第九話 焚き火の向こうの英雄譚
「先生、神話って本当なんですか?」
放課後の図書室だった。
本を返しに来た小学生くらいの男の子が、俺へそう尋ねた。
俺は閉じかけた本をもう一度開き、微笑んだ。
「どう思う?」
「うーん……。」
少年は首を傾げる。
「ドラゴンなんて本当にいるのかなって。」
俺は窓の外を見る。
夕日が街を赤く染めていた。
「神話が全部本当だったかどうかは分からない。」
そう答えてから、本を閉じた。
「でもね。」
少年の目を見る。
「人が何を信じて、何を語り継いできたかには意味がある。」
彼は「なるほど」と笑って帰っていった。
あの時は、自分でも気づいていなかった。
いつか俺自身が、伝説の世界で生きることになるなんて。
◇◇◇
「ラーズ!」
朝から村が騒がしい。
広場には色とりどりの布が飾られ、木製の屋台が並び始めていた。
「今日は収穫祭だよ!」
ウラが両手を広げる。
「知ってる。」
「昨日から何回聞いた?」
「五回。」
「六回。」
横でアイラが小さく訂正する。
「数えてたの?」
「……うん。」
少しだけ照れたように笑う。
最近のアイラは、少しずつ表情が増えてきた。
以前なら俺の後ろへ隠れるだけだった。
今では自分から話しかけることもある。
小さな変化だけど、それが嬉しかった。
◇◇◇
村中がお祭りだった。
焼きたてのパン。
果物。
木工品。
子どもたちは輪になって遊び、大人たちは笑いながら酒を酌み交わす。
リスも今日は学院のローブではなく、村娘らしい服を着ていた。
「こっちの方が落ち着く。」
そう笑う姿は、学院で見せる姿とはまるで別人だ。
「お姉ちゃん。」
「ん?」
俺は彼女の胸元を見る。
学院のローブは着ていない。
それでも、一つだけ身につけている物があった。
銀色のブローチ。
剣。
その周囲を囲む七つの星。
「その紋章。」
「学院の?」
「違う。」
リスは優しく指先でそれを撫でた。
「これは聖騎士の紋章。」
聖騎士。
その言葉は以前にも聞いた。
でも詳しくは知らない。
「どういう意味?」
リスは少し考えた。
そして笑った。
「夜になったら教えてあげる。」
◇◇◇
祭りは夕方まで続いた。
ウラは輪投げで本気になり。
アイラは景品の木彫りの鳥を大事そうに抱えている。
俺はそんな二人を見て笑った。
前世では祭りなんて人混みが嫌で避けていた。
今は違う。
誰かと一緒だから楽しい。
それだけだった。
◇◇◇
夜。
祭りの最後。
村人全員が広場の大きな焚き火を囲んだ。
火花が夜空へ昇る。
子どもたちは自然と静かになる。
年長者が昔話を始める時間だからだ。
でも今日は。
「今日は私が話していい?」
リスが立ち上がった。
父さんが頷く。
「学院で聞いた話を。」
火が彼女の横顔を照らす。
「三千年前。」
静かな声で語り始める。
「世界は今とは全然違った。」
◇◇◇
黄昏大戦――タソガレ大戦。
その名を口にした瞬間。
焚き火の音だけが響いた。
「当時。」
「空は灰色に染まり。」
「昼と夜の境界が壊れ。」
「世界中で災厄が起きた。」
「その中心にいたのが。」
リスはゆっくり息を吸う。
「七魔王。」
七人。
世界を滅ぼしかけた存在。
でも。
誰も彼らを単なる怪物とは呼ばない。
「学院ではこう教わる。」
彼女は指を一本立てた。
「魔王は世界の罪そのものだった。」
◇◇◇
第一魔王 イグナー ―― 怒り
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焚き火が一瞬だけ大きく揺れた。
まるで名前へ反応したみたいに。
「イグナー。」
「怒りを司る魔王。」
伝承では。
彼が剣を振るたび、大地が裂けた。
怒りは人から人へ燃え移り。
友が友を殺し。
国が国を滅ぼしたという。
「だから今でも。」
リスが子どもたちを見る。
「怒りに飲まれることを。」
「イグナーに囁かれた。」
そう言う地方もある。
◇◇◇
第二魔王 ヴェルカ ―― 氷
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「ヴェルカ。」
「氷雪の魔王。」
冬そのものだった。
彼女が歩けば。
花は眠り。
川は凍り。
人々の心まで冷えたという。
「でも。」
リスは少し笑う。
「学院の先生は言ってた。」
「氷が怖いんじゃない。」
「心が凍る方が怖いって。」
その言葉は妙に印象へ残った。
◇◇◇
第三魔王 モルヴァス ―― 腐蝕
