第二十九話 星を忘れない夜
「傷は消えるものと、残るものがある。」
教師だった頃、保健室の先生がよく言っていた。
「擦り傷は治る。」
「でも、心の傷は“治る”じゃなくて、“付き合えるようになる”の。」
当時は少し大げさだと思っていた。
子どもはすぐ元気になる。
そう思っていた。
でも、一人だけ忘れられない生徒がいた。
地震の日から、夜になると窓を見なくなった。
理由を聞くと、小さく答えた。
「また空が割れたら怖い。」
あの日、その子を安心させる答えは見つからなかった。
今なら分かる。
怖さを消すことはできない。
隣にいることならできる。
夜だった。
村は静かだった。
焚き火の火も小さい。
風も穏やか。
それなのに。
「……。」
眠れない。
目を閉じるたび。
紫の星が浮かぶ。
父さん。
母さん。
笑い声。
全部。
あの日へ戻ってしまう。
「はぁ……。」
布団から起き上がる。
外へ出た。
月だけが静かに浮かんでいる。
カサ。
足音。
振り向く。
ウラだった。
「寝れない。」
同時だった。
思わず笑う。
「一緒。」
彼女も苦笑する。
「変だね。」
少し沈黙。
そして。
二人とも空を見ない。
自然と視線は地面へ落ちていた。
「ラーズ。」
ウラが小さく聞く。
「まだ。」
「怖い?」
答えるまで時間がかかった。
「怖い。」
正直に言う。
「毎日。」
ウラは安心したように息を吐く。
「よかった。」
「え?」
「私だけじゃなかった。」
その言葉が胸へ刺さる。
強そうに見えるウラも。
ずっと一人で怖がっていた。
「アイラは?」
部屋を見る。
「寝てる。」
そう思った。
でも。
違った。
部屋の隅。
アイラは小さく丸まっていた。
肩が震えている。
「アイラ。」
声を掛ける。
返事がない。
近づく。
額へ汗。
呼吸が速い。
「やだ。」
寝言だった。
「お父さん。」
「待って。」
涙が流れている。
悪夢だった。
「起こす?」
ウラが聞く。
少し考える。
前世の記憶が蘇る。
無理に起こすより。
安心できる声。
ゆっくり。
そう教わった。
「アイラ。」
静かに呼ぶ。
「もう大丈夫。」
もう一度。
「ここだよ。」
アイラの手を握る。
少しだけ力が抜ける。
呼吸が落ち着く。
ゆっくり目を開けた。
「ラーズ……?」
涙で濡れた目。
「夢。」
小さく呟く。
「また。」
頷く。
「紫?」
アイラも頷いた。
「空。」
「割れて。」
「お父さんが。」
そこまで言って。
声が止まる。
俺は何も言わなかった。
慰める言葉が見つからない。
だから。
ただ手を握っていた。
その頃。
村外れ。
大樹。
コロは枝へ座っていた。
白い鹿もいる。
二人とも。
村を見ている。
鹿が空を見る。
月だけ。
紫の星はない。
それでも。
鹿はしばらく空を見つめていた。
まるで。
あの日を忘れないように。
翌朝。
俺は教室を開いた。
でも。
今日は文字じゃない。
「ゲーム。」
子どもたちが集まる。
「今日は。」
地面へ丸を書く。
「気持ち。」
「気持ち?」
頷く。
石を三つ置く。
「嬉しい。」
「悲しい。」
「怖い。」
「今日。」
「どれ?」
最初は誰も動かなかった。
すると。
アイラが一歩前へ出る。
怖い石を触る。
「まだ。」
小さく言う。
「怖い。」
ウラも。
同じ石へ触れた。
「私も。」
少しずつ。
他の子どもたちも触る。
「怖い。」
「寂しい。」
「でも。」
一人の子が言った。
「今日は少し嬉しい。」
理由を聞く。
「みんながいる。」
その言葉で。
空気が少し柔らかくなった。
遠くから見ていたエレインが呟く。
「面白い。」
レオンが聞く。
「何がだ。」
「普通なら。」
「子どもへ忘れさせようとする。」
でも。
ラーズは違う。
「言葉にさせてる。」
レオンは腕を組む。
「ガレスの教育か?」
エレインは首を振る。
「違う。」
少し考える。
「誰か。」
「先生みたい。」
その表現が。
自分でも少し不思議だった。
午後。
教室が終わる。
ウラが木剣を振る。
アイラが魔法書を見る。
俺はノートを開く。
新しいページ。
観察記録 八
悪夢は一人だけじゃない。
怖いと言えると少し楽になる。
教室は勉強だけじゃない。
エレインさんは観察が鋭い。
今日、初めてみんなが少し笑った。
最後に。
少し考える。
そして書く。
先生は答えを知っている人じゃない。
一緒に答えを探す人なんだ。
ページを閉じる。
その時。
ポケットの銀色の葉が少しだけ光った。
窓の外。
コロが小さく手を振っている。
俺も振り返す。
コロは嬉しそうに笑う。
そして。
その背後。
白い鹿が森の奥へゆっくり歩いていく。
今日は一度も振り返らなかった。
まるで。
「次は前へ進む番だ。」
そう伝えるように。




