第92話 朝のお散歩
「ヴェルデ! アスターシア! ガチャがー!」
「ジゼさん、大丈夫ですよ。ガチャ様はちゃんとお話を聞いてくれるので、リードをしっかりと持っててください」
「ガチャはちゃんとジゼに合わせて歩いてくれるから慌てなくていいぞ」
潜水艦らしき物体と遭遇してから数日が経ち、休養日にしていた今日は、ジゼがガチャのリードを握って、散歩役を買って出ていてくれた。
まだ恐々としたへっぴり腰だが、出会ったときは雲泥の違いを見せている。
「はぅうう! ガチャがこっち見てるー!」
「大丈夫、ガチャ様は怖がっている方へ勝手に飛びかかりません」
「ジゼが怖くないって思ってくれるまでガチャは待っててくれるぞ」
なんで、犬嫌いのジゼがガチャの散歩をしてるかと言うと――。
ジゼが例の軍人になりたい話をヴィーにしたら、最低でも犬嫌いくらいは克服しろ言われたことが原因だった。
ヴィーはジゼの犬嫌いを知っていたため、それを言えば諦めると思ったらしいのだが、ガチャの散歩で克服すると言い出したのだ。
賢くて大人しいガチャは、犬嫌い克服のパートナーとしてピッタリではあるが……。
ジゼの動機を考えると、痛しかゆしなところはある。
でも、ジゼにガチャと触れ合ってもらいたいという気持ちも俺にはあったので引き受けることにした。
大人しくお座りしているガチャが『ジゼさん、大丈夫?』って感じで首を傾げて見上げてきたので、大丈夫だと伝えてやる。
「ふー、ふー、ふおー! ガチャぁああ! 待って! 待って! 今撫でるからぁ!」
荒い息をしながらジゼが恐る恐るガチャの頭に向かって手を伸ばした。
「も、モフモフぅうーー!」
ジゼのテンションが高い。
まぁ、最高級の謎のモフ感を持つガチャの頭に触れたら、そうなるのは仕方ない。
うんうん、ガチャのモフ感はいいぞ。
「ヴェルデ、アスターシア、触った! 触れたよ!」
「よかったです。ガチャ様も喜んでますよ」
ガチャも嬉しいようで、レバーが勢いよく高速回転中だ。
「よかったな、ガチャ。ジゼもな」
「うん、ガチャ、可愛いね」
触れられるようになって、安心感を覚えたジゼの顔には笑みがこぼれていた。
「お散歩再開! ガチャ、行こう!」
「ジゼさん、人も多いので気を付けて下さいねー。ガチャ様もー」
「はーい!」
ウキウキした顔のジゼが、ガチャと一緒に先を歩き出していった。
街はもうじき行われる魔導艦隊の観艦式に向けて、多くの旅行者が集まってきており、国内だけでなく、国外からも人が集まり、人出がかなり多くなってきている。
そのおかげか、警備の兵士の姿もチラホラと見えていた。
「何かあったんですかね? 人出の警備にしては兵士の数がけっこう多いみたいですが?」
「アスターシアもそう思ったのか? 観艦式が近いとはいえ、なにか慌ててる感じに思える」
「ですよね。ちょっと、聞いてみます」
メイド姿のアスターシアが、慌ただしそうにしている兵士に近づいていく。
前を歩いていたジゼが、歩きを止めた俺たちに気付きガチャと一緒にこちらに戻って来た。
「ヴェルデ、どうしたの? 散歩しないの?」
ガチャも『散歩もっとしたいです!』とレバーをギュインと回している。
「いや、ちょっとな。兵士たちが慌ただしい感じを出してるのが気になってな。今、アスターシアが何かあったのか聞いてくれてるんだ」
「軍の人は観艦式が近いから警備で忙しいんじゃない?」
「そうだと思うけどな。でも、それにしては――」
視線を周囲に向けると、街の中の兵士の数がさらに増えていくのが見て取れた。
アスターシアが兵士に深々と頭を下げると、こちらに駆け戻ってくる。
「大変です。観艦式がどうも無期限延期になるらしいですよ。その通達のため兵士たちも急に駆り出されたそうです」
「え!? 観艦式が無期限延期!? そんなの聞いてない!」
「延期の理由は?」
「上空の天候不良が続くためだという話だそうですが……」
上空は雲一つない快晴。
雨雲どころか、雲一つない常夏の空が広がっている。
「天候不良って本当なのか?」
兵士が立てた立札を見た住民たちも騒がしくなってきた。
魔導艦隊の観艦式は、一大イベントなので、楽しみにしていた者たちからため息が聞こえてくる。
「お話を聞いた時、天候不良は建前っぽいかなと感じました。他の理由がありそうですが……」
「他の理由?」
ジゼに聞かせるのはマズそうな気がしてきた。
俺は話を聞いていたジゼの耳に両手を当てて聞こえないようにしたのを確認すると、アスターシアが耳元で囁いてきた。
『お話を聞いてた兵士さんの後ろで喋った人たちの話を聞いてたのですが、港の方で【正体不明の影】が確認されたらしく、国軍は大慌てでになってるらしいです』
『【正体不明の影】?』
『ほら、アレです。アレ。たぶんですけど』
アスターシアが人差し指を伸ばしてクルクルと輪を描いて回し始めた。
お散歩したくてしょうがないガチャが、アスターシアの指の動きを追ってクルクルと足元を回り始めていく。
その指の動きはドローンの回転羽か……。
ああぁ、例の潜水艦か。
ドローンの声の主の慌てようからして、あからさまに怪しい感じだったし、観艦式の中止に何か関係してるのかもって話か。
『でも、あれって国軍のやつだろ?』
『だと思いますが……。軍も一枚岩ではないのかも』
内戦とか、クーデターとかって話かよ。きなくせー。
常夏の平和都市っぽい感じだけど、裏では何かが起きてるってことかもしれないのか。
でも、下手に例の潜水艦の件を喋ったら、国家から命を狙われかねないし、黙秘を貫いた方がいい気がする。
『とりあえず、アレの件は黙っておこう。ゴタゴタには巻き込まれたくない』
『ですよね。大人しく依頼をこなしましょう』
耳を塞がれていたジゼが、俺の手から逃れると顔を上げてこちらを見てきた。
「ヴェルデ、アスターシア、何も聞こえないよー? 何喋ってたの?」
「観艦式が延期されて残念だって話してただけさ。なぁ、アスターシア」
「ええ、残念です。20年に一度なので、ぜひとも見てみたいんですけどね」
「延期なだけだから、たぶん開催してくれるはずだよ。それまでここに居るよね?」
「ああ、そのつもりだ。自分たちの宿代もガチャの飯代も稼がないといけないしな」
「そろそろ、散歩を切り上げて戻りませんと、お仕事の手伝いに間に合いません。急いで戻りましょう。ガチャ様、戻りますよ」
アスターシアの足元をクルクルと駆けまわっていたガチャが、ふらふらとした足取りになっていた。
どうやら、目が回ったらしい。
「ガチャ、抱っこするからおいで。散歩は終わり。さぁ、仕事、仕事」
ヘロヘロとレバーを回したガチャを抱きかかえると、ジゼとアスターシアと共にヴィーの店に戻ることにした。








