【閑話:さまよいたどり着く先】
アストレアの師エリオン・マルヴェルンは帝都アズラント北の郊外にある、自分の研究施設に閉じこもっている。
下の階層では数十人の学者達が、エリオンの出したテーマを読み解こうと日々実験と考察を繰り返している。
その繰り返しこそがエリオンの目的なのだが、成果もヴァルサール帝国の発展には役立っていた。
エリオンが手したいのは技術ではなく、そこに至る思考の積み上げだった。
そこに自分達で至ることこそエリオン・マルヴェルンの求める果実だった。
その手法は驚くほどヴェスタの思想に近い。
かの女神降臨から、かれこれ半月にもなる引きこもりだ。
同じ王に仕える上司から、決して悟らせるなと言われていた相手に見つかった恐れがあったから。
世界に大きな影響力をもつ本物の自分を、彼らに見られるわけには行かないと、特別な処置をしてある義体に隠れてさらに引きこもっている。
報告は入れたのに、一向にこない連絡を待っていたのだ。
裁きの沙汰が有るまでは、霊子波すら遮断するフィールドにおおわれた部屋から、出られないと思っていたのだった。
(アリア‥‥リンクを強めて下さい‥‥)
待ち続け、恐れていた連絡は、思いがけずエリオンを喜ばせた。
二度と生きては会えないかもと、諦めていた想い人からの接触だったから。
その波動は魔力リンクで伝わってきた。
もともと12人いた姉妹達の、最後の2人たるエリオンは、ただ一人の兄でもあるこの声に懸想していた。
末の妹として可愛がられたのも有るが、その王に仕える真摯な志にも心惹かれていた。
(あぁ‥‥‥‥おにいさま‥‥)
それははるか万年の光の彼方から届いた心。
恐怖と悔恨に苛まれていたエリオンの冷え切った心に、じんわりと温もりとして染み込んだ。
早口の詠唱で式を放つと、直線距離でほんの600㎞程のすぐそばにある本体がリンクを立ち上げる。
古巣を出る前に結んでおいた縁によって、かろうじてつながる魔力リンクだった。
懐かしい気配に寄り添うように心の手を伸ばす。
もしも見るものがいれば、その呼びかける姿勢が、アイカのアストラル・プロジェクションととても良く似ていると見て取れるだろう。
どちらがオリジナルなのかと見まごうほどに。
(ひさしいな。‥‥賢者さまからお話があるそうだ)
意識を向けられたと感じられ、ふわりと心を開いたエリオンは、がっくりと肩をおとす。
兄が敬意を向けるその者を、エリオンは好いてはいなかったから。
(‥‥はい)
すっかり沈んでしまった心に圧縮されたデータが届く。
これを受け取ってしまえば、容赦なくこのリンクもまた絶たれると知っているエリオンは、無駄なことと知りつつ少しでもゆっくりと受信しようとした。
そこに0.1秒と差はでないのだった。
それ以上はもう言葉も無いのだろうなと、諦めていたエリオンに兄からいたわりの心が向けられる。
(私はまだ動くことがかなわぬ‥‥苦労をかけるなアリア)
ふんわりと笑みの気配を伴うその心を、エリオンはじわりと涙が滲むような想いで受け取る。
ほんの数秒だが、データを送るため以外の時間を費やしてくれた兄に感謝を送ることもできた。
(はい‥‥お兄様もどうぞお元気で‥‥)
それは今度こそ生きては相見えないと覚悟する心だった。
返事は無かったが、すっと柔らかないたわる心を残し、兄とも慕う気配は去った。
落ち着いてからエリオンは研究室のミニキッチンでお茶を淹れた。
久しぶりにその香りをデータではなく、現実に楽しみたいと思ったから。
そうして思いがけず感じた兄の気配を思い出した。
「‥‥どうしてお兄様が連絡を?」
その思いがけないご褒美のような事態には理由があるのだと気づく。
「そう‥‥セラも逝ったのね‥‥」
それは残されていた最後の姉妹の名前。
エリオンを含んだ12人の姉妹たちは、人間であれば王族とも言える立場のAI達に与えられた。
最後に王の手元に残った2人だった姉妹も、もうこの世界にはいないのだなと理解した。
この魔力リンクは本来姉妹と結んでいたものなのだから。
(わざわざお兄様が連絡してきた‥‥)
それは逆に言えば姉妹の喪失を告げる意味を持った。
いつも柔らかい温度を添えてくれた優しい姉の気配を思い出すエリオン。
それはもう味わうことは叶わないのだなと、何かが冷えていくのを感じた。
遠くオアシスの町で産する、透明度の高い特別なガラス製のティーポットの中で、ゆらゆらと茶葉が揺れている。
器と同じように透明度の高い香りがたち、エリオンのまわりの空気を満たしていく。
リラクゼーションを求めたはずのその様子に、喪失の痛みもまた揺らいでいるように見えるのだった。
エリオンはそろそろ注がなければと、手に持ってきたこれもガラスのティーカップをいつまでも握りしめるのだった。
せっかく温めておいたティーカップの温度を、少しずつ失いながら。
古臭いノイズ混じりの2Dh動画が送られて来ていた。
彼らの技術ならば、気配さえも伴った遅延のない3Dの相互通信が可能なのに。
不要に見える大量のデータに散りばめられたそれを、手順に従いエリオンが組み立てたのは、お茶を飲み終わってからだった。
少しタイミングを逃した渋いお茶を飲み終え、仕方ないと始めた作業だ。
「ひさしいな。素晴らしい成果を出してくれて嬉しく思う」
別にお前のためではないと思いながら、続きを見るエリオンは、画面いっぱいに写ったヴェルニアスのにっこりしたまま固まる笑顔を睨みつけた。
そもそもエリオンはこの男が嫌いだった。
この男が来てから全てが変わったのだと、今でも思っていたから。
「あとほんの一匙‥‥必要ならば全て失っても構いません」
その言葉は少しだけエリオンをほっとさせた。
ではまだ彼らの干渉は受けていないのだなと。
3点ほど具体的な手順を指示されて、ヴェルニアスの映像は終わった。
霊子通信を特殊なフィルターで細かな分割データにして送ってきた。
その隠蔽技術には病的なほどの慎重さを見て取れる。
さもありなんとエリオンは思う。
なにしろ我々は一度滅ぼされたのだからと。




