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閑話 負け犬2 娼婦

 あたしは踊っていた。あたしの体の動きに合わせ、自慢の真っ赤な髪も踊る。踊るのが好きなわけではないが得意ではあった。あたしと一緒に踊ってる男の表情を見れば、それは事実なんだって確信できる。それでもあたしは聞いた。


「ねぇ、どう?」

「ああ、僕は妻よりも、君との相性がいいみたいだ。アリーナ嬢」


 男の表情と言葉に満足し、共に踊り続けた。


 あたしはベットに腰をかけ、水桶で濡らしたタオルを絞り、汗を拭いていた。先程まで一緒に踊っていた男は、テーブルに備えていた水差しからコップに水を注ぎ入れ、それを飲み干している。


 タンッ!と音を立て空のコップをテーブルに置くと、あたしの方へ振り返った。


「アリーナ嬢、僕の妾にならないか?金もあるし権力だってある。君を満足させられる別邸を準備できるが、どうだろうか?」


 男があたしを妾にしたいらしい。自分の大切なおもちゃをおもちゃ箱に仕舞うように、あたしを迎えると言っている。


 あたしは視線を落とし、首元の汗を拭く。水の張られた桶の、水面に映る自分を見つめた。


 あたしの周りはみんなこうだ。あたしを檻に閉じ込め、押しやり、束縛する。お前はこうしろ、と押し付けてくる。


 あたしはただ、遊んであげているだけなのに。おもちゃはお前らなのに。なぜかあたしをおもちゃだと周りは言ってくる。


「あたし、まだママに恩返しできてないの。少し待ってくれる?」


 ベットから立ち上がり、テーブルへ向かう。椅子に掛けてあったドレスをめくり、置いていたハンドポーチを漁った。タバコを取り出してから、体にタバコの煙を押し込んだ。本心の言葉とともに。


「金はある!僕が君の娼館に融資もしよう、だから、ンッ!」


 あたしは彼の口を塞いであげた。言葉を遮るために。タバコの味がしない彼のキスを、上書きするために。彼の喜んだ表情が、彼の顔を撫でるあたしの手越しに伝わってくる。


 彼の喜んだ表情とおんなじ顔をするんでしょうね。彼の奥さんにも、あたしのタバコ味のキスを楽しんでもらいたいわ。


 少し胸元がきつくなってきたドレスを着て、髪留めをつけ、テーブルに置かれてた料金をハンドポーチに仕舞い込んだ。あたしはおもちゃと踊っていた部屋をあとにする。部屋をでて薄暗い廊下を歩き、下階の明かりが漏れさす階段を降りる。次第に大勢の声が大きくなってくる。


「おお!アリーナか!今度は俺の相手をしてくれよ!」

「今日はもう娼館に帰るわ。今度お店に来てちょうだい」


 一階の食堂では町の男たちが夕食に訪れていた。母親譲りの赤い髪を胸元まで伸ばし、女性の魅力を引き上げる派手なドレスを着たあたしは、男たちにつくり笑顔を向けながら食堂を抜ける。そして町の宿屋を出た。

 

 外は夜になったばかりだった。本来なら娼館で働いてる時間だ。店の外で客を取ってたあたしはすでに疲れていた。なにより普段より大金を稼いだのだ。今日はもう働く気になれない。


 豪商の息子から受け取ったお金を頭の中で数え、あたしは町の商業区画へ向け歩き出した。


「おじさん、甘い果物はある?子供たちにおみやげを持っていきたいの。これで見繕って」

「またかい?こないだも買っていってたろ」

「何度持っていってもいいでしょ?」


 子供は純粋で好きだ。あたしに向ける顔と、周りに向ける顔を使い分けない。だから子供は信用できる。


 あたしに会うとき、奥さんに会うとき、浅ましくも顔を付け替るおもちゃとは大違いだ。あたし以外の人間はみんなどこか壊れてるんだ。正常なあたしは周り全員が異常者にみえる。


 果物の詰まった袋を両手でお腹に抱え込み、あたしは娼館への帰路につく。ママに小言を言われないよう店の裏へ回り、裏門を従業員に開けてもらう。娼館の窓から見えない位置を歩き、従業員用のキッチンの扉を足でノックした。


ガチャ!


