案件31「最良に不幸な日」
突然の三人称視点。
「酒が切れたぞ!」
「おい、早くしろ! この役立たず!」
「肉もだ!」
罵声が青年へと投げかけられる。
「は、はいぃっ……!」
アッシュブロンドが揺れて、平たくなった色白の耳が覗く。
ブルーアイに涙が浮かぶも、拭う暇すらなく一階へ注文するために走った。
後ろで構えられた酒瓶を背中に投げつけられない内に。
「おか、ぁ?」
注文を叫ぼうとした瞬間、天井がギシッと歪む。
青年は切れ長の目蓋を大きく見開いて、頭上を見上げるだけである。
思考する時間をほとんど置かず、天井が大口を開けて人影を飲み込んでくる。
落下してくる小柄な人物を咄嗟に受けてしまう。面倒事に巻き込まれるのは間違いないというのに。
「ぅんっ! うん……?」
「……」
見覚えのある少女が身を縮こまらせて、青年の腕に収まっていた。
黒髪のセミロングはサラサラと指先から逃げていく。
鮮やかなマリンブルーの瞳が陽光を反射して、漸く青年は息を飲んだ。
「女将さん、空から女の子が……!」
言ってみたが、間髪いれず返された。
「あぁん? 飯でも食わせておきな!」
仲間だった者達も、ただの客達も、どう反応して良いのかわからない様子だ。
「どうして、あ」「ごちそうになる前に、壁際へ寄って!」
代わりに青年が問いかけようとするも、少女こと没落勇者がそれを遮った。
理由は聞かずとも、天井の穴に怪しい人影が姿を現したことで咄嗟に身体が反応する。
「投げ上げて! しゃがむ!」
立て続けに指示が飛んできて、壁を蹴る没落勇者を投げ上げる。すかさず反作用でしゃがみこんだ。
「!?」
頭上を“短剣Ⅱ”が通り過ぎていった。
直ぐに、謎の仮面人間が悲鳴を上げたのが聞こえる。
「ぐ、がっ!」
また腕にかかってくる塊を押し退ければ、そこそこ綺麗な顔が仮面の破片から出てくる。
「貴女、水のダンジョンで見た……」
元勇者の言葉はさておき、青年も疑問を解決すべく話しかける。
「気絶してるよ。いったい、君は何を……?」
「うぁー……。えーと、ちょっと下手な相手に恨まれたみたい?」
「みたい、って……。ダンジョンマスターに肩入れしているぐらいだから、当たり前か……」
元勇者は苦笑いを浮かべながら答えた。
事情は詳しくわからないものの、仮面の美女が没落勇者の命を狙っていたのは確かだ。しかも、周囲の被害などお構いないしに。
そして、それを助けてしまった青年自身もあまり良い立場とは言えない。
「おい、ファラエ! 没落勇者と何話してやがるっ」
「まさかこんなところで再会するとはなぁ」
「この小娘に、何度、辛酸を嘗めさせられたか……」
仲間だった奴らが、席を立って近づいてくる。
直接痛めつけられたのは、土の“マテリアル”ダンジョンだけのはずだ。元勇者が悪いとも言えない。
「だぁれが鬼畜生小児性愛没落勇者よ!」
「そこまで言ってないよ! というか、前より酷くなってるじゃないか!?」
どうやら、元勇者の気質はトラブルを呼び込むものらしい。
ファラエと呼ばれた青年はため息を吐いた。もはや、言い逃れなど無理だ。
使いっ走りの荷物持ちよりも立場が悪くなることがあるかはわからない。
「毎度ふざけやがって! やっちまえ!」
『おうっ!』
軽戦士風の男の言葉に合わせて、残る二人も武器を引き抜く。
「ふむ。これは、もうどうしようもないわね」
説得などは諦めたらしく、さっさと振り返った。ファラエの手を取って、だ。
立ち止まることもできただろうが、ファラエの顔の紅潮がそれを許さなかった。
決して強い力で引っ張られているわけでもないが、逆らえない勢いがあるようだ。
「お、おい、どこへ行くつもり?」
「さぁ、この町の中ならどこへでも。できれば、観光がしたいわね」
この状況でふざけているのだろうか、とファラエは渋い顔を作る。
しかし、元勇者独りでファラエ達が倒されたのは事実である。油断さえしなければ負けない自信があるのだろう。
手すりから一階へ飛び降り、店を出ていくところで女将とすれ違う。
女将が親指を弾くように立ててしてみせた。ファラエは一瞬の間にうなずいた。
こっちは任せな、そちらは頑張れ、そういう合図だ。
「わかった。まず……そうだな、上層民の地区へ向かうよ」
逃げるならば、下層民用の地域よりも山を上った方が良いだろうと判断する。
「貴方、上層に入れるの?」
「僕はここの出身だから。それより、その体勢で引っ張られると……」
「あぁ、ごめんなさい。見ての通り、魔王の魔法を受けてしまってね。腕が上げられないのよ」
「ふぅ……えっと、魔王の? 僕が想像している魔王とは違って、変態チックだね」
とても前のめりに引っ張られていたので、少女のボロボロになった服が――腰が目の前にあったのだ。
呼吸を整え、二人は上層民の区画に入るための関所へと向かう。
元勇者になった理由を聞き、ファラエは自信の言葉を伝えた。
魔王とはもっと極悪非道であるべきだ、と。あらゆる人類の敵であるべきだ、と。
「それではまるで、魔王が人類を助けようとしているようにさえ思える」
「……」
その意見を聞いて、少女がらしからぬ素っ頓狂な表情を浮かべて見せた。
「ど、どうかした……?」
「い、いえ、その発想はなかったなって。まぁ、良いわ。急ぎましょう」
「? あっ……」
ファラエは首をかしげたが、元勇者が先へ走って行ってしまったので考えるのを止めた。
もう十数分も走れば関所に着く。




