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第二十三話 森の子

「動物は、人より先に何かを知っている。」


前世で働いていた学校には、一匹のカラスがよく来ていた。


毎朝、同じ木へ止まる。


子どもたちはパンくずを投げた。


逃げる。


でも、一人だけ近づいても逃げない生徒がいた。


「先生。」


その子は笑う。


「怖くないんじゃない。」


「ちゃんと見てるだけ。」


動物は言葉を話さない。


でも、ちゃんと相手を見ている。


そのことを、あの子から教わった。


朝露が草を濡らしていた。


空は青い。


紫の星が現れたあの日から、初めて「普通の朝」と呼べそうな空だった。


「ラーズ。」


ウラが木剣を肩へ担ぐ。


「勝負。」


「朝一番?」


「朝だから。」


「理由になってない。」


アイラが笑う。


「また負ける。」


「負けない!」


結局。


十分後。


「負けたぁぁ。」


ウラは地面へ倒れた。


「ずるい。」


「木を使うなんて。」


「使っていいって言った。」


「言ったけど!」


少しだけ。


昔の空気が戻ってきていた。


昼前。


教室が終わる。


子どもたちは帰る。


俺はポケットを触る。


銀色の葉。


まだ温かい。


「今日。」


なんとなく。


大樹へ行きたい。


そんな気がした。


「コロ。」


根元へ着く。


少し待つ。


葉が揺れる。


ぴょこん。


コロが現れた。


今日は最初から笑っている。


「こんにちは。」


コロは両手を上げる。


真似しているらしい。


俺も両手を上げる。


「こんにちは。」


嬉しそうに一回転した。


コロはすぐ歩き始めた。


いや。


今日は少し違う。


何度も振り返る。


「ついて来い?」


頷く。


大樹の周り。


昨日より少し奥。


焦げた地面。


その向こう。


森だった。


「ここから先は。」


立ち止まる。


父さんの言葉。


「まだ森へ入るな。」


約束。


でも。


コロは慌てない。


境界線の手前。


そこで止まった。


まるで。


「ここまで。」


そう言っているようだった。


森は静かだった。


静かすぎた。


風は吹いている。


葉も揺れる。


でも。


鳥がいない。


虫の音も少ない。


「あ。」


足元。


灰牙狼の足跡。


古い。


昨日じゃない。


でも。


消えていない。


コロの表情が曇る。


小さく首を振る。


危険。


そういう意味だろう。


その時だった。


ササッ。


茂みが揺れる。


反射的に身構える。


風魔法。


掌へ集める。


「……。」


出てこない。


いや。


出てきた。


鹿だった。


でも。


普通じゃない。


真っ白だった。


角まで白い。


毛並みは雪みたい。


瞳だけが金色。


息を呑む。


美しい。


鹿は逃げない。


じっと。


こちらを見る。


コロも驚いていた。


小さく頭を下げる。


鹿も。


ゆっくり頭を下げた。


「君。」


思わず一歩踏み出す。


鹿は逃げない。


でも。


近づきすぎると。


ふわり。


霧へ溶けるように後ろへ下がる。


足音がしない。


夢みたいだった。


「待って。」


鹿は森の奥を見る。


もう一度。


俺を見る。


そして。


静かに姿を消した。


「……。」


幻?


いや。


草は揺れていた。


確かにいた。


コロが地面へ何か描く。


鹿。


木。


丸。


その鹿へ。


葉っぱを一枚置く。


「友達?」


コロは少し考える。


首を傾げる。


そして。


胸へ手を当てる。


俺も真似する。


すると。


コロは嬉しそうに笑った。


どうやら。


「大切。」


そういう意味らしい。


帰ろうとした時だった。


カサッ。


また音。


今度は。


黒い影。


小さな魔物だった。


兎くらいの大きさ。


体毛は灰色。


目だけ赤い。


「……。」


コロが後ろへ隠れる。


俺は風を集める。


魔物はこちらを見る。


唸る。


飛ぶ。


その瞬間。


ビューッ!


風を横へ流す。


真正面から撃たない。


横へ逸らす。


魔物は勢いを崩す。


地面を転がる。


立ち上がる。


もう一度。


来る。


今度は。


足元へ石。


蹴る。


ゴン。


額へ当たる。


「ギッ!」


怯む。


逃げた。


追わない。


深追いは危険。


父さんなら。


そうしたはずだ。


「大丈夫?」


コロが袖を引っ張る。


「うん。」


少し息を吐く。


心臓が速い。


でも。


勝ったわけじゃない。


追い払えた。


それだけだった。


「ありがとう。」


コロへ言う。


コロは照れたように葉っぱを抱えた。


帰り道。


ウラが待っていた。


腕を組んでいる。


「遅い。」


怒っている。


「ごめん。」


「また一人。」


「……。」


「危ない。」


少し黙る。


「心配した。」


その一言が刺さる。


「ごめん。」


今度はちゃんと謝った。


ウラは少しだけ頬を膨らませる。


「次は。」


「一緒。」


「うん。」


約束した。


夜。


焚き火。


今日の出来事を話そうか迷う。


鹿のこと。


コロのこと。


結局。


話さなかった。


まだ。


言葉にできない。


ノートを開く。


リスのノート。


新しいページ。


観察記録 五


森の境界で白い鹿を見た。


コロは鹿へ敬意を示した。


小型の魔物がまだ森に残っている。


風は真正面より横へ流した方が効果的な時がある。


深追いは危険。


最後に。


少しだけ考える。


そして書く。


森は昨日までの森じゃない。


ページを閉じる。


その瞬間。


窓の外。


月明かりの中。


一瞬だけ。


あの白い鹿が丘の上へ立っていた。


風が吹く。


銀色の葉が舞う。


瞬きをした時には。


もう。


そこには誰もいなかった。

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