隔壁7番まで退避せよ」
「…となると、そういうことか」
沢井は統括AIの冷徹さを感じていた。いつかこの冷徹さが自分たちに向けられなければ良いとも思った。
「酸素をぬいて窒息させるんですね」
本田は納得の表情をしていた。
「カイラさんも巻き添えですか、まだ数日は生きられるのですよね」
「感情的なことを抜きにして合理的に考えるとこの結論になる。ぐずぐずするな退避せよ」
沢井たちは手すりを握り勢いをつける。また次の手すりでさらに勢いをつけ、加速しながら隔壁の間を進んだ。
「3分よね」
「統括AIのことですから、時間に正確だし、冷徹に空気を抜くでしょう」
本田は7番隔壁に手が届きそうであった。
「後30秒だ」
3人のしんがりを務める沢井は腕時計を見ていた。
「あれ、変ね。もう隔壁が閉まり始めたわ」
「ん、もしかすると隔壁が完全に閉まるのが先でその後に空気を抜くのか」
「沢井支援要員、その通りだ。急げ」
「もう、あたし手が震えて力が入らない」
「何、言ってんだ」
沢井は木戸の尻を押していた。いつもならセクハラだと大騒ぎする所だが、黙っていた。木戸が閉まりかけた隔壁の間をすり抜ける。少し遅れて沢井。近くに手すりはなかった。すると本田が手を伸ばし、沢井の腕をつかんで、強く引き寄せた。沢井の足が7番隔壁の外に出るとほぼ同時に隔壁が閉じた。
立坑通路内にある排気管の中を空気が流れていく音が微かに聞こえていた。沢井達は7番隔壁の前で浮遊していた。
「危険因子の排除は完了した」
と渋い声がした。
「危険因子って、サラ達のことなの」
「木戸支援要員、君は感情が敏感のようだが、支援要員を務めるにあたり改める必要がある」
「サラ達はそれほど苦しまずに死んだでしょう」
本田は平然としていた。
「今回のことで、感情に捉われすぎる木戸、感情に捉われすぎない本田ということがわかった。それで感情のバロメーターが比較的ニュートラルなのは、沢井だ。沢井をチーフとしよう」
「え、俺ですか。でも人の感情を脳裏にイメージできるので、捉われることがありますし、何とか抑えたりしてますけど」
「しかし、君は上手くコントロール出来ている。君たちが冷徹と判断する私を補佐するのは沢井チーフ支援要員が適任である」
「沢井さん、チーフなんだから給料がアップするんじゃないの」
木戸はからかうように言う。
「いや、沢井チーフの給料はそのままだ。しかし地球に戻れたら検討することになる」
「それでサラ達の遺体はどうするのですか」
沢井は軽くため息をついてから言う。
「警備ロボットが回収するが、カイラは解剖する必要がある。サラ達はロケットエンジン噴射の際に焼却しよう」
「あのぉ、宇宙に放出する宇宙葬で良いのではないですか」
「沢井チーフ、君に気があったと思われるサラだから、それを了承しよう」
統括AIが了承したことに3人は若干驚いていた。




