案件16「賢者がやってくる3」
エントラが俺のところへやってきてから一日が経過した。
研究は、これまでの停滞が嘘のように進んだのである。塞き止めてものが一気に流れた気分だ。
「これさえなければ、本当に天才なんだけどなぁ……」
一人、酷く小声でぼやく。
「何か言いましたか?」
俺の腰にダッコちゃんして離れないエントラが、上目遣いに問いかけてくる。
無理に引き離すこともできないので、ある意味で爆弾を抱えているようなものだ。手洗いまでついてこようとした時は、さすがに戦慄した……。
「いえ、貴方はやっぱり天才ね、って言っただけよ」
「ふふんっ。当然ですよ。賢者ですから」
うわぁ……文句なしのドヤ顔ですよ。
そう言うところも、子供っぽくて嫌いにはなれないんだよな。
自然と甘いマスクを使えるところとか、天然培養の邪気ですよ、この子。
「ところで勇者様。これは……」
エントラが指したのは、隣のベッドで軽い痙攣を起こしているアサガオだった。
シワになってもいけないので、メイド服は脱がせてある。そのため、着用しているのはドロワーズとスポーツブラみたいな肌着だ。
この空調ガンガンに効いたオフィスみたいな部屋にいても、汗を垂らしているのはちゃんと理由がある。
「悪魔退治の研究よ」
先日のお仕置きと称して、アサガオに猥褻行為を働いたわけではない。
「まさか、悪魔の正体がわかったのですか!?」
エントラが驚くのも無理はない。鼻息を荒くされると、ちょっとマセた子供に見える。
「言ってしまえば、悪魔ではなくて地中に潜む病原体が正体なのよ」
「悪魔、ではない……? それでは、教会の教えが間違っているというのですか?」
「詳しく説明するには前提の知識が欠如し過ぎているから省くわ」
エントラならば理解できない話ではないにしても、教会という神の教えが邪魔をしてしまうだろう。
「破傷風菌って言うのが地中にはたくさんいて、傷口なんかから感染するのよ」
そう、世の病症の中で悪魔憑きと言われてきた病気の一つ、破傷風の治療方法を考えていたのだ。
エントラも、これには興味深そうに食いついてくる。
本当なら、アサガオを助けた時点で行動を起こしたかったのだが……まだ『毒使い』としての技術が足りていなかった。
「ハショーフー……? それで、悪魔憑きになるのは、盗賊姐さんのように筋肉の痙攣によるものだと?」
頭の中で噛み砕いて、次の段階へ再構築してくれるエントラは賢いね。
「理解が早くて助かるわ。他にも、狂犬病なんかで似たような症状がでるわね。魔獣憑きって貴方達が犬のこと」
「なるほど。勇者様はその事実を公表なさるのですか?」
エントラの訪いに、俺は押し黙ってしまう。
公表することは簡単だ。
しかし、先ほども言った教会の教えというのは、この世界の人々に強く根付き過ぎていた。
「教会の中から塗り替えて行かないと、広めるにしても無理でしょうね。悪魔退治の治療・予防薬なんて、黙殺されるのがオチよ」
一部の人間だけに配って歩くのが関の山だ。
だから、俺は言う。
「長い魔王退治の道中、悪魔退治の寄り道だって悪くないでしょ? 勇者なんて肩書がなくても、人を救えるって証明してあげるわ」
エントラの呆けた顔よ。ギャグで滑った感じがして恥ずかしいだろ。
「勇者、様……」
いきなり、花開くみたいな尊敬の眼差しにもならないで!
要するに、俺は抗生物質とワクチンを売り歩こうってわけ。
えっ? ボランティアじゃないのかって?
馬鹿いっちゃいけない。お金は大事だし、俺には慈善事業をする余裕もない。
とは言え、罪なき人々を見殺しにする鬼でもない。
「さぁ、神輿に祭り上げて薬を売りながら、土の“マテリアル”ダンジョンまで戻るわよ!」
研究の成果も出て、薬の生成方法も身につけた。
これでダンジョンマスターへの嫁入り準備が出来たというわけだ。
「別人の名前で売るのですか? 勇者様の名前で、無償で配ってこそ、意味があるのではないですか?」
「それなんだけどね、タダってある意味で信用がないのよ。それに、大金をふんだくろうってわけじゃないわ」
タダより怖いものはない。というのは、この世界でも通じる格言だ。
俺も同僚に、タダで仕事を手伝ってもらったことなんてことは一切なかった。大概、手伝ってもらうより大きな代償を払うことになる。
「3ゴールドくらいで良いわね。どうしても払えないなら1ゴールドでも、無料にだってするけど、代わりにしっかりと教会に感謝させるわ」
「あぁ、そういうことですか。教会が考えを曲げないのなら、悪魔祓いの聖水として勝手に売り出せば良いのですね」
ついでに恩も売れますね、とエントラが小さな口を精いっぱいに引き延ばす。
やっぱりお前は無邪気な悪魔だよ。
「……」
「むっ?」
不意に、背後から瘴気を感じて振り向く。
そこには、羊皮紙と羽根ペンを構えて絵を描くアサガオの姿があった。
どうせまた、俺とエントラの美化された漫画を描いているに違いない。
「懲りないわね、貴女も……。あ、賢者は見ちゃ駄目よ」
「?」
この世界でも男色の考えはある。
エントラがそちらの方へ傾く可能性は非常に、稀といえる可能性だ。それでも、変な扉を開いてはいけないので阻止する。
保護者の――そう、保護者の役目である。