「あ!アリーナだ!おかえり!」

「おかえりアリーナおねいちゃん!」

「ただいまみんな!おみやげに果物をもってきたわ!」


 娼館の小間使いをしている女の子たちに迎えられ、あたしは自然と笑顔になる。女の子たちは仕事の手を止め、袋から果物を取り出す。それぞれが頬に手を当てながら、大いにはしゃぎ、食べていた。


「みんなちゃんと食べるのよ?お仕事もいいけど、お勉強もがんばってね!」

「…わたし、文字のべんきょうきらい。アリーナおねいちゃんみたいになりたいから。わたしべんきょうよりお仕事がんばる」


 あたしは娼館で客を取るようになってまだ半年だ。それなのに今は店の人気娼婦になっている。子供たちは娼館の掃除、娼婦の身の回りのお世話をしている。客は取っていない。そんな小間使いの子供たちは、あたしを尊敬しているのだ。


 嬉しいのだが同時に心配でもある。子供たちは純粋だ。そんな子たちが将来相手をするのは、浅ましい大人。顔を使い分け、化けの皮を被り、周りを騙す。そんな相手を前にさせるのは心配で仕方ない。


「いいみんな?よく聞いて?人はね、嘘をつくの。そして、他人を自分の檻にとじこめようとするのよ?この通りにしろ、あなたはあれをしろ、この道をすすめ、って押し付けてくるの。」

「なんで?なんでウソをついて、おしつけるの?」

「わからないわ!あたしはそんな考え方をしないからね。みんなも分からないでしょ?だからね、みんなはここを出ていくためにお勉強をして?そうしたら何にでもなれるのよ!食堂のウェイトレス、みんなが好きな果物屋さん、冒険者になって旅をすることもできるわ!」


 娼婦が悪いわけじゃない。他人に決めつけられ、押し付けられることがよくないのだ。


 正常なあたしには、周りの異常者たちの思考が分からなかった。ただ、化けの皮を厚く着込んでることだけが分かる。閉じ込められる苦しさだけが分かる。


 ここ半年間、より強く感じる耐え難いこの息苦しさを、子供たちには味わって欲しくない。


 村の貧乏農家で三女として産まれたあたしは、母親にいつも押し付けたられた。薄汚れ、真っ赤だったであろう髪を赤茶色にした母親は、いつも指示してきた。お前は掃除をしろ、水を汲んでこい、将来は村の男と結婚して家を手伝え。


 六歳頃から言われ続けた言葉だ。自分の好きなことをできた試しがない。要領がよく、母親と上手く付き合っていた姉たち。あたしに仕事を押し付け、遊びに消えていく姉たちの姿を、いつもあたしは眺めていた。土に汚れ、薄皮が剥ける自分の手を見てあたしは悟った。汚いのは自分じゃない、周りの人間だと。


 それでも家の手伝いをしていたあたしは、次の指示を押し付けられた。口減しとして売る。町の娼館で小間使いになれと。


 貧乏農家に待望の男児が産まれたのだ。八歳になっても要領が悪いあたしは、すぐに家を追い出された。狭い家に閉じ込められていたあたしは、別の場所に閉じ込められた。


 娼館ではたくさんの大人を知った。権力があると言う男。力を見せつける男。妻と不仲で傷心だと泣く男。ロマンチストな男。貴方だけとささやく娼館の女。たくさんの大人を知った。


 町でもたくさんの大人を知った。権力があるのにボロの姿になった男。力があるのに死んだ男の話し。家族と笑い合い歩く、昨日は傷心してたはずの男。何人もの女を連れて歩くロマンチストな男。見覚えのない男と歩く娼館の女。たくさんだ。

 

 自分以外の周り、全員が汚れて見えた。


 娼館ではママに指示をされた。ここに住め、文字を覚えろ、勉強しろ、あれを覚えろ、これをしろ。村の小さな檻から新しい檻に移し替えられただけで、あたしは何一つ変わってない。縛られたままだった。


 この息苦しさを知ってほしくない。あたしは子供たちに言い聞かせ、両手を広げながら床に両膝をついた。将来相手をするだろう、周りの大人から守るように子供たちを抱きしめる。


 抱きしめているとキッチンの外、石畳の廊下を歩くヒールの音が聞こえた。暗い思考の海にいたあたしは気付くのが遅かったようだ。かなり近くに聞こえた足音の主は、すでに廊下からキッチンのあたしを見ている。


 深海のような暗い青髪。煌びやかなドレスに、上質そうな魔物の毛皮のコートを羽織っている。年相応のシワを顔に刻んでいるが、整った顔をしている女性が立っていた。ママだ。


