第十八話 残された約束
「責任って、いつから始まるんだろう。」
教師になって一年目。
担任だったクラスで、一人の生徒が忘れ物をした。
教室へ戻ると、その子は泣きそうな顔でランドセルを探していた。
「先生。」
「ごめんなさい。」
誰にも怒られていないのに謝る。
俺は笑ってランドセルを渡した。
「大丈夫。」
「次から気をつけよう。」
その時、その子が言った。
「先生がいるから安心。」
何気ない一言だった。
でも、その日初めて思った。
誰かに安心を与える人には。
気づかないうちに責任が生まれている。
それは役職じゃない。
肩書きでもない。
誰かが隣にいてほしいと思った瞬間から始まるものなんだ。
朝。
灰がまだ空を漂っていた。
昨夜の焚き火は消えた。
父さんたちを見送った火だけが、黒い跡を残している。
村には煙の匂いが染みついていた。
「ラーズ。」
ウラが目を擦りながら起きる。
昨日泣きすぎたせいで目が赤い。
アイラは俺の袖を握ったまま眠っていた。
そっと頭を撫でる。
少しだけ安心したように寝息が深くなる。
「起こさないでおこう。」
ウラが小さく頷いた。
二人とも。
もう五歳の子どもらしい朝じゃなかった。
「みんな集まってくれ。」
オルム爺さんの声が広場へ響く。
残った村人たちが集まる。
数える必要なんてない。
昨日より少ない。
それだけで十分だった。
「食料を確認する。」
「井戸を直す。」
「怪我人を優先する。」
一つずつ決めていく。
誰も村長じゃない。
父さんがいない。
その事実だけで胸が痛んだ。
「ラーズ。」
鍛冶屋のガドが呼ぶ。
手には布に包まれた何か。
「これ。」
開く。
折れた槍の穂先だった。
父さんが最後まで握っていた槍。
「持っとけ。」
「でも。」
「村長の形見だ。」
受け取る。
思ったより重かった。
鉄の重さじゃない。
父さんが背負っていたものまで乗っている気がした。
昼。
俺たちは家だった場所を片づけ始めた。
焼けた木材を運ぶ。
灰を払う。
崩れた壁をどかす。
「これ。」
アイラが小さく声を上げる。
焼け焦げた木箱。
中は半分炭になっていた。
母さんが作った刺繍。
布切れ。
木のおもちゃ。
どれも形が崩れている。
「……。」
アイラはそっと箱を閉じた。
何も言わなかった。
言葉より先に涙が落ちた。
「ラーズ!」
ウラが何かを見つけた。
焼けた机の下。
煤だらけになった一冊のノート。
「あ。」
リスのノート。
急いで拾う。
角は焦げている。
表紙も黒くなっていた。
でも。
中は無事だった。
最初のページ。
あの文字が残っている。
『分からないことは全部書きなさい。』
リスの字だった。
胸が締めつけられる。
ページをめくる。
俺が書いた観察記録。
鳥。
銀色の葉。
「近い。」
全部残っていた。
そして、新しいページを開く。
震える手で書く。
観察記録 二
世界の言葉が聞こえた。
三つの星が一つになった。
紫の星を見た人は動けなくなった。
僕とウラとアイラだけ動けた。
魔王が現れた。
最後に。
少し迷う。
そして書き足す。
なぜ僕たちだけだった?
その一文へ丸をつけた。
これが。
俺が最初に解かなきゃいけない問題だ。
夕方。
一羽の伝書鳥が見つかった。
怪我をしている。
でも飛べる。
オルム爺さんが言う。
「王都へ知らせる。」
「学院にも。」
リス。
胸が少しだけ温かくなる。
ガドが紙を書く。
「北の村、壊滅。」
「生存者あり。」
「救援求む。」
短い。
それだけ。
鳥が飛び立つ。
空の向こうへ消えていく。
「届くかな。」
ウラが呟く。
「届いてほしい。」
俺も空を見た。
返事は風だけだった。
夜。
食事は硬いパンだけ。
誰も文句を言わない。
食べられるだけで十分だった。
アイラは半分残した。
「食べないの?」
「後で。」
嘘だ。
父親の分を残したんだ。
俺は気づいた。
でも何も言えなかった。
その夜。
眠れなかった。
月明かりが灰を照らす。
家だった場所。
父さんの槍。
母さんの扉。
全部見える。
その時。
外で足音がした。
サク。
サク。
灰を踏む音。
立ち上がる。
窓の隙間から見る。
あの小さな精霊だった。
葉っぱをまとった小さな身体。
丸い瞳。
今度は逃げなかった。
じっと俺を見る。
「君。」
小さく呼ぶ。
精霊は胸へ手を当てた。
そして。
地面へ何かを置く。
銀色の葉。
風が吹く。
葉は俺の足元まで転がってきた。
拾う。
温かい。
精霊は静かに頷く。
まるで。
「約束を忘れるな。」
そう言っているようだった。
「……。」
俺も胸へ手を当てる。
小さく頭を下げた。
すると。
精霊は少しだけ笑ったように見えた。
そして。
月明かりへ溶けるように消えていく。
その頃。
王都。
リスは学院の寮で本を読んでいた。
突然。
窓辺の伝書鳥が大きく鳴く。
羽が震えている。
嫌な予感。
胸が締めつけられる。
「まさか。」
彼女は立ち上がった。
まだ。
手紙は届いていない。
でも。
理由もなく分かってしまった。
「ラーズ。」
その名前を呼んだ瞬間。
学院の鐘が。
夜の王都へ静かに鳴り響いた。た。




