第二十四話 届いた涙
「一番怖い知らせは、読む前から分かってしまう。」
前世で、職員室へ一本の電話が入ったことがある。
事故だった。
受話器を取った瞬間。
相手はまだ何も言っていない。
それなのに。
嫌な予感だけが胸を締めつけた。
人は時々、言葉より先に空気で何かを理解してしまう。
あの日のリスも。
きっと同じだった。
王都。
王国最大の都市。
高い城壁。
白い石畳。
無数の魔導灯。
そして、その中心にそびえ立つ建物。
王立魔導学院。
三百年以上の歴史を持つ、王国最高峰の教育機関。
未来の宮廷魔術師。
騎士。
学者。
そして。
パラディン候補までもが学ぶ場所だった。
だが、その朝だけは。
学院全体が静まり返っていた。
「……。」
リスは窓辺に立っていた。
白銀の髪が朝日に揺れる。
手には、一枚の紙。
昨日届いた報告書。
何度読んでも。
文字が滲む。
北部村落壊滅。
生存者あり。
ラーズ、生存確認。
そこまでは良かった。
でも。
その下。
ガレス村長夫妻、戦死。
そこから先だけ。
何度読んでも受け入れられなかった。
「父さん……。」
「母さん……。」
震える声が部屋へ落ちる。
コンコン。
扉が叩かれる。
「リス。」
友人だった。
セレナ・ヴァイス。
金色の髪。
青い瞳。
学院でも上位成績を誇る少女。
「入るよ。」
返事を待たずに入ってくる。
そして。
何も言わなかった。
リスの目を見れば十分だった。
静かに隣へ座る。
「泣いていい。」
その一言で。
リスは堰を切ったように涙を流した。
しばらくして。
涙が落ち着く。
セレナが聞く。
「帰るの?」
「帰る。」
迷いはなかった。
「ラーズがいる。」
それだけだった。
午前。
学院長室。
大きな本棚。
魔導水晶。
古い地図。
学院長――エドワード・ルーヴェン。
七十歳を超える老魔術師。
白い髭。
穏やかな目。
その目だけが。
今日は少し疲れて見えた。
「リス。」
静かな声。
「報告は読んだ。」
「はい。」
「帰郷を願い出る。」
「はい。」
学院長は窓を見る。
王都。
その空も。
あの日以来、どこか変わってしまった。
「残念だが。」
重い声。
「今すぐ許可は出せない。」
リスは顔を上げた。
「どうしてですか。」
「街道だ。」
地図を広げる。
北街道。
赤い印。
西街道。
赤い印。
東も。
同じだった。
「魔物の出現が続いている。」
「護衛なしでは送れない。」
リスは拳を握る。
「歩いてでも。」
「だめだ。」
学院長の声が少し強くなる。
「君まで失えば。」
「ガレスに顔向けできん。」
父さんの名前。
それだけで胸が痛んだ。
学院長は少し考える。
そして言った。
「三日。」
「護衛隊を編成する。」
「それまで待て。」
三日。
長い。
でも。
今の王国で、それが最短だった。
リスはゆっくり頭を下げた。
「お願いします。」
廊下。
セレナが追いかけてくる。
「私も行く。」
「え?」
「友達だから。」
即答だった。
リスは苦笑する。
「危ないよ。」
「知ってる。」
「それでも。」
少し笑う。
「放っておけない。」
リスは少しだけ救われた気がした。
その頃。
学院では奇妙な噂が広がっていた。
「聞いた?」
「北で紫の星。」
「魔王。」
「世界の言葉。」
誰も確信していない。
でも。
一つだけ事実があった。
学院の教師たちでさえ。
答えを持っていない。
魔術理論棟。
一人の教授が黒板へ魔法陣を書く。
途中で止まる。
「違う。」
消す。
また描く。
「理論が合わない。」
助手が困惑する。
「先生?」
教授は呟く。
「世界の法則が。」
「少しだけ変わっている。」
その言葉を。
廊下を歩くリスは聞かなかった。
夕方。
寮へ戻る。
荷物をまとめ始める。
剣。
ローブ。
本。
その時。
机の引き出しから、小さな木彫りが落ちた。
狼。
ラーズが五歳になる前。
父さんが作ってくれたものだった。
「そうだ。」
思い出す。
あの日。
村を出る時。
ラーズはまだ赤ちゃんだった。
「今。」
少し笑う。
「大きくなったかな。」
その笑顔は。
すぐ涙へ変わった。
「待ってて。」
木彫りを胸へ抱く。
「お姉ちゃんが迎えに行く。」
同じ頃。
灰の村。
夕焼け。
教室が終わる。
アイラが本を抱えて歩く。
ウラが木剣を振る。
ラーズは空を見る。
同じ夕日。
同じ空。
知らない。
王都で。
一人の姉が。
今まさに、自分へ会うための準備を始めていることを。
夜。
学院地下。
普段は閉ざされた資料室。
誰もいないはずだった。
カツ。
足音。
黒いローブ。
顔は見えない。
その人物は古い棚から一冊の本を取り出す。
表紙には古代文字。
『黄昏記』
本を開く。
そこには。
三千年前の絵が描かれていた。
七つの玉座。
そのうち。
一つだけ。
紫色の印が新しく光り始めていた。
ローブの人物は静かに笑う。
「始まったか。」
本を閉じる。
資料室は再び静寂へ沈む。
誰もまだ知らない。
王都にも。
すでに。
災厄の影が入り込んでいることを。