「…アリーナ、あんたまた店の外で客を取ったのかい?」

「お店にお金は入れてるじゃない」


 じっと見つめられたあたしはいつもの小言にいつもの返事をする。何度も繰り返されたやり取りだ。


「問題はそこじゃないよ。金は好きにしな。それよりも、医者が来てるから見てもらいな」

「こないだ健康診断受けたばっかりじゃない!それにちゃんと気を付けてるから大丈夫よ!後ろでやってるもの」

「…だから、問題はそこじゃないって言ってるだろ。見てもらうのは、なにも体だけじゃないんだよ」

「ママ、最近そればっかりね。体以外なにを見るのよ?あたし、子供たちと果物食べてあとは休憩するから無理よ」

「…無理にとは言ってないだろ、好きにしな。だけど、食べ終わったら子供たちにちゃんと仕事させな。文字の勉強もだ。見てやんな」


 ママはいつもの小言と、あたしがここにきた八歳のときから口うるさく言っていた勉強を、あたしと子供たちに押し付け帰っていく。大人はいつもこうだ。あたしは、子供たちに幸せになって欲しい。あたしは押し付けない。幸せになって欲しいとだけ考えてる。


 子供たちと一緒に食器を洗い、掃除を済ませた。キッチンのテーブルに勉強道具を広げ、文字の勉強をみてあげながら今日の出来事を話し合う。そういえばさっき、帰ってきたときに子供たちが言ってたな。あたしみたいになりたいって。尊敬されてるのはなんとも嬉しいがどこなのか気になる。


「ねぇみんな、あたしみたいになりたいって言ってたけどどこがいいの?」

「おっぱい!!」


 人よりも大きい自分の胸を見下ろし、子供たちに笑顔を向ける。文字の勉強範囲を増やし、あたしは自室に戻った。


「あら、シス!今日はお休みだったの?休みなのに部屋の掃除なんて珍しいわね」


 普段は二人部屋の掃除なんて全くしない同居人の姿がそこにはあった。この二人部屋の掃除は半年ほどあたし一人がやっているのだから、驚いて部屋の入り口で立ち止まってしまった。