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「モルヴァス。」
森が腐る。
水が濁る。
人の心まで蝕む。
一番嫌われている魔王かもしれない。
「姿を見た人は少ない。」
「でも。」
「残った土地は。」
何百年経っても草が生えない。
そんな場所が今でもあるらしい。
◇◇◇
第四魔王 ゼフェロス ―― 嵐
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空。
雷。
暴風。
「ゼフェロス。」
彼は空を支配した。
飛竜すら落としたと言われる。
「学院では。」
「風魔法を学ぶ時。」
必ず名前を聞く。」
「どうして?」
ウラが聞く。
リスが笑う。
「風を甘く見るな。」
「そう教えるため。」
◇◇◇
第五魔王 ノクティス ―― 影
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焚き火が少し小さくなる。
「ノクティス。」
「一番謎が多い。」
誰も本当の姿を知らない。
影に溶け。
夢へ現れ。
「学院では。」
リスが少し声を潜める。
「死んだって教わる。」
少し間。
「でも。」
「本当に死んだかは。」
「誰にも分からない。」
鳥肌が立った。
◇◇◇
第六魔王 ベルゴル ―― 飢え
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ベルゴルは。
人を食べた魔王じゃない。
もっと恐ろしい。
「彼は。」
「収穫を奪った。」
畑が枯れる。
果物が実らない。
井戸が干上がる。
人々は戦う前に飢えた。
「だから。」
収穫祭では。
今でも彼を遠ざける祈りを捧げる地方がある。
なるほど。
だから今日の祭りにも意味があるんだ。
◇◇◇
そして。
リスは黙った。
六本目の枝を焚き火へ入れる。
火が揺れる。
俺は聞いた。
「七人目は?」
静かだった。
大人たちも顔を見合わせる。
リスはゆっくり答えた。
「分からない。」
「え?」
「名前だけが。」
彼女は空を見る。
「歴史から消えてる。」
「学院でも教わらない。」
「誰が消したのかも。」
「なぜ消えたのかも。」
「全部、分からない。」
七つ目の席だけが。
空白だった。
◇◇◇
「じゃあ。」
アイラが恐る恐る聞く。
「誰が魔王を倒したの?」
リスはブローチへ触れる。
「七聖騎士。」
七人。
七つの星。
剣。
全部繋がった。
「でも。」
「勘違いしないで。」
リスは子どもたちを見る。
「聖騎士は神様じゃない。」
「王様でもない。」
「普通の人だった。」
怖かった。
傷ついた。
泣いた。
それでも。
守ることを選んだ。
だから英雄になった。
「学院では。」
彼女は少し照れながら笑う。
「私たちも。」
「その背中を追うんだ。」
◇◇◇
祭りが終わる。
帰り道。
星空。
俺とリスだけが少し遅れて歩いていた。
「ねえ。」
「どうして聖騎士になりたいの?」
俺は前から気になっていた。
リスはすぐには答えなかった。
しばらく歩く。
やっと口を開いた。
「入学した頃。」
声が静かだった。
「私。」
「田舎者って笑われた。」
服。
話し方。
訛り。
全部。
「何度も帰りたかった。」
その時。
一人の女性が助けてくれた。
学院で教えていた。
引退した聖騎士。
白髪のおばあさんだった。
リスはその時の言葉を。
今でも覚えているらしい。
「強い人が聖騎士になるんじゃない。」
少し間。
「誰かを守ると決めた人が。」
「聖騎士になる。」
リスは笑った。
「その時。」
「決めた。」
「私も。」
「誰かが泣いてる時。」
「一番最初に駆けつける人になりたい。」
その横顔は。
本当に綺麗だった。
◇◇◇
家へ戻る途中。
俺はブローチを見る。
七つの星。
七聖騎士。
そして。
七魔王。
前世では。
俺を助けたのは。
最後に飛び込んだ俺自身だった。
でも。
この世界では違う。
父さん。
母さん。
ウラ。
アイラ。
リス。
守られてきたから。
今度は。
守る側になりたい。
その想いが。
少しだけ強くなった。
◇◇◇
その頃。
村から遥か北。
誰も近づかない古い森。
月明かりも届かない場所。
巨大な石像が横たわっていた。
顔は半分砕け。
名前を刻んだはずの石碑も削られている。
静寂。
風が吹く。
その時。
石像の裂け目が。
ほんの一瞬だけ。
赤く脈打った。
「…………まだ。」
誰にも聞こえない。
誰も気づかない。
でも。
三千年前の物語は。
まだ終わっていなかった。




