案件10「ダンジョンと栄華と陰1」
足音がする。
灰白色の石造りの床を、フニフニと巡回魔族が踏みしめる。
物陰に身を潜め、魔族が近づいてくるのを待った。
階層39に到達して、最初に出た場所は小部屋だった。一本しかない通路を魔族が向かってくるのが見えたのだ。
「……」
呼吸が止まったかのように、白い息すらも漏れない。
俺は“風呼びのポンチョ”を着ているので、纏う空気のおかげでさほど寒さは感じない。
ユウガオとアサガオの二人は寒くないのだろうか? 丈長で厚い生地にこそなったものの、相変わらずの黒装束だ。
「っ!?」
そうこう考えているうちに、魔族が俺の仕掛けた『トキシック・トラップ』に引っかかる。
生物性の毒を見えないように浮かべて触れた相手へ埋め込むことのできる、毒使いとしての能力である。
ありがとう、君達の犠牲は無駄にしない……。
南国のジャングルから連れてきたフキヤドクガエル達に、心の中で感謝を述べる。
フキヤドクガエル種の持つ毒はバトラコトキシンと言う。心臓の動きを止める神経毒で、蛙の名の通り吹き矢に塗って狩猟するために使われる。
人間の致死量は皮下注入で2~7マイクロミリグラムという相当の猛毒だが、即死には至らない。持って後十数秒だろうが。
「介錯ごめん」
膝をついた魔族の背後から姿を表したユウガオが、“短刀Ⅲ”を首であろう部分に当てがってスライドさせる。
頭でっかちな部分が胴体と別れた。
さすがは最上級の武器だ。並の武器では刃が断たないような、10レベルの魔族さえ容易く切り裂ける。
「増援は来ないわね?」
「大丈夫そうでござるな。勇者殿が本調子でないので、どこまで行けるか不安でござったが」
仲間を呼んでいないかを確かめた後、ユウガオと共に一本道の先を見据える。
魔王やダンジョンマスターを除く魔族が言語を喋るかどうかは知らないが、意思疎通は可能なように見える。
だからこうして、感知不可能な伝達方法での通信を警戒しなければならない。フェロモン的ものなら俺が感知できるため、たぶん可聴域を超える鳴き声だろう。
「まぁ、基本的に仲間を呼ばれる前に各個撃破するか、後を取れれば勝算は高くなるわ」
本来、ダンジョン攻略とは今のように地味なものだ。
魔族に見つからないよう進んで、必要最低限の探索者からアイテムを奪い、可能な限りの財貨と秘宝を拾って進む。
ブロスのダンジョンが例外なのである。今後は、土の“マテリアル”ダンジョンもそう推移して行くだろう。
「では、行くとするでござる」
「下手に団子で来ないでくれると嬉しいんだけどね」
人が二人ぐらい並べる程度の通路だ。
気を引き締め直して俺達は進もうとする。後ろをついてきていたアサガオの声。
「あっ、こいつ『ターン・ホーム』の“スクロール”を持っていたッスね」
ダンジョンから脱出するための魔法のことだな。
良くぞ気づいた。褒めて使わすぞ。
「拾っといてちょうだい。ヘルとは戦わないつもりだけれど、予定外はあり得るからね」
『ターン・ホーム』は、直近で3時間以上とどまった地点へと飛べる。屋外限定なので、ダンジョン内で休息しても安心して欲しい。
さておき、簡単に説明すると、ダンジョンから出る方法は三つである。
「このダンジョンなら歩いて帰っても、他の探索者には遭遇しないッスよ……。荷物が重いッスから、厳選して欲しいッス」
「ヘルを倒さない計画だから、あまり不確定要素はいれたくないのよ」
『ターン・ホーム』を使用するか、歩いて入口のあるフロアへ戻る。それらか、ダンジョンマスターを倒すか。
ダンジョンマスターと殺り合うのはリスキーだ。
あまり深く潜っていないのなら、歩いて出ても探索者と遭遇はしないだろう。探索者を倒せば、それだけリスクが増えるのはご存じのはず。
「だから、アイテムを一度私の家に持って行ってと頼んだんじゃない」
「そりゃサウ、スパ……? まぁ、そこからガーデンロードまで一日くらいッスけど。どうせ追跡を撒こうって腹なんじゃないッスか?」
「サウスパラディスね。イースティコチまで行かない分は早いんだから、それほど手間じゃないでしょう? 行先だって分かってるんだから」
「どちらにせよ、勇者様から離れないッスよ! それに、やっぱり勇者様が届けた方が良いと思うんッス!」
こんなところで言い合っている暇など無いのだが。
数日前にも似たようなやりとりをして、結局は同じ結論になって俺が口を噤むのだ。
「……帰れる、わけ、ないじゃない」
「むぅッス。とりあえず、これは勇者様が、あっ?」
アサガオが“スクロール”を俺に手渡そうとしたところで、横からユウガオがそれを搔っ攫っていく。
前開きになっている黒装束の懐へと“スクロール”が消えた。縮小して収納たのだ。
こうして多くのアイテムを手に入れられるのは、“荷役のベルト”と呼ばれるアイテムやそれに類する物のおかげである。
「妹の触れたものが俺の中に……はうぁ……」
まるで熟練の変態みたいに恍惚の表情を浮かべる。
変態か。
「勇者様、『一発だけなら誤射かもしれない』は残していたッスよね?」
そんな免罪符はないぞ? 第一、アサガオの腕で“蒸気銃Ⅱ”を誤射するなんてあり得るわけがない。
「気持ちは分かるけれど、一階層まで迎えにいかないといけなくなるから却下よ」
「チッ……命拾いしたッスね……」
相変わらずの塩対応である。
無意味なことで時間を食うわけにもいかず、俺はアサガオを諫めて先へと進んだ。