「アリーナねえさん、まだ仕事の時間じゃないの?どうしたの?」

「今日の分は稼いだから早上がりよ。さっきまで子供たちの勉強を見てたけど、もう休むことにしたの。シスこそなんで掃除なんてしてるのよ?」

「…たまには、ね」


 歯切れの悪い返事をする妹分のシスに、あたしは首を傾げた。手入れのされた長いブロンドの髪で、顔にカーテンを降ろし、表情は見えない。


 荷物を部屋の隅に寄せ、床の雑巾掛けを続けるシス。最近なにか思うところがあるのだろうか、要領を得ない返事が増えている気がした。


 掃除され、やけに小ざっぱりした部屋に入り、あたしは自分のベットに倒れ込んだ。


 あたしと同じような境遇でこの娼館にきたシスと、二人でずっと一緒に過ごした部屋の天井。今日の疲れが一気に襲ってくる。このまま眠ってしまおうかと思った。


「…ねぇ、アリーナ姉さん。私、話があるの」


 ベットから上体だけを起こし、あたしはシスを見る。未だに顔にカーテンを降ろし、表情は見えない。なにかを決心したのだろうか?シスの手に握られた雑巾は小さく震えてる。


「改めてなによ?最近なにかずっと言おうとしてること?」


 あたしの問いかけに一瞬肩を震わせ、シスは首を横に振った。


「うんん、そんなこと何もないよ。ただ、いま町に劇団が来てるでしょ?チケットを買ったから明日一緒に観にいかない?」

「あたしが観に行きたいって言ってたの覚えてたの!?嬉しいわシス!ありがとう!一緒にいきましょ!」


 あたしとシスは十年以上も一緒に過ごした。あたしと似た境遇で育ったシスは、いつも一番の理解者だった。子供たちとは別、唯一無二の親友で、家族で、理解者がシスだ。


 シスと観劇の予定を立ててる途中、あたしは疲れからくる眠気に抗えず、髪留めも付けたまま眠りについた。



 翌朝、あたしはシスとの共同部屋を一足先にでる。


「シス、あたし子供たちの様子見てから玄関に向かうから、先に出るわね」


 朝から掃除をする小間使いの女の子たち。廊下の窓を拭いている女の子に、自分とシス、二人で観劇に行くことを言付けた。


「…二人でいくの?」

「こーら!アリーナおねいちゃんはお出かけなんだから邪魔しないの!…いってらっしゃいアリーナおねいちゃん!」


 小首を傾げ、上手く伝わってなさそうな幼い小間使いの女の子を、年長の女の子が執りなしてくれる。


 観劇の話を聞きつけ、別の窓を吹いていた小間使いの女の子も、あたしの元へと駆け寄ってきた。


「げきみにいくの?いいなー」

「おみやげを買ってくるわ!いい子にして待ってるのよ?」

「…わかった。アリーナおねいちゃが昨日いってたこと、あんまし分かんなかったけど、文字のべんきょうもちゃんとやるね」

「ええ。必ず、あなたの役に立つわ。無理をしないでがんばるのよ。じゃ、いってくるわね!」


 娼館を留守にする旨と、体調を崩してる子がいないことの確認を済ませ、玄関に向かった。


 玄関ホールにはシス以外にもう一人、同僚の娼婦の姿があった。同僚があたしへと振り返る。


「あら、アリーナ。ご機嫌ね。どこかへお出かけ?」

「そうよ!シスと二人で観劇に行くの!」

「…そう。気分転換にちょうど良いわね。楽しんでらっしゃい」


 同僚へと手を振り、あたしはシスとお揃いのハンドポーチを手に、娼館をでる。


「シス!今日の演目はなにかしら?分かる?」

「姉さんが好きな恋愛物の新作だったはずよ。楽しみましょう」


 あたしが以前見た新作か。不倫泥沼三角関係で男の悪行がばれ、破滅していく話だったはずだ。あそこからどう新作を作り上げたのだろう?


 観劇に向かう間、シスとは他愛もない話をした。最近のことよりも、もっと昔。初めて会ったころ、喧嘩した話、仲直りした話、二人での思い出を振り返るよに、尽きることのない思い出話を。


 会場に着きチケットを係に渡す。案内されたのは普段よりもいい席だった。


「シス?なんか、いつもよりかなり前の席じゃない?あたし誕生日でもなんでもないんだけど?」

「…日頃の感謝よ、部屋の掃除もそう。ほら、もう開幕するわ!」


 シスに急かされるようにステージへ視線を移す。いつもよりいい席で観る劇はとても素晴らしかった。新しい、あたしとシス二人での、思い出。


 観劇から娼館への帰り道、あたしはずっと考えていた。劇は素晴らしい、それは間違いない。シナリオが最悪だったのだ。不倫泥沼三角関係の男がハッピーエンドになる。それが理解できなかったのだ。


 あたしが妻の立場だったら?愛人の立場だったら?子供含め家族に影を落とした男にどんな思いを抱くか、そればかりが頭を支配する。


 無理矢理ハッピーエンドに作り変えたのだろうか?上演時間が短くなるくらいなら新作を作る必要もなかったでしょうに。


「姉さん、私…」

「やっぱりおかしいわよ!人を欺いてハッピーエンドなんて!そもそも、誰かと結婚してハッピーエンドってどうなの?まっったく共感できないわ!」

「…そうよね。私も結婚でハッピーエンドとは思えないわ。結婚後の苦悩なんて、容易に想像できるもの」

「…ねえ?シス、何か言おうとしてなかった」


 シスとあたしの言葉が被ってしまった。最近なにかと伝えようとしてきた言葉を遮ってしまったのだ。そう思ってあたしは歩みを止め、シスを見つめる。


 思いのほか、あたしの真剣な顔に驚き、シスはまた顔にブロンズ髪のカーテンを降ろす。明るい妹分には似つかわしくない、シスのここ最近の癖だ。


 劇の幕のように、時間がくれば上がると思ったシスのカーテンは上がることがなかった。見えない表情。聞き出せない思い。


 二人とも無言のまま歩く帰路にあたしは耐え切ることができなかった。子供たちへのおみやげを買いにいくからと別れ、一人商業区画へと向かった。


「そこのレディ、宜しければ貴方の素敵な名前を教えてくれないかい?」


 商業区画へと向かう途中、背後から声をかけられた。休日だとしても、協調された胸元に派手なドレス。声を掛けてくる男は耐えない。俯き歩いていたあたしは顔を上げ振り返った。


 声をかけてきた男が馬車から降りてくる。身分の良さそうな服装。指先や首元で光り、裕福さを主張する貴金属。奥さまに向けるのとは、別に用意されてるであろう表情。


「…アリーナ」

「レディアリーナ!美しい名前だ!僕にぜひ、貴方と昼食を共にする機会を与えてくれないだろうか?」


 あたしは否定するでもなく、肯定することもなく、ただ笑顔を向ける。正直どちらでも良かったからだ。今のあたしの頭の中はシスのことで埋め尽くされていた。


 男に手を引かれるまま、あたしは馬車に乗り込んだ。馬車の移動中、男はずっと話をしていた。興味のない観劇へ、奥さんに誘われたが断ったこと。奥さんは午後の部から観劇するから時間があること。自分がどれほど凄い貴族なのか、事業でどれだけ稼いでるか、


