第十二話 運命の残響
「先生、もっと早く気づいていればって思うこと、ありますか?」
その質問を受けた日のことを、今でも覚えている。
放課後。
職員室へ向かう廊下だった。
質問したのは、一人の女子生徒。
少し笑っていた。
でも、その笑顔はどこか無理をしているようにも見えた。
「あるよ。」
俺は立ち止まって答えた。
「小さな違和感を『気のせい』って片付けたこと。」
少女は黙って聞いていた。
「人ってね。」
窓の外を見る。
夕焼け。
「大きな問題になる前に、小さなサインを出してることがある。」
「だから。」
「見逃したくない。」
あの約束は。
今でも俺の中に残っている。
◇◇◇
リスが学院へ帰ってから三日が過ぎた。
家は少し静かになった。
母さんはいつも通り笑っている。
父さんも仕事をしている。
ウラは相変わらず元気だ。
アイラも少しずつ笑うようになった。
全部。
いつも通り。
なのに。
俺だけが落ち着かなかった。
森の狼。
黒い筋。
リスの表情。
全部が胸の奥へ引っ掛かっている。
「……。」
夜。
布団へ潜る。
眠気は来る。
でも。
心は眠らなかった。
◇◇◇
気づけば。
森にいた。
月明かりが白い。
でも。
いつもの森じゃない。
木々が高すぎる。
風が音を持っている。
足音さえ聞こえない。
「夢?」
声が吸い込まれる。
返事はない。
それでも。
誰かに呼ばれている気がした。
「こっち。」
そんな言葉は聞こえない。
でも。
身体が自然と歩き始める。
◇◇◇
光。
淡い銀色。
それが木々の奥で揺れている。
近づく。
一歩。
また一歩。
胸が温かい。
掌が少しだけ熱い。
やがて。
視界が開けた。
そこにあった。
巨大な樹。
村の外れから見えるあの大樹より。
もっと大きい。
もっと古い。
枝は空を支え。
根は大地そのものになっている。
幹には。
銀色の筋が脈打っていた。
(これが。)
息を飲む。
(あの木。)
心臓が鼓動を速める。
掌が勝手に熱くなる。
「来た。」
誰の声でもない。
風でもない。
でも。
そう聞こえた気がした。
◇◇◇
恐る恐る。
幹へ手を伸ばす。
触れた。
その瞬間。
世界が砕けた。
最初の残響
石畳。
白い塔。
王都。
学院。
リスが走っている。
制服が破れている。
息を切らして。
誰かを探している。
「ラーズ!」
振り向いた。
でも。
俺はいない。
景色が割れる。
◇◇◇
二つ目の残響
霧。
黒い。
冷たい。
その中で。
二人の少女が背中合わせに立っている。
ウラ。
少し背が伸びている。
木剣じゃない。
本物の剣。
アイラ。
小さな杖を握っている。
二人とも傷だらけだった。
それでも。
前を向いている。
霧の向こうから。
何か巨大な影が近づく。
「逃げて!」
叫ぼうとした。
声が届かない。
景色が砕ける。
◇◇◇
三つ目の残響
闇。
何も見えない。
その中心。
巨大な石像。
いや。
王座だ。
七つ。
六つは壊れている。
一つだけ。
誰も座っていない。
空の玉座。
そこへ。
影が立つ。
顔が見えない。
名前も分からない。
でも。
恐ろしい。
その瞬間。
自分の右手を見る。
銀色の炎が燃えていた。
「え?」
初めて見る魔法。
なのに。
どこか懐かしい。
影がこちらを見る。
景色が砕ける。
◇◇◇
四つ目の残響
夕暮れ。
家。
母さんが笑う。
父さんも笑う。
二人とも。
今と同じ笑顔。
でも。
何か違う。
「ラーズ。」
母さんが手を伸ばす。
「元気で。」
その言葉が。
胸を締めつけた。
「待って。」
手を伸ばす。
届かない。
二人が光へ溶ける。
景色が砕ける。
◇◇◇
五つ目の残響
熱い。
煙。
焦げ臭い。
目を開ける。
村だった。
俺の村。
でも。
違う。
燃えている。
家が崩れる。
井戸が壊れる。
誰もいない。
笑い声も。
子どもの声も。
何もない。
灰だけ。
風が吹く。
その灰の上へ。
一枚の木札が落ちる。
俺が子どもたちへ文字を教えていた木の板だった。
黒く焼けている。
「嫌だ。」
震える声が漏れる。
「こんなの。」
認めたくない。
その時だった。
◇◇◇
大樹が光る。
銀色。
幹全体が呼吸するように脈打つ。
根から。
無数の光が流れる。
頭の中へ。
声が響く。
今度は。
はっきり。
「未来ではない。」
静かな声。
男でも。
女でもない。
「残響。」
「選ばれなかった道。」
「選ばれるかもしれない道。」
「運命の欠片。」
俺は息を飲む。
「あなたは誰?」
返事はない。
代わりに。
掌が熱くなる。
銀色の魔力。
木の光と。
同じ色だった。
◇◇◇
「守りたい。」
気づけば呟いていた。
リス。
父さん。
母さん。
ウラ。
アイラ。
村のみんな。
絶対に。
失いたくない。
銀色の光が。
少しだけ強くなる。
その瞬間。
大樹の幹へ。
新しい一本の銀色の筋が刻まれた。
まるで。
俺の願いが。
木へ記録されたみたいだった。
◇◇◇
「ラーズ!」
目を開ける。
朝だった。
息が荒い。
全身汗だく。
夢。
……だったはず。
でも。
右手が熱い。
掌を見る。
傷はない。
火傷もない。
なのに。
じんじんする。
拳を握る。
すると。
ほんの一瞬だけ。
指の隙間から。
銀色の光が漏れた。
「……。」
夢じゃない。
そう確信した。
◇◇◇
朝食。
誰にも話さなかった。
話せない。
信じてもらえる気がしない。
でも。
心は決まっていた。
前世では。
守れなかったものがあった。
後悔があった。
だから。
今度は違う。
もっと強くなる。
もっと学ぶ。
もっと早く気づける人になる。
窓の外を見る。
森。
あの大樹がある方向。
風が吹く。
葉が揺れる。
その揺れ方は。
まるで。
誰かが静かに頷いたようだった。
そして。
村の誰も知らない場所で。
巨大な古樹は。
三千年ぶりに。
新しい"運命の残響"を。
静かに刻み始めていた。