 そうね、きっと貴方は完璧な人なんでしょう。けどね、そんな話してないの。あたしはね、劇の話をしたいの。結婚について話をしたいの。シスと、そんな話をして帰りたかったの。うるさいから黙ってよ。


「…ねえ。奥様は劇を観に行って時間があるんでしょう?昼食もいいけどあたし踊りたい気分だわ。貴方のお屋敷に連れていってくれない?」


 なんの迷いもなく男はあたしをお屋敷に連れていってくれた。玄関で、食堂で、書斎で、夫婦の寝室であたしは男と踊った。


 自分の事しか考えれないおもちゃは遊んでいて楽しいわ。けどね、あたしがおもちゃと遊ぶのは踊りが好きだからでも、お金が欲しいからでもないの。おもちゃがどんなことをしてるか、周りに教えてあげるのが好きなの。


 ほら、寝室の窓から見えてきたわ。無理矢理ハッピーエンドにされ、普通の劇よりも上演時間の短い観劇から帰ってくる奥様の馬車が。自分の奥さんにも、劇にも興味のないこのおもちゃは知らないでしょうね。自分しか見てないんだもの。あたしの下で踊ってる顔を見れば分かるもの。


 ギシギシギシ!


 カッカッカッ!


 軋む音だけが響く寝室にヒールの足音が近づき、勢いよく扉が開かれた。


 あたしは男を押し退けベットから降りる。部屋の扉前では男と女が口論を始めてしまったが、あたしは気にも止めずにドレスを着て、髪留めをつけ、テーブルの上に置かれていたお金をハンドポーチに詰め込む。


 口論する夫婦の肩を押し退け廊下へ出る。部屋の扉を閉め、おもちゃが壊される音を背に廊下を歩いた。


 嘘をつき人を欺く、人を決めつけ押し付ける。そんな異常者たちがあたしは心底嫌いだ。


 時刻は夕暮れ、果物の詰まった袋を両手でお腹に抱え込み、あたしは娼館への帰路につく。ママに小言を言われないよう店の裏へ回り、裏門を従業員に開けてもらう。娼館の窓から見えない位置を歩き、従業員用のキッチンの扉を足でノックした。


「おかえり!アリーナおねいちゃん!」

「ええ、ただいま!今日もおみやげがあるわよ!仕事を終えてからみんなで食べましょう。そのあと文字のお勉強もね」

「…べんきょうはきらい。けどわたし考えたの、それでね、文字をよめた方がなんでもできそうだからがんばるわ!」


 子供たちの仕事を手伝い、一緒に果物に舌鼓を打ち、文字を教える。二人部屋に戻るとシスはまだ仕事中らしい。やけに小ざっぱりした、一人で使うには広い部屋で、あたしは眠りについた。



 いつもより少し早い朝方、小間使いの女の子に起こされた。水桶を持って来たついでに伝言を伝えてくれる。ママがあたしを呼んでいるらしい。


 足が重い。まだ寝ぼけているのもあるだろう。それに小言を言われる、そう考えると行きたくない。


 ベットから起き上がり、鏡の前に座る。手櫛で髪を整え、水桶でタオルを濡らし顔を拭いた。眠っているはずなのに目のくまが取れていない。最近の疲れが溜まってるようだ。くまを隠すようにメイクをしていると部屋の扉をノックする音がした。


ガチャ


「…ママ、あたしまだ支度途中だし、シスはまだ寝てるんだけど?もう少ししたら行くから待っててよ。それに今日はお店で客を取るから小言はやめて」

「…アリーナ。ここを出て行く支度をしな」


 いつもの小言を言われると思っていたあたしはメイクブラシを落とした。予想外のこと、突然すぎたこと、なぜそうなったのか分からず、思考が止まってしまい固まる。


 ママはゆっくりと部屋の扉を閉め、あたしの横に椅子を運んで座る。ベットの方へと視線を向けたあと、あたしの顔を見て強く目を閉じた。ママの手があたしの手に重なり、ゆっくりと握られる。


「こないだ、豪商の息子を客に取っただろう。それと、昨日は貴族の客を。二組の奥様が朝早くに店にきてね」

「…それがなによ?こっちは金を払われればお客として対応するだけじゃない。なにがいけないの?」


 娼館とは、娼婦とはそういうものだ。金を貰いサービスを提供するだけ。なにがいけなかったのか全く分からなかった。


「あたしもそう言い返したさ。今回だけじゃない。ここ半年ずっと、何人もの奥様方にね。娼館の主人として、あんたのママとして、あたしはアリーナを守り続けたさ。けれども、もうアリーナは限界だろう?」

「…なにがよ!?あたしのなにが限界だって言うの!娼婦としての人気も、体も!まだ平気じゃない!」


 なぜ?平気だと主張してるのになぜママは涙を流しだしたの?本当に分からない。ママの顔を覗き込み、手を強く握り返してあげた。大丈夫だと伝えたかった。それなのにママの涙は勢いを増した。


「アリーナ。ここにあなたがきたとき、あたしは仕事を教えた。掃除に料理、礼儀に文字も、護身術だって。口減しで売られたあんたが、好きなものに、なんにでもなれるようにね。けれどアリーナは自分の殻に閉じ籠ったままだったろう。村で親の言う通りに過ごし、ここでもそうして過ごし、娼婦になった」

「え?」


 あたしは自分の殻になんて閉じ籠ってない。あたしは自分の好きなものになれる道なんてなかった。あたしを閉じ込めてたのは周りでしょ?


「シスが町の男と結婚して出ていった半年前から、アリーナ、あんたは限界を超えちまったんだよ。何度も言っただろう。医者が見るのは体だけじゃない。心も見るんだ。このままじゃ、アリーナ、あんたは本当に壊れちまう」


 やけに小ざっぱりした、一人で使うには広い部屋を見渡す。半年間あたしだけが使い、あたしだけが掃除をしていた部屋。


 半年前、シスはあたしになにかを報告しようとしてた。けどあたしはちゃんと聞いてあげることができず、シスが娼館を出ていったあとに結婚のことを知った。薄々気づいてはいたんだ。シスがあたしの一番の理解者であるように、あたしはシスの一番の理解者だったから。だから聞かないようにしていたのかもしれない。


 向き合うことができてなかった過去を思い出し、うまく息ができない。溺れるような苦しみがあたしを襲う。


「…アリーナ。周りを決めつけ、自分で考えることをやめてはいけないよ。あんたなら何にでもなれる。あたしの大切な娘。アリーナ。ここを出て、好きに暮らし、幸せになってもいいんだよ」



 乗合馬車に揺られながらあたしは思い出そうとしていた。ママとの話のあと、どうやって娼館を出て、どうやって乗合馬車に乗り、どこへ向かっているのか。誕生日にママに貰った髪留めを撫で、思い出そうとするが分からない。


 仕事を押し付けられ、生き方を決められ、自分の意思ではなにも決めれないと考えていた。自分が正常で、自分の周りが異常だと考えていた。周りを欺き、頭を取り替えるおもちゃだと考えていた。


 そう決めつけて、考えるのをやめていたのかしら?分からないわ。


 母親も、姉たちも、ママも、シスも、子供たちだって、自分で考えて生きてただけなの?町の大人たちもそうなの?


 あたしだけがあきらめて、自ら檻に入り、内側から鍵をかけていたの?


 小間使いの女の子たちだって自分で考えれてた。嫌いな勉強の意味を。八歳のころのあたしは考えれてたかしら?


 周りを嘘をつく汚いおもちゃと思ってたけど、あたしもおもちゃだったのね。周りよりもひどい、壊れたおもちゃ。それだけは今分かったわ。


 けれどそれ以外が分からない。周りを決めつけていたのか。あきらめて閉じこもっていたのか。考えても分からないから、あたしは考えるのをやめた。


 いっそのことあたしの頭も取り替えようかしら。乗合馬車の向かいに座る人に頼んでみようかな。ガタイがよくて、平均よりも大きい身長。あたしくらいの大きさの大剣を持ってるしちょうど良さそうだわ。


 撫でていた髪留めから手を離し、シスとお揃いのハンドポーチへと仕舞い込む。手櫛で髪を整え、胸元を少し開けた。


 向かいに座るガタイのいい男と視線が合い、あたしは席を立つ。

キャラクタープロローグの欠損でキリが悪いのと、五万字投稿ミッションの為、欠損してたキャラプロ二つだけあげようとかと思います。

本編が再開次第、お付き合い頂けると幸いです

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